子どもでも大人でも、「算数が苦手」という人は少なくありません。とはいえ一口に「算数が苦手」といっても、その原因はさまざまで、一人ひとり異なります。しかしこれまで学校教育では、「苦手」の個人差に即した指導が行われてきたとはいえない現実があり、むしろ「算数が苦手」な大人を多く作り出してきた可能性があるようです。
澳塩渚著、平岩幹男編『ワークつき 子どものつまずきからわかる算数の教え方』(合同出版)は、学校教育や家庭学習で行われがちな、数をこなすことで苦手を克服する「くり返し学習」とは別のアプローチで、算数の「つまずき」を解消する方法を教えてくれる一冊です。
著者の澳塩渚さんへのインタビュー前編では、つまずきの背景にある「数理解」の問題や、くり返し学習への偏重がもたらす悪影響についてお聞きしました。さらに後編では、小学校の学年ごとに表れるつまずきへの対処法をお話しいただきました。
澳塩渚(おきしお・なぎさ)
公認心理師、学習支援教室「まなびルームポラリス」主宰。大学在学中より適応指導教室にて不登校の児童生徒の学習サポートを行う。発達に偏りのある児童の家庭教師等を経て、放課後等デイサービスおよび児童発達支援事業所にて、学習支援、ソーシャルスキルトレーニング等を担当。子どもたちの言葉の力を育むことが学習やコミュニケーションの充実につながると考え、現在は静岡市にて作文読解、コミュニケーションのための学習支援教室「まなびルームポラリス」を主宰。発達に偏りのある子どもたちが自分自身を適切に表現し、自立していくため力の育成を目指し、様々な活動を行なっている。
「くり返し学習」に傷つく子どもたち
――この本を読んでまず思ったのは、自分自身がどうやって算数が「わかる」ようになったのかをほとんど覚えていない、ということでした。算数より手前にまず、数を理解するというプロセスがあり、その部分だけでもかなり高度な学習といえそうですね。
「1つ、2つ」などの数量も「数」ですし、「1番目、2番目」といった順番、「1m、1cm」などの長さや「1kg、1g」などの重さも「数」ですよね。数にいくつもの側面があることを理解し、目的に合わせて使いこなすことを「数理解」といいます。
数理解の発達には人それぞれに時期の差があり、その道筋も異なります。発達に従ってより便利な計算方法や思考法が身についてくると、それまでのやり方は忘れてしまうのが普通です。
たとえば、小学一年生にくり上がり計算を教える際に、広く用いられている「さくらんぼ算」では、10のまとまりを作るために数を分解・合成します。「6+7」であれば、7を「4」と「3」に分解し、6と4で「10」のまとまりを作り、分解した3と合成して「13」になるという手順です。
でも、3年生くらいになれば多くの子が「6+7」が「13」であることは記憶しているので、分解と合成をしなくても瞬時に13に変換されますし、さくらんぼ算をしていたことも忘れていきます。
澳塩渚著、平岩幹男編『ワークつき 子どものつまずきからわかる算数の教え方』(合同出版)より
――さくらんぼ算ができるということは、目の前の「6個のリンゴ」と数字の「6」が、さらにはその読みの「ろく」が対応しているという数理解が必要なのですね。
そうなんです。だから、「6+7」の計算ができない子がいたとして、計算ができないのか、数理解がまだできていないのかで、採るべきアプローチは変わってきます。ただ、日本の教育は「できるまで計算をくり返させる」という方法に傾きがちです。
――この本でも指摘されている「くり返し学習」ですね。
勉強であれスポーツであれ、単純な練習をくり返すことで習得されるスキルはあり、くり返しそのものを否定するわけではありません。ただ誤りの原因が理解されないまま、できない練習のくり返しを強要されるのは、大人でも相当な苦痛を伴います。さらには、「自分にはどうせできないんだ」という「学習性無力感」を強める原因にもなります。
――「学習性無力感」とは、勉強のなかだけで起こる無力感なのでしょうか?
この場合の「学習」とは、「何らかの経験を積むことで行動が継続的に変化すること」を指します。学習性無力感という言葉は、「無力感」を「学習」してしまう現象を指していて、「学習性無気力」などとも訳されます。
有名なのは「セリグマンの犬」と呼ばれる、米国の心理学者マーティン・セリグマンが犬に対して行った実験です。1つのグループの犬は、パネルを押せば電気ショックが回避できるようにし、もう1つのグループは何をしても電気ショックが流れるようにしたところ、後者は電気ショックを回避する行動を起こさなくなったと報告されています。しきりを飛び越えるだけで回避できる状況であっても、飛び越えることさえしなくなったそうです。
人間についても「何をしてもダメ」という体験が続くことで、何も行動しないという「答え」を学習してしまうことが確認されています。
「自分だけがわからない」を防ぐために
――無力感を感じつつ、なおもくり返しを強要されたら、無力感はさらに強まってしまいそうです。
無力感を学習することは、当然ながら自己肯定感の低下を招きます。自分がある行動をすればある結果が導けるだろうと推測できる力のことを「自己効力感」といいます。「やればできる」という感覚に近いものといえばいいでしょうか。自己効力感は「ある方法を用いてやってみたらできた」という体験で得られます。無力感を学習すると「自己効力感」も育ちにくくなります。自己効力感は別に勉強でなくても、口笛が吹けたとか、ゲームクリアできたとか、どんな小さな達成でもその源泉となりえます。
――勉強以外のことで自己効力感を得てしまうと、「かけっこが速いから勉強はできなくてもいい」「三重跳びができるから算数はいい」ということにもなりそうですが。
発達心理学の知見からいえば、子どもは15~16歳あたりで交友関係が広がることから挫折を味わい、万能感をごそっと削られて大人になっていくので、それまではなるべく万能感の貯金をしておいたほうがいいんです。
その意味で、かけっこや縄跳びで大きな万能感を得ることは大歓迎なのですが、学校で多くの時間が割かれるのは、机の上での勉強です。そこでつまずいてしまうと、理解できない話を一日中聞かされ続けることになり、そのダメージは計り知れないものがあります。
自分と周りの子を俯瞰して比較するようになるのは10歳前後といわれていますので、「周りの子はわかっているのに自分だけがわからない」状況になる前に、つまずきを解消してあげたいですね。
――「自分だけがわからない」という状況は、大人にとっても恐怖です。
最も学習性無力感を強くする経験かも知れません。学習性無力感が当たり前の状態になってしまうと、その後の人生のいろいろな面で自分の力を信じてチャレンジしていくことが難しくなるかもしれません。学校ではなかなか一人ひとりの苦手の原因まで把握できないので、一律にくり返しで習得させるアプローチは、かえって苦手を克服しにくくしている可能性があります。
何がわからないのかを探り、1つでも2つでも「できた」「わかった」という経験をすることで、自己効力感は高まります。1桁の足し算でつまずいてしまったのなら、数理解が計算の段階まで習熟していない可能性があります。
――なるほど、「いち」「に」「さん」と暗唱できても、それが量や順番を指すものだと理解しているとは限らないのですね。また、先ほどのお話にもあったように、量や順番、長さや大きさなど数の概念は複雑です。リンゴでもスイカでも1個なら「1」という普遍性を理解するのは、かなり高度なことに思えてきます。
小学校入学前後の子どもの数理解は個人差が大きく、たとえば1から20までの数字をスラスラと唱えることができても、「ろく」と目の前の6個のリンゴが対応していない、さらには「ろく」という音と「6」という数字が対応していないということがよくあります。数理解のどこでつまずいているのかを理解し、適切なサポートをすれば、ほとんどのつまずきは解消されます。
「入口」をなるべく広くする
――そもそも「くり返し」とはどのような学習方法なのでしょうか。
心理学では記憶すべき事柄を何度も繰り返すことを「リハーサル」といいます。記憶の貯蔵庫モデルという考え方では、短時間保持する貯蔵システムである「短期記憶」と、短期記憶されたものを長期間保持できるように転換し、貯めておく「長期記憶」の2つで物事を記憶すると考えられています。
復唱や、類似問題ばかりをくり返し解く方法は、短期記憶を維持するための「維持リハーサル」とされていますが、この方法で一度に覚えられる要素は5~9個と考えられます。たとえば鎌倉幕府の成立年は諸説ありますが、源頼朝の征夷大将軍任命をもって成立とみなすならば1192年です。このままだと「1」「1」「9」「2」と4個の情報となり、しかも情報の順番も覚えなければならないので、短期記憶の容量をかなり使ってしまうことになります。
ところがこれを「いい国つくろう」と語呂合わせで覚えると、「いい国」という1個の情報で済み、長期記憶しやすくなります。このように情報に処理をして転送しやすくする方法を「精緻化リハーサル」といいます。短期記憶から長期記憶への転送には、異なる情報どうしを関連性で結びつけて覚える「ネットワーク化」など、いくつかの方法があることがわかっています。
――「いい国つくろう」とか、√3の「人並みにおごれや(1.7320508…)」などは、忘れたくてももはや忘れられません(笑)。
維持リハーサルするよりほかない情報ももちろんあります。でも維持リハーサルばかりの学習効率は記憶の特性からも良くありませんし、何よりも苦痛を伴いやすいという性質があります。
――本の中では数理解の発達や、くり返し学習のほかにも、「道具」が算数のつまずきの原因になると指摘されています。
あとでまた触れると思いますが、コンパスや定規、分度器といった道具を上手に使えないことで、算数が苦手になってしまう子どもはかなりの数に上ると思います。私も不器用な子どもでしたので、コンパスをダーツの矢にして先生にこっぴどく怒られたものですが(笑)、道具でふざけたり、暴れたり、勉強する気をなくすことで、自分だけうまくできていないという心理的負荷となんとか折り合いをつけている場合も少なくありません。ただ怠けているわけでも、ふてくされているわけでもないということを理解して欲しいですね。
――本では九九の「音」の発音しにくさや紛らわしさが、かけ算習得の障壁になるケースにも触れられていますが、道具や言葉といった算数の外側にあるものが、算数のつまずきの原因にもなりうるのですね。
そもそも数学そのものが、高度になればなるほど日常生活との接点が見出しがたくなるものなので、苦手意識を持ちやすい教科だといえます。その上、道具や独特な言葉遣いなどで、初歩の段階からつまずきやすいところがあります。算数に限らず、学校の勉強はどこで趣味や仕事に関わってくるかわかりません。ゲーム好きが高じてプログラミングを始めてみたら、キャラクターを動かすのに三角関数が使われていた、などという経験は誰でもしていると思います。
「勉強の入口」が狭くて辛いものだと、人生の可能性を狭めてしまう可能性があるので、楽しくできるところはなるべく楽しく、ラクにできるところはなるべくラクするほうが、教わる子どもも教える大人もラクなんじゃないかなと思います。
つまずきを減らす「ツール」の工夫
――この本では、扱いやすいコンパスや定規などのツールだけではなく、数理解を助けたり計算を視覚化するためのツールも紹介されていますね。100円ショップで買えるビーズやマグネットなどを活用するアイデアもあり、これなら気兼ねなく試せそうだと思いました。
澳塩渚著、平岩幹男編『ワークつき 子どものつまずきからわかる算数の教え方』(合同出版)より
数える練習には同じ大きさ、同じ形のものを(100円ショップで売っているアヒルのおもちゃとインテリア用タイル)/澳塩渚著、平岩幹男編『ワークつき 子どものつまずきからわかる算数の教え方』(合同出版)より
これも入口を広げるための工夫です。数字と現実をつなげるイメージは経験で培われるものなので、子どもはイメージ力がまだまだ弱いです。目に見えたり、手で触れられるモノがあることは、理解をすごく助けてくれるんですよね。
指導したりサポートしたりする人が、机上の学習以外の方法を示してあげることができると、次第に自分自身で方法を探せるようにもなります。
――また、「お金」がとても有効なツールになるというのは、すごく納得できました。
澳塩渚著、平岩幹男編『ワークつき 子どものつまずきからわかる算数の教え方』(合同出版)より
子どももお金は大好きですから(笑)。「100円で好きなお菓子を買っていいよ」と言うと本気でその組み合わせを考えて、うまい棒の味を変えて10本買ったりとか(笑)。
お金は10の単位でくり上がるだけでなく、5円、10円、500円と5の単位でもくり上がるので、5~10の合成と分解を理解していないと、うまく計算できないんです。ビーズやタイルではなかなか前のめりになってくれなくても、お金だとがぜんやる気になります(笑)。買い物やおつかいも、少しずつでもやらせてみてほしいですね。
――「人生ゲーム」の銀行役も、子どもは大好きですよね。
「人生ゲーム」の紙幣は日本円ではありえないくらい桁の多いものもあるので、遊びの中で興味を持って新しい数に触れられるのがいいですね。楽しみながら銀行役がしっかりこなせるようになれば、その子の計算能力は相当なものといえると思います。
――知育玩具や教育玩具にはかなり高価なものもありますし、「まったく遊ばないかも知れない」と思うとなかなか手出ししにくいものですが、小さなつまずきが見えたら安価なものや手作りのツールで気軽に試してみたほうがいいのかも知れませんね。
苦手なことをちょっとずらしてみたり、自分に合った学びの形に置き換えてうまくいく体験を積むことはすごく重要で、周囲からできるサポートもたくさんあります。硬貨でもマッチ棒でも、どんなものでもツールになりえるので、子どもたちが夢中になれる学びを見つける手伝いをしてもらえたらと思いますね。
多くの家庭にあるのに、あまり活用されていないのが「算数セット」です。あれは本当に万能です。
――小学校入学時に購入させられて、小さな名前シールを何百枚も付けさせられる、あれですね。ほとんどの親にとっては苦行の記憶しかないと思います。
ピンセットで貼ったり、本当に大変ですよね。それなのにブロックとおはじきくらいしか使わなかったりするんですが、数え棒や時計など、子どもがつまずきそうなポイントはかなりカバーされていると思います。
問題は小さすぎて子どもの手では扱いにくいものがあることですが、大きなタイプの商品が100円ショップなどで売っています。せっかく苦労して名前を貼ったのですから、ぜひ家庭でも活用してほしいですね。
(後編につづく)
※明日公開の後編では、学年ごとに起こる「算数のつまずき」とその原因、解消する方法を紹介します。
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