皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――今回からしばらくは、昭和天皇の内親王たちのご結婚事情について、お話をうかがいたいと思っています。かつては皇族がたのお相手選びは宮内庁が大きな権限をもって行っていたんですよね?
しかし、紀宮さまと我々がお呼びしていた時代の黒田清子さんについては、お兄さまがた(現・天皇陛下や、秋篠宮さま)とも親交があった男性・黒田慶樹さんと再会、その1年後にご婚約という流れでのご結婚だったと思います。平成時代にはすでに、宮内庁が(女性の)皇族方のお相手選びに積極的には関与しないようになっていたのでしょうか。
堀江宏樹氏(以下、堀江) そういう傾向はあると思います。それでも、現代日本を騒がせている“小室さん問題”のような規模の大トラブルが、皇族がたの過去のご結婚の際に起きたことは、これまでは「ほぼ」なかったのですよ。
ただ、それは今回の眞子さま・小室さん問題のように大炎上するケースが、過去に一度もなかった「だけ」と言えるのかもしれません。留学先で、その手の問題を起こす皇族がたもおられましたからね。
――とある女性皇族の方が、留学先のイギリスでSNSに大胆な日記を書いていたということが近年、話題になりましたよね(笑)。
堀江 そうですね。ちょっと話題になる程度で、あとは秘密裏に処理されてしまうのが常なのですが。それでも、中には深刻な展開を見せたこともありました。
これは明治時代の男性皇族の悲しいお話です。
1872(明治4)年からドイツ・ベルリンに留学し、軍学を学んでいた北白川宮能久親王という方がおられました。その宮様が、とあるドイツ貴族の女性と恋愛、秘密裏に婚約していたことが明治9年に明らかになったのです。
しかし、日本の皇族と海外の貴族女性の結婚には、明治天皇や朝廷の面々から猛反対があり、能久親王は涙ながらに単身帰国せざるを得なかったという事件がありましたね。
――留学先のドイツに最愛の恋人の女性を残し、日本に帰らざるを得なかった留学生……森鴎外が『舞姫』という小説に書いていた話みたいですね。
堀江 ちなみに明治時代には、オーストリアの皇室にも連なる貴族の男性ハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギー伯爵が、日本人の庶民女性、青山みつと恋愛結婚するというケースもありました。これは男女逆ならあり得なかった気がするのです。
あくまで個人的な見解ですけれど、もし、眞子さまと小室さんの性別が入れ替わっていたとしたら、ここまで大炎上したのかな、とも考えてしまいます。結婚において、女性より男性に高いステイタスを求める傾向って今でも根強いですからね。
ここで思い出したのですけれど、こういう興味深い逸話も昭和時代にありました。昭和天皇の弟君にあたる、三笠宮寛仁親王殿下の第2女・容子(まさこ)内親王が、1973(昭和48)年3月からスイスとフランスにそれぞれ1年ずつ留学なさっていたとき、パリでフランス人青年と恋愛問題をおこされたといううわさですね。
――うわさ、ですか。
堀江 あくまで、うわさです。パリで容子内親王がお暮らしになっていたころ、日本人留学生たちから、フィリップ・ギャル氏という画家の卵の男性を紹介され、一時期、とても親密になったというのです。容子内親王と彼の馴れ初めには異説もありますが、それは後ほど。
容子内親王は、タバコもお酒も豪快に嗜まれることで一時期有名だったのですが、それもすべてギャル氏から教わったそうですよ。
――ギャル氏とは、どんな方だったのでしょうか?
堀江 「週刊新潮」(84年7月5日号)の「三笠宮妃殿下『スイスご訪問』でもう一つの『悪い情報』」という記事によると、人間の顔をかなりデフォルメして描く画風だったそうです。
外見は、記事の写真で見る限り、宗教画のキリストのような長髪にヒゲが印象的。80年代にはすでに絶滅寸前だった“ヒッピー”っぽさもありますね。整ってはいるけど神経質な顔立ち、175センチ程度の身長、物静かな性格だそうです。
――名前はギャルでも中身は陰キャですか。
堀江 容子内親王は、そんなギャル氏を伴侶として意識することはなく、彼をフランスに置いて日本に帰国。裏千家の茶道家元の弟にあたる、千政之さんという日本人男性と結婚なさったのでした。千さんは容子さんより5歳年下です。これまでは皇女の結婚相手は、年上の男性が選ばれるケースが多かったのですが。
しかし、年下の男性との結婚について聞かれた容子内親王は、「私は精神的なレベルが低うございますから」と冗談めかしてお答えになったことも有名になりました。これが83(昭和58)年のこと。
――お相手男性のお家柄も立派ですね。容子さんのコメントも素敵じゃないですか。
堀江 結婚後すぐに容子さんは懐妊なさるほど、ご夫婦仲はとても良いものでした。また、容子さんは茶道の勉強も熱心に始められていました。
ところが、お二人の婚約が発表された同年4月、フランスから例のフィリップ・ギャル氏が来日、三笠宮家に「容子さんと結婚させてくれ」と申し入れて大問題になったそうです。この時、マスコミは気づかず、騒ぐことはありませんでしたが、同年7月頃にはすでに報道関係者に情報は漏れていたそうです(「週刊新潮」84年7月5日号)。
――ええ! 『舞姫』の男女入れ替え版みたいな展開じゃないですか。
堀江 そうなんです。この時、関係者がギャル氏を説得、帰国させることには成功しました。そして、容子さんは千さんと無事結婚なさったのですが、それに不服なギャル氏が“何らかの要求を行い”……つまり、自分の気持ちを弄んだ保証を金銭でしてほしいというようなことを言い出した、と。
――それは手切れ金みたいなことですか? なかなか大胆な要求じゃないですか。
堀江 そのうわさに真実味を与えたのが、この年の7月……具体的には84(昭和59)年7月6日~24日までの19日間、完全プライベートのスイス旅行に三笠宮百合子妃がお行きになったことです。当時、スイス・ジュネーブには三笠宮ご夫妻の長女で、近衛家に嫁がれた甯子さんとそのご家族が滞在されておられ、みなさんにお会いになるための旅行……という説明が公式にはなされました。
――公式には、というと?
堀江 はい。そもそも、皇族がプライベートの海外旅行を行うこと自体が、過去に例がほとんどなく、旅先についての宮内庁のアナウンスも怪しかったのです(笑)。百合子妃が「フランス、イタリアにも足を伸ばされるかもしれない」などと発表されていましたから。
また、この百合子妃のスイス訪問の約2カ月前のこの年5月、「なぜか」容子さんの夫君である千政之さんが、これまたお供も連れず、単独でフランス・パリに「外務省関係の用事で」旅行しているのです。
本当に外務省の仕事なら、単独旅行はありえないはずと、裏千家関係者の間で話題となりました。ここから見えてくるのは、当初は容子さんの夫君・千さんが、妻の元カレであるギャル氏に面会、「妻や、その実家にもう関わらないでください」と頼んだけれど、ギャル氏が納得しなかったので、今度は母親の百合子妃がフランスに乗り込み、くすぶり続ける問題の火種を鎮火した、という“ストーリー”です。
――なんだか大変な話ですが、どの程度ウラは取れていたのでしょうか?
堀江 うーん、どうでしょう。一番面白いのは、容子さんの姉君である近衛甯子さんが、ギャル氏とおぼしき男性をスイスで見たことがある……つまり、ギャル氏と容子さんのご縁は、容子さんがパリに留学する以前に滞在していたスイスに彼がやってきた時、すでに始まっていたのかも、と両者の関係を認めつつも、「失礼ながら、その方なら容子の好みではないと思いますよ」と、うわさをバシッと全否定しておられるのです。
――お姉さまもギャル氏と面識があるんですね。でも付き合ってはないと。
堀江 一方で、当時フランスに留学していた匿名の日本人画家は、ギャル氏と容子さんの「付合いの深さは相当なもの」と断言。苦学生だったギャル氏と仲間たちにとって容子さんが「金ヅル」で、貧乏学生たちが容子さんを「プリンセス、プリンセス」と持ち上げ、飲み代を払わせていたことを証言しているのでした。
ほかにもギャル氏が容子さんとの写真を持っており、どうやら人に見せていたことがわかる証言もあります。その写真は「かなり親しげ」で、他にも公開されると、まずい情報をギャル氏に容子さんは握られてしまっていたのかも……という話なのですね。
――眞子さまが小室さんと破談できないのも、破談なんてしたら彼から不都合な情報が公開される恐れがあるからでは、という説もよく囁かれますよね。
堀江 そういう話は、皇女の恋愛や結婚にはつきものなのでしょうか。ちなみにギャル氏は1983年にも来日し、銀座の「都留満喜」画廊というところで3日だけ個展を開いたそうです。そこに婚約したばかりの容子さんが訪れたとのうわさも。婚約後の身で、元カレの個展に訪れたので「ヒンシュクを買った」という話もありますが、何らかの交渉をご自分で行おうとしていたのかもしれません。
ただ84年以降、ギャル氏の影は三笠宮家の周辺から完全に消えたらしく、週刊誌にもその名が上がるようなことはなくなったようです。そもそも、百合子妃がギャル氏にお会いになったなどのウラがないため、すべてが推測ともいえますが、母宮の勇気が愛娘を守った……なんて“ストーリー”も想像してしまいますね(笑)。
――ギャル氏のその後は?
堀江 フランス語で「ギャル」という読み方の姓名をいくつか検索してみたのですが、フィリップ・ギャルという画家の情報は、ネット上では見つけられませんでした。また、現在、銀座に「都留満喜」という画廊はどうやら閉廊したらしく、そこから情報をたどることも不可能でしたね。
――誰にでも恋愛関係のトラブルって起きうるものですが、それが皇女という特別な身分ゆえに生じていたとすると、なんだか理不尽だな、と思ってしまいました。