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「自己肯定感」は褒められても高まらない? 峯岸みなみ&田中みな実の「結婚して自信を持ちたい」発言は“ちょっと違う”と思うワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今回の有名人>
「私、自己肯定感低いっていうか」元AKB48・峯岸みなみ
『グータンヌーボ2』(関西テレビ)7月13日

 Twitterをやっていると、よく目にする「自己肯定感」という言葉。「自己肯定感を高める」ための書籍は書店にも多く置かれているので、今は自己肯定感ブームなのだろうが、果たしてこの言葉の正しい意味を知っている人は、どれだけいるだろうか?

 7月13日放送の『グータンヌーボ2』(関西テレビ)に出演したタレント・峯岸みなみは、結婚したい理由の一つとして「自己肯定感が低い」ことを挙げていた。「自分で自分をほめるとか、自分を認めてあげるという作業がめちゃ苦手なんですよ」「だから、常に近くにいて『素敵だよ』『カワイイよ』『一番だよ』って言ってくれる人と生涯共にできたらなって願望はあって」と発言していた。文脈から考えると、峯岸の言う「自己肯定感が低い」とは、「自分に自信が持てない」ことであり、だからこそ、ほめてくれる人と結婚して、「自信を持ちたい」と思っているのだろう。

 しかし、「自己肯定感」というのは、心理学的に言えば「自分は優れた存在だと思う、自分に自信を持つ」ことではないそうだ。むしろその反対で、「社会的に優れていない自分、ダメな自分も受け入れる」ことを指すという。峯岸のように「自分のダメな部分を他人にほめてもらうことで自信がつき、自己肯定感が高まる」と信じている人は多いだろうが、これは本来の意味とは少し違う。誰かにほめてもらわずとも、「欠点を含めて自分自身を肯定的に受け止める」ことができれば、自己肯定感があるということだ。

 具体的に、どういう状態を「自己肯定感が高い」と言うのだろうか。精神科医・水島広子氏は『小さなことに左右されない「本当の自信」を手に入れる9つのステップ』(大和出版)において、「一人でいても、誰かから評価してもらなくても、安定した温かい気持ちになれること」「自分はこれでよいのだ」「自分は存在する価値があるのだ」と感じることと定義している。

 例えば、オリンピックの陸上競技で、金メダルを獲得した選手がいたとしよう。ある時、その人がケガをして、二度と走ることができなくなってしまった。もうオリンピックにも出られないし、メダルを取ることもできない。所属していた実業団はやめないといけないかもしれないし、収入も下がるだろう。そうすると、他人からはほめられず、社会的に優れた存在でもなくなるが、それでも「私はこれでよいのだ」と思える状態を、「自己肯定感が高い」と言うのではないか。

 だとすると、峯岸のような方法で自己肯定感を高めようとする時の盲点が見えてくる。「ダメな自分をほめてくれる人がいなくなったら、また自信がなくなる」可能性をはらんでいることだ。「〇〇がいれば、自信が持てる」という“条件付き”の自信や自己肯定感は、ホンモノではないといえるだろう。

 また、同番組MCの田中みな実は、「子どもにとって母親は自分だけだから、めちゃくちゃ子どもがいることで、自己肯定感が高まるかもよ」と発言していたが、彼女も自己肯定感の意味を誤解しているような気がする。小さい子どもは親がいないと生きていけないので、子どもから無条件に必要とされることで、自己肯定感が高まると考えているようだが、上述した通り、「○○だったら」という条件つきで成立する自信はニセモノであり、自己肯定感も高まらないだろう。なので、母親になれば自己肯定感が高まるという田中の理論は、ちょっと違うのではないか。

 その一方で、一般的に「自己肯定感は親から子に与えられるもの」だと言われている。子どもは成長するにつれて活動範囲が広くなり、当然、失敗したり、周囲と軋轢を起こしたりすることもある。そういうときに、家庭が“安全基地”の役割を果たし、「外で何があっても、家に帰れば安心だ」という気持ちになれば、子どもは「失敗しても大丈夫」と思えるようになるはずだ。しかし、親が「失敗は許さない」「これくらいできないようでは、うちの子とは認めない」と言わんばかりの接し方をすると、子どもは「○○ができないと、親から愛してもらえないんだ」と解釈し、自己肯定感が低くなるとされる。

 とはいえ、世の中に完璧な人間がいないとするのなら、完璧な親もいない。そんな親が与える自己肯定感も完璧ではないと考えると、「自己肯定感が低い」というのは、誰にでもあてはまることではないか。「自己肯定感が低いから、生きづらい」「自己肯定感が低いから、恋愛がうまくいかない」という人は多いし、それはあながち間違ってはいないと思うが、これが自己分析だとしたら、少々雑といえるだろう。峯岸や、彼女と同じような悩みを持つ人にとって大切なのは、自己肯定感が高いか低いかではなく、自己肯定感が低いことで、具体的にどんな問題が起きるのか、客観的に考えられることではないか。

 例えば「仕事でミスをした。私は自己肯定感が低いから、すぐに“自分はダメだ”と思ってしまう」と悩む人もいるだろう。その時に、自分について考えるのではなく、「○○先輩はできる人だけど、本当にミスをしていないのか?」「ミスをしないとしたら、なぜなのか?」と視点を外に向けることは、客観的な考えの一つのあり方だ。先輩から学んでミスを減らすことができたら、「自己肯定感が低いから、“自分はダメだ”と思ってしまう」率は下がるだろう。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざは、客観の基本である。

 最近は「自己肯定感は高ければ高いほどいい」というブームを感じるが、自己肯定感が仮に低いとしても、客観性さえあれば補えると思うのだ。

 自己肯定感が低い人にこそ、向いている職業というものもあり、その代表が芸能界などの人気商売ではないかと思う。

 芸能人は一部の大御所を除いて、常に数字を出すことがを求められる。峯岸は、自己肯定感が低いエピソードとして、「人に評価をゆだねるっていう人生を歩んできちゃって」と発言していたが、これが人気商売の基本原則だろう。「私は数字を持っていないけれど、そんな自分も受け入れています」と言う人は、カネを生み出さないので、人気商売には確実に向かない。

 「AKB選抜総選挙」という、少女を極限に追いこんでCDを売るやり方は好きではないが、ファンの評価に身をゆだねるしかない場所で戦い抜いてきた峯岸は、自己肯定感は低いのかもしれないが、同時に非常に芸能人に向いている気がする。その点を客観視できれば、自分を認められ、自己肯定感も上がるのではないか。田中に「暗い」と言われていた峯岸だが、そこも大いなる個性。がんばって活躍していただきたいものだ。