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童貞の青年と既婚女性のセックスを通して、若者の夢と現実を描く石田衣良の「チェリー」

 まだ処女だった頃、友人同士でセックスについて語り合ったことはないだろうか。

 例えば高校時代にすでに経験済みであった友人を囲み、いつか自分も経験する行為を聞きながら、友人の体験談に自身を重ねていただろう。

 雑誌などで得ていた知識は具体化して、想像が膨らみ、これから先、自分はなんて素敵な体験ができるのかと期待を膨らませた人も少なくないだろう。知らない人と肌を重ねあうことがどんなに素敵で、この上なく気持ち良い行為なのだろうかと。期待が膨らむほど、現実は拍子抜けするほどリアルで、残酷だ。

 今回ご紹介する石田衣良の「チェリー」(講談社文庫『初めて彼を買った日』所収)は、思い描いていた理想のセックスを簡単に打ち砕く物語である。

 主人公の耕太は27歳のフリーターだ。四大を卒業しながらも、引っ込み思案な性格から就職活動に失敗し、現在は都内のスーパーマーケットで働いている。

 年下の正規雇用の男に指示されて、不愉快になりつつも丁寧に苺の陳列をする。店内の有線放送からは、スピッツの「チェリー」が流れてきた。彼はこの曲が大嫌いだ。なぜなら、彼は童貞だから。

 年収200万円台の耕太はもちろん独身で、特定の恋人もいない。仕事を終えてからすれ違うカップルに舌打ちを打ち、馴染みの安い居酒屋で元同僚たちと飲むのが彼の日常だ。いつものようにひとりで飲んでいると20代の若者たちに混じって、ひとりで飲んでいる30代の女性を見つけた。

 聖美と名乗るその女性は耕太よりも5歳ほど年上に見える。これまで自然に女性と会話できることがなかった耕太は、聖美とスムーズに会話が続いていることに驚いていた。初対面での女性と、これほどくつろげたことはかつてなかったのだ。

 終電の時間が近づき、飲み会はお開きになる。その後、聖美に声をかけられ、2人は耕太の部屋に行くことに。途中のコンビニで酒とコンドームを調達し、ワンルームの部屋へ聖美を招き入れた耕太。互いにシャワーを浴びて、耕太は白状した。

「……実はぼくはまだ女の人としたことがないんです」

 すると聖美も、自分が既婚者で、4年間セックスレスであると告白する――。

 27年童貞であった耕太は「童貞喪失」を、おそらくとても重荷で、とても素晴らしいものだと思い描いていただろう。その結末は期待通りに気持ちよかったが、想像していたよりも「あっけなかった」と言える。現に耕太と聖美とはその後、連絡先を交換せずに別れた。それでも、耕太は「童貞」という鎧を捨て、聖美は「性欲」を解放させることができたのだろう。

 一歩踏みだすには勇気が要る。期待も不安も膨らむ。けれど、いざこえてみると、想像していたよりもあっけないものである。しかし、若い頃に「セックスってどんなもの?」と想像を膨らましていたことは、何にも変え難い高揚感に溢れていたのではないだろうか。

 夢と現実、そしてこれから。本書は若者の性の「これから」を正しく導いているように感じた。
(いしいのりえ)