ほのぼのしたイラストとストーリーで話題を呼んだ漫画『大家さんと僕』(新潮社)。その作者であるお笑い芸人の矢部太郎さんが、最新作を発表しました。そのタイトルは『ぼくのお父さん』(新潮社)。
『ぼくのお父さん』(新潮社)
今作で描かれるのは、矢部さんのお父さんである絵本・紙芝居作家のやべみつのりさんと幼い頃の矢部少年の日常。穏やかでやさしい時間のなかに、ほんのちょっぴり切なさが散りばめられたノスタルジックな物語が繰り広げられます。
インタビューの場に、漫画のなかに出てくる土器や紙芝居といった思い出の品々を持ってきてくれた矢部さん。そのすべてが、お父さんが保管してくれていたものとのこと。手作りのおもちゃや絵日記のあたたかさに包まれながら、矢部さんに執筆に至ったきっかけや作品に込めた思いを伺いました。
矢部 太郎(ヤベ タロウ)
1977年生まれ。芸人・マンガ家。1997年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。初めて描いた漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。
深い意味があるようでないようなお父さんの言葉
お父さんが描いていた絵日記
幼少期に作ったかるた
――これらの品々は、お父さんから送られてきたのですか?
矢部さん:芸人をしてると番組で子どもの頃の写真を使うことがあるんですが、「写真送って」ってお父さんに頼んだら、勝手にいっぱい送られてきたんです。
――きっと、たくさんの思い出の詰まったものですよね。
矢部さん:実は、全然覚えてないものもあって(笑)。手作りのかるたなんかは、全然覚えてないです。8歳くらいの僕が文章を考えて、お父さんが絵を描いたんですけど、当時の僕はそばが好きだったみたいで、そばが2回くらい出てきました。
――きれいな状態で保管されていたからこそ、見返して思い出せたんですね。
矢部さん:そうですね。お父さんが描いていた家族の絵日記みたいなものもあって、『ぼくのお父さん』はそれをもとに描いたんです。記憶だけでは、きっと描けなかったと思います。
――それだけ当時の出来事が詰まった絵日記なんですね。『ぼくのお父さん』に出てくるお父さんは、子ども達と同じ目線で遊んでくれていますが、実際はどんな人でしたか。
矢部さん:友だちみたいな人でしたね。一緒に遊んだり物を作ったりした記憶は、たくさんあります。ただ、当時は手作りのかるたより、人気のキャラクターのかるたが欲しくて、複雑な思いもありましたね。コンプレックスというか、みんなが持っているものを買ってもらえなくて。
『大家さんと僕』を描いた時も、「絵本作家のお父さんの影響ですか?」と聞かれる機会が多かったのですが、認めたくないところもあって。その辺の複雑な思いを振り返ってみたくて、『ぼくのお父さん』を描こうと思ったところもあります。
――実際に漫画を描いて、気づいた思いなどはありましたか?
矢部さん:漫画の最初の方に出てくるんですけど、ごはんができた時にお父さんがごはんの絵を描き始めるから、その間は食べられなくておかずが冷めていくんですよ。子どもの頃は、わざわざ絵に描く意味を感じられなかったです。
でも、今は「食べたらなくなっちゃうから描いてる」って言っていたお父さんの言葉の意味がわかるというか、共感できるというか。僕が『大家さんと僕』を描いたのも、お父さんと同じ理由なのかなって。
『ぼくのお父さん』
――お父さんの発想とつながる部分が見えてきたんですね。
矢部さん:そんな気がします。でも、あの発言や行動には深い意味があったんじゃないか? と思っていたことが、全然深くなかったって気づきもありましたね(笑)。
よく2人でつくしを採りに行っていたんですが、絵日記を読む限り「自然と触れ合って情操教育」みたいな気持ちはなさそうで、単純に「いっぱい生えてて楽しいし、晩ご飯のおかずにもなる」みたいな感覚で行ってたんだろうなって(笑)。
――漫画の中には、お父さんの発言に深い意味がありそうですが、実際は特にない?
矢部さん:ないかも(笑)。変なことを言う人なんですよね。それ言っちゃダメでしょってことも普通に言っちゃうところがあって、常識みたいなものにとらわれてないんですよ。
自由な発想の持ち主だから、思いがけない気づきもあるかもしれません。でも、家族としては困っちゃうなと(苦笑)。いい言葉だと思って描いたというよりは、『天才バカボン』に出てくるバカボンのパパみたいなイメージで「困ったこと言うな」って気持ちで描きましたね。
『ぼくのお父さん』
――そうだったんですね。時にお父さんの仕事に対する切なさみたいなものも、描かれていますが。
矢部さん:仕事場が家だから、フーフー言いながら仕事をしてたり「つらい」って言ってたりするところは見てましたね。だから、切なさが出てきたのかもしれません。
ただ、当時はどこまで大変なのか、わかっていなかったと思います。お父さんは締め切りに遅れることもあったけど、今になって結構マズい状況だったんだってわかりましたね。
――大人になってわかることって、きっとたくさんありますよね。
矢部さん:そうなんですよね。あと、うちはお母さんがちゃんと働いていて、なんとか生活ができたので、そこまでお父さんの仕事のひっ迫感みたいなものを感じなかったのかもしれないです。
「働いてないお父さん」は珍しかった
――当時だと、矢部さんの家のようにお母さんが働きに出て、お父さんが家にいるという形は珍しかったのでは?
矢部さん:働いているお母さんはいたと思いますけど、働いてないお父さんは珍しかったかもしれないですね。うちに遊びに来た友達から、よく「日曜日っぽい」って言われました。家にお父さんがいるから(笑)。
――お父さんも毎日休みってわけではないんですけどね(笑)。
矢部さん:そうなんですよ。お父さんは結構忙しそうだったんです。家のことをして、子どもと遊んで、友だちに手紙を書いて、新聞の切り抜きを集めて、絵日記を描いてって、することがたくさんあったんですよね。その間に仕事もして。
――その姿を見て育ったんですね。今でこそお母さんが働いて、お父さんが家事をするという家庭もありますが、当時の矢部さんはどう感じていましたか?
矢部さん:矢部家はそれが普通だったので、「お父さんが働いて、お母さんが家にいるお家もあるんだ」って意識でしたね。自分の家庭の形が当たり前だったから、一般常識にとらわれないというか、どっちもあるんだって感覚を持てるようになった気がします。
いろんな角度から物事を見たり、考えたりするようになったし、生きていくなかで「絶対にこうしよう」みたいに思うことは1つもないかもしれないですね。「結婚しなきゃ」みたいな考えもなかったりするので。
――フラットな考え方ですよね。お父さんからの教育も影響していたりしますか?
矢部さん:そもそも“教え”みたいなものがなかったです。お父さん自身、「男らしく」みたいな人じゃないし、「お前が家族を守れ」みたいなことも言われなかったです。「好きなことを見つけられたらいいよね」みたいなことは、言っていたかな。
『ぼくのお父さん』
――子どもの目線に立ったやさしい言葉ですね。『ぼくのお父さん』のなかにも、子育てのヒントになりそうなエピソードが転がっているように感じました。
矢部さん:お父さんの発想を全部取り入れると大変だと思うので、ちょこちょこ取り入れていただけたら、少しラクになるかな(笑)。
あと、この漫画を読んで、子どもの頃のことも思い出してほしいです。お父さんが前に、「子どもの描く絵はみんなすごく面白いけど、大人は同じような絵になって面白くない」って話していたんです。当時も今も、お父さんは子どもの可能性にすごく魅力を感じているんだと思うんです。
そういう人が身近にいてくれたことは、子どもとしてすごくありがたかったことだと思うし、読んでくれた方にも子どもの頃に戻って、大人になった今とは違うものの見方をしてみてほしいなって思いますね。
――大人になると忘れてしまう感覚を、思い出させてくれそうな漫画ですもんね。
矢部さん:そうであってほしいですね。そして、子どもに比べて大人は大変だよなってことも、改めて感じてもらえたら(笑)。皆さん、一緒に日々を頑張りましょう!
(取材・構成:有竹亮介、撮影:細谷聡)