• Fri. Sep 17th, 2021

2万坪の豪邸から、新居は飯田橋の2部屋アパート! “主婦”になったプリンセスの結婚・離婚・再婚のお相手男性

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

▼前回▼

――ときの皇太子殿下(現・上皇陛下)と美智子さまのご成婚パレードに、複雑な想いを抱いたという旧皇族・久邇通子さん。激動の昭和を生き抜いた元・プリンセスです。民間出身ながら皇太子妃になられた美智子さまと、旧皇族出身ゆえに民間人の男性との結婚もままならない自分……。立場の違いに泣きたくなりそうです。

堀江宏樹氏(以下、堀江) しかし、このまま家で鬱々としていても仕方ないと考えるのが、前向きな通子さんという女性でした。通子さんは「働く女性」となることを決意し、津田義塾で英文タイプを専門的に習いはじめます。後には首席という優秀な成績で卒業、大協石油(現・コスモ石油)に入社したのです。

 いまだ親族から結婚は許されないものの、学習院大学で出会った永岡義久さんとのデートも続いていたそうです。しかし、二人がお付き合いをはじめて5年半もの月日過ぎようとしていました。

 結婚に反対したまま通子さんの父・朝融さんが肝硬変で倒れ、近親者の取り計らいで通子さんと永岡さんの結婚が決まりました。意識不明の父の枕元で婚姻届の用紙を二人で書いたそうです。新居は飯田橋の2部屋のアパートでした。

――2万坪の渋谷の豪邸に生まれたプリンセスの新婚新居としては、侘しいですね……。

堀江 この頃すでに永岡さんはサラリーマンになっていました。通子さんも働きながら、主婦としても一生懸命にがんばるのですが、悲しいことに同居するほど「性格の不一致」は広まり、二人の結婚生活は4年で終わってしまうのです。

――5年半付き合っても「性格の不一致」で離婚ですか……! プリンセスの離婚となると揉めそうですね。

堀江 それが結婚するより格段に難しくなかったようで、その後の通子さんは大井町のアパートに移り、自活を続けたそうです。いくら働く女性とはいえ、女性一人暮らしというものが経済的に厳しかった当時、立派だといえるでしょう。しかも、裕福な結婚相手に恵まれた兄弟姉妹に経済的に頼ることも絶対にありませんでした。

 ちなみに通子さんと別れた永岡さんと思われる男性が、晩年に『もう一度、一緒にあの坂を』(幻冬舎)という書籍を出しておられますね。内容は東京にたくさんある坂と、それにちなんだ文豪の逸話のようです。会社員になった後も文学部で学んでいたことを、忘れなかったようです。

――坂道好きで有名なタモリが読んだら、すごく喜びそうな本ですね(笑)。

堀江 その後、通子さんはとある専門図書の輸入会社に転職するのですが、ここで6歳年下の酒井省吾さんという後輩男性に仕事を教えるうち、彼から慕われるようになります。

――あらら、新しい恋の予感!

堀江 そうなんですよね。ただ、酒井さんは学習院大の学生だった永岡さんにくらべ、本当に庶民的な男性だったようです。愛知県岡崎出身で、お父さんは牛乳販売店を営んでいる方だそうです。上智大学の哲学科出身ですが、入るのに3年浪人……。バイトしながらだったので、勉強時間が取れなかったのかもしれません。

 大学在学中もバイト三昧で、実家からは「月1万円だけ」の仕送りだったとか。ちなみにこれらはすべて通子さんが、河原敏明さんという皇室ジャーナリスト第一号のインタビューに語っていることです。

――昭和30年代ですよね。その頃の1万円ってどれくらいの価値があったのでしょうか?

堀江 僕も気になって調べたのですが、現代の貨幣価値で15万円は超えていると思います。昭和30年代のヒットソングに「13800円」というものがあり、これは後にムード歌謡の帝王といわれたフランク永井さんの最初のヒットソングらしいのですけど、当時の大卒男性の初任給の平均額なんだそうです。

 ……となると、当時の1万円はかなりの大金ということですね。牛乳販売店経営のお父さん、仕送りをよく頑張られたのだなぁと思います。

――酒井さんのパーソナリティーはどんなタイプですか?

堀江 酒井さんは、まじめな学者タイプ。ドイツ語と英語が得意で、輸入業務に生かしていたそうですね。その後、酒井さんと通子さんは急接近していきます。ただ、本当の庶民・酒井さんとの結婚に反対という通子さんの兄弟姉妹は、かなりいたそうです。しかし、長兄である久邇邦昭さんが、彼は「なかなかしっかりした、好感のもてる男性です」と認め、結婚を許可してくれました。

 ところが……ヒルトンホテルで昭和41年に開かれた会費制の披露宴パーティには、久邇家の面々は誰一人参加してくれず、通子さんの学習院時代の友人が1人だけだったとか。酒井さんも、彼のお母さん1人が来ただけで、あとはすべて会社の方だったそうです。

 どうも牛乳屋を営む酒井さんのお父さんとしては、旧皇族の女性とわが息子の身分違いの結婚に大反対だったようだし、そんな方々と親戚づきあいする自信などないというのが本音のようでしたね。

――せっかく再婚となったのに、それは寂しい……。

堀江 結局、昭和50年代に皇室ジャーナリスト第一号・河原敏明さんの取材に応じた時、酒井さんは出版社設立という夢の実現を目指し、失業給付を受けながら暮らしておられた、とのことです。

堀江 それでも通子さんは「人間の幸福が、金や権力だけにあるのなら、上流階級の人たちはみな幸福いっぱいのはずですが、現実はむしろ逆ですね。(略)最高に幸福です。心から満足しているんです」とコメントしていますね。

 本当の幸せを追い求めた通子さんの生涯は、虚栄とは対極の生き方に貫かれていたと思います。ある意味で、生粋のプリンセスらしさの持ち主だったともいえるでしょう。

 ちなみに酒井通子さんは現在もご存命のようです。一方、出版社設立を目指した酒井さんの足あとをその後、ネットでたどることはできませんでした……。

――どうか幸せにお暮らしになっているとよろしいのですが。