• Fri. Sep 24th, 2021

眞子さまの結婚生活の行方は? エリート夫が愛人女性と“変死”……夫婦生活で不幸相次いだプリンセス

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

――ついに眞子さまの年内結婚が報じられました。結婚後はニューヨークで生活し、一時金は受け取らないといわれています。急転直下に事態が動きました。

堀江宏樹(以下、堀江) 表面化したタイミングが最悪だったと思います。100年近く前の話ですが、9月1日は関東大震災の日。当時は皇室も甚大な被害を受けました。しかも、きたる11日は眞子さまの母宮である紀子さまのお誕生日で、会見も予定されているという時です。「娘を守れていない」とおっしゃっていると伝え聞く母宮が、眞子さまの代わりに矢面に……ということでしょうか。

――眞子さまは皇女としての結婚に関連する儀式や、巨額の一時金を辞退なさるというご意向だそうですが……。

堀江 問題はそこではありません。一時金とは“皇室を離れることにはなったが、かつては皇族であった方の品位を守るために支給されるお金”です。

 結婚を強行することの代償として、儀式や一時金の辞退を持ち出し、それで世間と交渉なさるかのような行為は、ご自分で「私は皇女にはふさわしくない行いをしている」とおっしゃっているに等しく、「守られるべき品位が私にはもうありません」とお認めになったも同然なのです。

 ご自分の意志として表明するより、皇族会議の結論として与えられ、それを受け止めるという形態をとったほうがよほど良かったと思います。まぁ、ご本人は辞退の意向でも支給自体は行われるでしょう。ただ、それを寄付するしかなくなるあたりに事態は落ち着きそうですが。

――眞子さまは30歳という節目にこだわられているのでしょうか?

堀江 普通の女性として人生をやり直したいと思われているのでは。おそらくその中には普通に結婚し、何人かのお子様のママになりたいというご希望があるのだと思います。「小室さん以外に、もっといい男性がいるのでは」などと他人は気軽に言うでしょうが、次の方がすぐに見つかるとは限りません。むしろ、今回のことで難しくなったと思います。

 眞子さまは一人の女性として叶えたい人生像がおありで、それには妊娠、出産、育児といったタイムリミットのあるファクターが含まれているのでしょうね。自由という意味では大きな制限を受けざるを得ない皇族の暮らしから一日も早く抜け出したいという強いご希望がおありなのだとも、お見受けします。

――「公」を重んじ、「私」のことは最後に……という皇族の振る舞いと私たちが認識していることとは真逆の行いのように思えますが。

堀江 そうですね。国民がこれだけ反対している中での結婚強行は、皇室史上まれに見るスキャンダルです。皇室へのダメージは大きいですね。折り目正しい印象しかなかった日本の皇室のイメージが海外で変質しうる事件ですし、なにより、アメリカに渡った眞子さまと小室さんのご夫婦が、“第2のヘンリー王子とメーガン妃”になる可能性も否定できません。

 この先、眞子さまがご自分の選んだ道でご苦労なさっても仕方がないでしょう。しかし、かつてないスキャンダルを残して皇室を去っていった内親王の父宮として歴史に名を残す秋篠宮さま、そして将来の天皇と目されている悠仁さまがお気の毒ですね。

 そして、こんな時に、結婚相手の男性によって最悪の人生トラブルに巻き込まれたプリンセスについてここで取り上げねばならないのも、運命的な流れかもしれません。

――前回から、昭和天皇の第3皇女である和子内親王の結婚についてお話を伺っています。一介の主婦となるべく、家事の修行を積まれた和子さんは、ついに3回目の縁談で、鷹司平通(たかつかさ・としみち)さんとの結婚を決められましたが、新婚生活はどうだったのでしょうか?

堀江 最初は、とても良かったのです。さすがに元・侍従長の百武三郎さんのお家に1年間“ホームステイ”しただけのことはあったようですよ。宮内庁の経費で派遣されてきた女官と女嬬(にょじゅ)、つまり、家事指南役のメイドと、家政婦の2人が当初いたそうなのですが、それも約10カ月で御所に戻ってしまったほど、和子さんの家事スキルは高かったようです。

――和子さんの夫になられた平通さんのご経歴、お人柄は?

堀江 1959年(昭和34年)の「週刊読売」(読売新聞社)4月5日号には、「 東大工学部卒の技術屋で教養、趣味とも一流人」とありますが、 実際は大阪理工科大学(現近畿大学)卒業だそうです。

 しかし、現代日本でいうワンルームとはニュアンスがかなり異なり、「23平方メートルくらい」の一部屋で書斎、食堂、応接室、居間を兼用。そこにはピアノ、テレビ、食卓、ソファーなどが置いてあったそうな。つまり、ダイニングキッチンですね。1階にはほかに応接間や、女中部屋がありました。2階にご夫婦の寝室などはあったのだと思われます。

――なかなかブルジョワ風な生活ですよね?

堀江 はい。ちなみに自家用車はあったし、古くから鷹司家に仕えていた女中が2名いたそうです。ただし「週刊読売」によると、これが当時の「一流会社の中堅幹部」の普通の生活で、特に贅沢といえるわけでもなかったようですね。

――そうなんですか!? 女中部屋というと、最近ではセレブ向けの広いマンションの間取りで時々見るくらいな気がしますが、この頃は普通にあったものなのでしょうか?

堀江 地方のお宅から「行儀見習い」ということで、娘さんが都会の大きなお宅に滞在し、女中として働きながら家事のイロハを習うというようなシステムは(特に戦前には)よくあったものですよ。

 山田洋次監督の『小さいおうち』って映画があったでしょう。松たか子さん演じる主婦が「奥様」と呼ばれ、黒木華さん演じる年若い女中さんから慕われるお話でしたね。旧華族である鷹司家の事情はさすがにそれとは違うようですが。

 鷹司家の敷地には「離れ」と呼ばれる建物もあり、そこには平通さんのお母さん、つまり和子さんにとっては義母にあたる方が暮らしていたそうです。もともと1日2食だった平通さんにいつの間にか合わせるような形で、和子さんの生活も変わり、また愛飲家であった夫に合わせるように、お酒とは無縁の生活を送ってきた和子さんも、紅茶にウィスキーを垂らしたり、寝酒も嗜むようになった、とありますね。うーむ。

――え、ダメですか? なかなか微笑ましい光景のように私には思えるのですが……。

堀江 このお酒というファクター、後に起きる“悲劇”を知っている者としては、不吉の前兆を感じずにはいられないのですね。

 例の59年の「週刊読売」の記事にも触れられているように、当時で約9年間の結婚生活の間に、お二人に「はじめは流産、つぎは生後間もなく死亡」など、お子様関係の不幸が相次いで起き、それ以来、「おめでた」と呼べることは起きていなかったのです。

 「これが幸福な鷹司家における唯一の不しあわせである」と記事はサラッと言っていますが、お二人の間に何か、深刻なトラブルがその後、発生していたようなニオイがするのです。

――思わせぶりな言い回しですね。もったいぶらないで教えてください!

堀江 「心中だった」と考えられる死を鷹司平通さんは、バーのマダムだった女性と迎えてしまっているのですね。昭和天皇の愛娘の夫の死ということもあり、各新聞では「事故死」という報道になっていますが、読売新聞は「変死」とハッキリ報道しています。

――ええっ!?

堀江 夫の死を知らされた和子さんの取り乱し方は激しく、宮内庁から入江相政侍従が即座に派遣されたそうです。

 事件が起きたのは、66年(昭和41年)1月のこと。1月26日、和子さんと暮らす自宅の徒歩圏に住んでいる、愛人女性・前田美智子さんの家から鷹司さんは戻らず、28日夕方、彼女の家で、しかも二人とも「全裸で」亡くなっていることが判明したのです。

 前田さんは、鷹司さん行きつけのバー、銀座「いさり火」のマダムであり、千駄ヶ谷の鷹司邸の近所に住んでいました。これが偶然、もともと近所だったとは考えにくいですよね。

――二人の関係が深まり、鷹司さんとすぐに会えるよう、女性が家の近所に住むようになってしまった……。

堀江 夫にそういう女性がいることは、和子さんも恐らくはご存知でしたが、立場上、騒ぐわけにもいかず、受け入れざるを得なかったのかもしれません。かなりのご苦労が和子さんにあったと推察されます。また、不幸にも和子さんが経験なさった刑事事件は、夫の変死だけではないのですね。

――えっ、まだあるのですか?

堀江 和子さんは68年(昭和43年)8月22日深夜に、千駄ヶ谷の自宅に忍び込んできた暴漢に襲われています。

 そして、血まみれになりながらも男の腕を振りほどいたところ、そこに駆けつけた警察官によって救われるという経験をしたんです。この事件について「週刊女性」(68年9月7日号/主婦と生活社)が詳しい記事をあげており、それによると真野勝美という「精神異常」の男が“カネ欲しさ”で鷹司邸に侵入した、と。

――そこが和子さんのお住まいということには気づいていなかった?

堀江 そうですね。刃物を持っている男に羽交い締めにされながらも、和子さんが激しく抵抗したことで、男の右手の指が切れて出血したそうです。それで男は戦意喪失しましたが、和子さんも左手のひらを切るけがを負いました。そして、両者ともども血まみれで呆然としているところに警察官が到着したとのことですね。

 「キャーッ」という和子さんの悲鳴を聞いて、女中の鈴木玲子さんが110番通報してくれたのが良かったようです。もともと、和子さんが嫁ぐ際、「泥棒に気をつけて」という昭和天皇の言葉が、現実になってしまったのでした。

――わずか2年の間に、事件に2回も遭遇してしまった和子さん。その後はどうお暮らしになったのでしょう?

堀江 鷹司さんの死から4年目にあたる69年、「女性自身」(1月27日号/光文社)に和子さんのご学友だった久松純子さんという方が、和子さんのインタビュー記事を寄稿なさっていますね。ちょうど、鷹司さんが亡くなった時期に発売の号を狙って記事が掲載されています。

 これによると、「つらいつらい思い出も、いまは遠く」とのことで、穏やかな日々を和子さんが過ごしていることがわかります。母宮である皇后さまは公務がお忙しい中でも、ご自分で育てられた大輪のバラの花を、和子さんのもとに定期的に届けられている様子が描かれているなど、母娘の交流は結婚後もしっかり続いていることもわかりますね。

 ちなみにこの記事が掲載された頃、和子さんには、すでに「どこにでもお一人でお出かけできる」行動力と、明るい笑顔が戻っていたそうです。

――皇室と民間という違いはあっても、母娘の絆は変わらないものですね。その一方で、眞子さまの決断や今後の生活について、紀子さまはどう受け止めておられるのか気になってしまいました……。

堀江 ご両親の心からの納得を得ていないご結婚の例は、近代以降の皇女がたにはあまり見受けられないことなので、想像が付きませんよね。

 秋篠宮家のご夫妻は、眞子さまがご結婚なさった後もお近くにいてくださるとよいと考えておられたとよく言われますね。ご結婚後は皇族の身分ではなくなりますが、黒田清子さんのように眞子さまにも皇室行事に協力していただく未来を思い描かれていたのではないか、と。

 しかし、小室さんがニューヨークで就職し、眞子さまも海を渡ってしまった場合、ご夫妻の”夢”は叶わなくなります。なにより何か問題が眞子さまの身の上に起きていても、肉親として手助けすることすら難しくなってしまうのです。

 さまざまな結婚に関する記事を目にしましたが、現代の眞子さま・小室さんのお二人を包むような険しい空気は改めて異例と感じた次第です。皇室の歴史においても、今回の騒ぎは大きなターニングポイントになりそうですね……。

 さて、次回は動物園長と結婚なさった皇女のお話です! お楽しみに。