• Thu. Jan 20th, 2022

秋篠宮さま、大学時代に「7人の恋人」? 眞子さん結婚との「ただの偶然とは思えない」共通点

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回からは、秋篠宮家について振り返っています。

秋篠宮さま、宮内庁の顔を曇らせた「反抗」 眞子さん結婚の「先例」に

――小室眞子さん、佳子さまは国際基督教大学で青春を謳歌したと伝えられていますね。眞子さんは小室さんと出会い、佳子さまはダンスのサークルに入られ、それぞれ充実していたのではないでしょうか。

堀江宏樹氏(以下、堀江) そのお父さまである秋篠宮さまは、学習院大学法学部に通っていた当時、佳子さまのタンクトップ通学、へそ出しダンス写真などとは比較にならない位、奔放な行動を連発されていたようですよ。

――もし、当時ネットがあれば礼宮(あやのみや)をモジって、“チャラの宮”なんて言われてしまっているかも……。

堀江 まさに。

 1986年の「FOCUS(10月24日号)」の「礼宮文仁親王20歳―――目白のスナックで“青春の横顔”拝見」という記事によると、礼宮さまが約10人ものSPを店の外で立たせたまま、東京・目白の住宅街の「小ぢんまりしたスナック」にて、ビートルズの『イエスタデイ』をギターでつまびく姿が目撃されたとのこと。お酒を酌み交わし、煙草をくゆらせる御学友たちとのお写真がパパラッチされておられます(笑)。

――20歳にしてこの貫禄!

堀江 絶対に十代のうちから……ってかんじですよね(笑)。しかも「隣りのテーブルの客に声をおかけになった」礼宮さまが「一緒に楽しく飲みましょう」と持ちかけたり、大学の同級生の女性を見送るといって店を出ていってから、「30分ほどして店に戻った」りしています。自由なお姿が描かれていますね。

――もしかして、宮様がお見送りしたのが紀子さまだったとか!?

堀江 いや、違うのです(笑)。礼宮さまは女性には積極的で、同86年の「週刊現代(9月13日号)」には「ウワァ~礼宮さまに肩を抱かれた20歳美女の身辺」という、いかにも80年代っぽい軽薄さに満ち溢れたタイトルの記事が掲載されています。

 “事件”が起きたのは、礼宮さまの東南アジア旅行中……宮さまが委員長を務める学習院大のサークル「自然文化研究会」の活動の一貫で、御一行はシンガポールの植物園を訪問したのですね。ところが真っ昼間から、それも日本からの報道カメラマンが10数人いるのを承知の上で、礼宮さまが同行の竹山則子さんの肩を「ほんの五秒ほどではあったが(略)抱いてみせたのである」。

 これに対し、宮内庁は「こちらでは(略)話題にもなっていませんね」とコメントするだけ。随行した東宮侍従の富士亮氏も、「(肩を抱いたことに)特別に感想はない」とクールに答えるだけでした。

――え、チャラくないですか(笑)? 礼宮さまのそうした行動は日常茶飯だったと?

堀江 そうでしょうね。礼宮さまをめぐる報道を見ていると、兄宮(現・天皇陛下)とご自分の境遇をお比べになり、皇室のあり方に “反抗”するお姿を報じた記事がある一方、ハッキリ言えば、かなりのチャラ男として人生を楽しんでらっしゃいます(笑)。

――翌87年の「女性自身(5月5日号)」(光文社)には、「僕には7人の恋人がいる!」とタイトルの文字が踊る記事が……。

堀江 礼宮さまの奔放さに、マスコミが食らいついてきている姿がうかがえますよね。21歳当時の礼宮さまのこの発言については「7人というのは、つまり“特定の人はいないよ”という意味」など説明されてはいるのですが。

――しかし、この時からすでに紀子さまと笑顔で並んでいる写真が大きく掲載されていますね。

堀江 そうなんです。皇室記者は紀子さまこそが 宮さまの“本命”と認識していたことがわかりますね。この頃の礼宮様は、特技のギターの弾き語りに磨きをかけておられ、南こうせつの『神田川』や浅川マキの『かもめ』が十八番だったそうです。

――『神田川』って(笑)。風呂なしアパートに暮らし、銭湯の前でふるえながら、同棲中の恋人男性が出てくるのを待つ貧しい女性の気持ちが、殿下に想像できたのでしょうか?

堀江 浅川マキの『かもめ』も、「港町のあばずれ」なんて歌詞が出てくるんですよね~。わかってたのかな(笑)。礼宮様は「新人類の殿下」などと呼ばれていたそうですが、否定的なニュアンスは記事にはまったくないですね。マスコミから非常に愛されています。

 88年の「週刊現代(3月5日号)」の「次男坊殿下礼宮さま 教授令嬢とのデートの親密度」という記事によると、皇居の敷地で、礼宮様がオレンジ色のフォルクスワーゲンに本命の紀子さまを乗せてドライブ。毎日のようにお二人だけの「ハラハラ、ドキドキの」時間を過ごしていると報じた記事が載せられます。お二人が部屋にこもって3時間も出てこなかったことなどが書かれていますね。

――そして、この頃からすでに「もしかして、兄宮より先にご成婚かも」と囁かれはじめていた? 

堀江 はい。翌89年秋にはその予感は現実となり、イギリスに短期留学した23歳の礼宮さまを、同い年の川嶋紀子さんが「離れていても心は一緒です」と笑顔でお見送りしていますね。お二人のご結婚は「来年(=1990年)6月に決定」とすべてがトントン拍子で進んでいったのでした。

――小室夫妻も2012年、国際基督教大学1年生の時に知り合っており、眞子さんが同年8月にイギリス留学で日本を離れる直前に交際が開始されました。そして13年には小室さんから眞子さんにプロポーズがあったそうですよね。すごい共通性が……。

堀江 そうなんです。こうなると、ただの偶然とは思えませんよね。眞子さんはあきらかにご両親を意識して行動というか、そういうふうに振る舞えば、先例があるから自分も許されると判断なさっていたのかも……。

堀江 紀子様のご実家・川嶋家と皇室出身の礼宮様にも、大きな経済格差がありました。学習院大の職員用住宅の3LDKの「アパート」に暮らしていた紀子様を「3LDKのプリンセス」などという陰口もありました。

 「SPA!(89年9月6日号)」(扶桑社)に掲載された川嶋家の暮らす「共同住宅」は、エレベーターもなさそうな古びた公営団地のようです。これが“平成のシンデレラ”のご実家か~、という驚きはありますね。

――眞子さんは小室さんとの結婚において、ご両親の結婚までの過程を意識的、あるいは無意識的に踏襲していたのかもしれませんね。

堀江 その可能性は多いにあります。ただ、紀子さまには周囲と問題ばかり起こしている小室佳代さんのような困ったご家族はいませんでしたが……。

 礼宮さまと紀子さんのご結婚に反対する声は、実は少なからずありました。そもそもお二人のお話がまとまっていく頃は、昭和天皇の喪中にあたり、礼宮さまの兄の浩宮さま(現・天皇陛下)も、いまだ雅子さまとの結婚が決まらぬまま、30歳をそろそろ迎えようとなさっていました。少なくとも保守的な意味で完璧な縁談ではなかったはずです。

――なるほど。結婚で身を固める場合、皇室では30歳を節目として強く認識するものなのですか?

堀江 たしかに浩宮さまも「結婚は30歳くらいを目安に」などと発言しておられました。ただ、これは皇室というより、90年代の日本人の年齢感覚ではないでしょうか。

 1994年には山口智子さん主演のドラマ「29歳のクリスマス」が放送され、人気を呼びました。99年にも財前直見さん主演のドラマ「お水の花道〜女30歳ガケップチ〜」が放送されました。

 30歳をすぎれば“売れ残り”で、それは“ガケップチ”に転落することだとする感覚……まぁ、わからなくはないですけど、そういう価値観を反映したドラマがたくさん作られたのが、眞子さんのご両親の青春時代だった90年代後半という時代の風潮です。

 それから現代まで30年近くたちました。それなのに、眞子さんは古い時代の年齢感覚に縛られすぎだったのでは? とは思いますよね。

――30という数字にはとらわれません、といった言動を見せていたら、現代感覚を有した皇女として支持を集めたかもしれません。

堀江 はい。礼宮さまご夫妻のご結婚から、小室夫妻の結婚までの約30年の間に、日本の経済は悪化、空気も暗く、重たくなりました。価値観も保守化しつつあります。

 礼宮さまの青春時代である80年代後半~90年代、世間における皇室とはあくまで外国の王族・皇族の日本版にすぎなかったのかな、という印象もありますよね。

 しかし、2000年代初頭には爆発的なスピリチュアル・ブームが起きました。神仏が再び身近になり、同時に公務と祭祀に励まれる平成の天皇陛下(現・上皇陛下)のお姿を見てきた国民は、皇族をやはり“神”に近い存在だと感じるようになりました。

 皇族がたは人間でありながら、常人とは異なる“神”に近い存在で、そのように振る舞うことこそ“真の皇族らしさ”だと考える層が増えたのです。そういう空気を、若い皇族がたはどのように受け止めておられるのか。理解しておられるのか、という問題はありますが。

――話が飛んでしまいましたが、結局、礼宮さまと紀子さまはどうなったのでしょうか?

堀江 紀子さまに国民的な人気が高まったことを追い風に、お二人の関係はトントン拍子で進み、「昭和天皇さまの喪中に……」などと一部の上流層、宮内庁関係者の顔を曇らせたこと以外の大きな障壁はありませんでした。

 逆に昭和天皇の喪中の暗い空気を吹き飛ばすような、皇室の明るいニュースが国民から必要とされ、それがお二人の結婚を逆に早めた、と。

 かくして1990年6月29日、礼宮文仁親王と川嶋紀子さんとの結婚をきっかけに、秋篠宮家が創設されたのです。

 次回は秋篠宮家の子育てを取り上げます。