• Thu. Jul 7th, 2022

雅子さまに向けられた「常磐会」の視線ーー皇后の座をめぐる「学習院VS聖心女子VS東京大学」の混戦

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 

――前回は学習院高等科を卒業した女性だけが入れる同窓会組織「常磐会」のお話をしていただきました。歴代の皇后陛下を輩出してきた組織とのことで、聖心女子出身の美智子さまが登場した際には、相当なアンチ活動を行っていたとか……。それだけに、浩宮さま(現・天皇陛下)のお妃こそは常磐会会員から、という悲願があったようですが。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、結果はご存じのように常磐会ではありませんでした。当時の週刊誌を調べたら、東大出身の雅子さまはダークホースだったようですね。

 美智子さまの時代の争いは「学習院VS聖心女子」でしたが、雅子さまの頃には東大が加わり、三つ巴の混戦状況になっていたのがわかります(笑)。この「貴族(学習院)VSその他」という対立構図は、美智子さま時代から引き続き、受け継がれていました。

 昭和61年(1986年)5月1日号の「週刊サンケイ」に掲載された記事は、その名も「学習院VS聖心の争いを尻目に 東大生・徳川冬子さんが浩宮妃に選ばれる確率」。「名門、徳川家の出身で大学教授の父母を持つという理想的な家庭環境」の徳川冬子さんが「“最有力”の名に恥じない令嬢」として紹介されています。当時の徳川さんは、東京大学文学部史学科3年に在学中で、ご両親はともに大学教授というお血筋でも、頭脳の点でもエリートな方でした。

 ちなみに、浩宮さまのお相手選びは宮内庁がかなり熱心に行っており、「かつて東宮侍従を務め浩宮殿下の教育担当でもあった浜尾実氏」によると、「浩宮さまの大学卒業時には数百人いた候補の女性が、(今や)数十人に絞られた」という事実を認めています。

――秋篠宮さまが、紀子さまを自力で見つけたのとはかなり違うんですね。

堀江 しかし、現天皇陛下はこの当時から「自分で結婚相手を選びます」と公言なさっていました。要するに宮内庁が、おせっかいな親戚みたいに女性を押し付けてきていたようです(笑)。そしてその中に徳川冬子さんが含まれていた、という感じでしょう。

 興味深いのは、雅子さまも東大卒、ハーバード大学留学経験を持つエリートでいらっしゃいましたけど、そういう浩宮さまの“お好み”を宮内庁はちゃんと掴んでいたことですね。そして、それでも当時の宮内庁はやはり、旧華族の令嬢をプッシュしたかったのかもしれません。

――東大の徳川冬子さんがうわさになった時、「浩宮妃はウチから!」と息巻いていた学習院の常磐会はどういう反応を?

堀江 それが面白いんです(笑)。コメント主の名前が書かれていないのが残念ですけど、とある常磐会会員は「徳川さんは(略)東大生といっても、学習院高等科出身ですから常磐会員なんです」と、徳川さんが“身内”だとアピール。一方で、聖心女子大卒業生の「宮代会の有力会員」は、「私どもは本当に(学習院などへの)対抗意識はないんです」。

 ちなみに、こういうお妃候補は、名前が世間に出た人は選ばれないというジンクスがあるようで、結局、徳川さんもそういうことになってしまいましたね。徳川さんはご結婚なさって松方さんとなられ、現在、東京大学史料編纂所の准教授として研究者の道を歩んでおられます。

――最近では秋篠宮家が東大との距離を縮めようとしている様子が感じられますが、この頃からある意味、東大との関係は深かったのですね(笑)。

堀江 ちなみに雅子さまは高校が田園調布雙葉です。雙葉も昭和時代の常磐会の会員の目の敵だったそうですよ(笑)。

 学習院のごあいさつとして有名だった「ごきげんよう」を、「雙葉(幼稚園)の子供たちが、道で“ごきげんよう”といっている」のを聞いて、マネされていると感じ、「特権を侵害されたような色」を顔に浮かべていた(「日本の孤島『常磐会』 学習院出の純血種女性」/「週刊朝日」昭和33年=1958年12月28日号)などと書かれていますね。とにかく常磐会は常磐会会員しか認めない、孤高の存在なのかもしれません。

――浩宮さまの女性のタイプなどは、うわさになったりしたのですか?

堀江 この記事によると、浩宮さまは「昔は、竹下景子や柏原よしえが好み」とおっしゃっていたけど、「そういうタイプは卒業して、今は、留学先の部屋に飾ってあったジェーン・フォンダのような細面でスラリとした人がいい」とおっしゃっていたとかなんとか(笑)。しかし、浩宮さまのおっしゃるお妃の条件が、外見はともかく「語学ができ、スポーツや音楽に理解があり、控えめであるけれど必要なときには自分の意見をいえる人」であり、それはまさに母上である美智子さまのような人なのだ……と。

――柏原よしえは有名ですけど、竹下景子もそうだったんですか。しかし、皇太子妃に選ばれたのは雅子さまでした。美智子さまとはちょっとタイプが違うような……。

堀江 まぁ、皇室記事には「それ、どこからの情報?」みたいなものも多いということの証しですね(笑)。

 常磐会にお話を戻すと、学習院の卒業生は本当に愛校心が強く、そして皇室を敬愛しているイメージがありますよね。しかし、浩宮さまの結婚問題がマスコミを賑わしていた昭和63年(1988年)3月号の「歴史読本」(KADOKAWA)に掲載された「『学習院』の内側」という、作家・夏堀正元さんの記事によると、「昭和37年に東大その他の大学とともにおこなった世論調査では、学習院大生が、天皇制に関して『好意をもっている者』が7パーセントしかいない」と指摘しているんですね。

――皇室に好意がある学生が、たった7%ですか!

堀江 しかも「反感をもっている者」が30%もいるんですよ。ちなみに「いちがいにいえない(=好意も反感もない)」が27パーセント。逆にいえば46%もの学生が「わからない」って答えた比率が一番多いということなんですけどね。

堀江 昭和30年代といえば、美智子さまの皇太子妃決定やご結婚、その後の常磐会メンバーが主犯者と目される“美智子さまいじめ騒動”などがあった時期です。学習院全体でいえば皇室への好意が7パーセントしかない一方、常磐会の中では120パーセントが皇室支持で、皇室への愛で溢れかえっていた落差を考えると、非常に興味深いといわざるをえません。

 まぁ、この「『学習院』の内側」という記事を書いている夏堀さんは、皇室や貴族文化に対して非常に辛口でいらっしゃるので、その思想傾向が反映されているのでしょうけれど、常磐会を「女性がしがみつきたがる特権意識、名誉心の権化」などと言い捨てているのは、現代だったら相当に反感を買うでしょう(笑)。

――うわー、すごく嫌な感じ。言わんとすることはわからなくもないですけど。

堀江 昭和30年代は、1950年代後半~60年代に相当しています。これは20世紀でももっとも革命志向だった時期で、イギリスでも日本でも、世界各地で君主制が危機にさらされていた時期です。

 君主制とは過去の遺物なのか、あるいはまだ現役といえる制度なのかを、国民が王族・皇族のあり方を観察し、“試験”していたような空気が流れていたと思います。そんな時代だからこそ、常磐会の会員たちはいっそう一致団結したのでしょう。それを閉鎖的だの、日本の孤島とか秘境とかマスコミにいわれたところで、意にも介さず、皇室を守ろうとしていたのでしょうね。

――そんな厳しい空気の中、日本では美智子さまが皇太子妃に内定したことで、一気に皇室への好感度が上がりました。

堀江 そうです。逆に美智子さまを支持しなかったとされる常磐会の好感度は下がりましたが、美智子さまも常磐会の当時のメンバー女性も共に体を張って、皇室を世間の嵐から守ったとも考えられます。

 今回、常磐会に関して実にさまざまな記事を読みましたが、そして、その大半で悪役として登場させられていた常磐会の人々ですが、私は逆に女性の芯の強さを見せられたような気になりました。さまざまな人々に支えられ、皇室の今があるのだな、と感じましたね。