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「モテ」から脱却した美容業界の新たな懸念とは 長田杏奈さんインタビュー

ByAdmin

7月 31, 2021

 一昔前までメイクは基本的に女性がするものであり、美容においては「モテ」という言葉が、ファッション誌、テレビ番組、広告……など至る所で当たり前のように見られました。しかし最近では、誰かから好かれるための美容ではなく、“自分を大切にする”という概念がプッシュされたり、男性がメイクをするようになったりと変化が見られます。

 ここ数年の美容業界の変化や、脅迫的な美容から脱出するために必要なことについて、美容ライターの長田杏奈さんに話を聞きました。

長田杏奈
1977年神奈川県生まれ。ライター。雑誌やwebで美容記事やインタビューを手がける。著書に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)、責任編集に『エトセトラ VOL.3』(エトセトラブックス)。

「ルッキズムや性差別に染まらないこと」と「体毛を剃る」ことの整合性
——ここ数年の美容業界についてどのような変化を感じますか。

 海外のダイバーシティ&インクルージョンの潮流がいよいよ日本にも到来したと実感したのは、2017年にシンガーソングライターのリアーナが立ち上げた化粧品ブランド「フェンティ・ビューティ」が40色のファンデーションを展開した影響を受けて、一部の日本のコスメブランドが、ベースメイクの色展開を増やしたあたりからです。

 SNSの影響などもあり、世界で“カッコいい”とされている価値観が入って来やすくなったと思います。

 2019年に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)を書いたときには、若さに価値を置く「アンチエイジング」や、不特定の男性の好みとされる像に合わせて容姿を整える、いわゆる「モテ」概念などがメインストリームとしてあり、違和感を感じていました。この時は、カウンターとして「自分を大切にする美容」や「セルフケアとしての美容」について書いていました。

 ですが、最近は女性ファッション誌やビューティー誌の表紙にある言葉も「ご自愛」「ありのままの自分」など、オシャレや美容は自分のためという方向にシフトしてきています。昨年からは新型コロナの影響で家で過ごす時間が増えたからか、美容だけでなくライフスタイルとしても「自分を大切にする」という概念が重視されるようになりました。

 雑誌やwebメディアの企画の立て方を見ていると、「モテ」という概念が「今っぽくない」という認識が行きわたっているようです。私が関わったある雑誌の企画に「モテ」という言葉が含まれていたときには、担当者さんからわざわざ「これは『自分モテ』って意味です」と説明されたり、今では「モテ」という概念が恥ずかしいような感覚があるようにも感じます。

 グローバルな変化に影響を受けて、国内ブランドも広告などのコピーを変えています。代表的なのは花王が「美白」という言葉を使わなくなったことです。花王は化粧品部門ですと、カネボウ化粧品を吸収した国内では大きな企業ですよね。そういった大企業が「美白」という表現をやめたことは、大きな変化だと感じています。花王がやめたならうちもやめようと、後に続く企業やメディアも多いのではないでしょうか。

——脱毛も賛否が分かれる分野ですが、ここ数年で変化はありましたか。

 二極化していると感じます。ボディポジティブやフェミニズムの文脈では、毛を剃らない選択肢があることが明示されたり、脇毛を伸ばしたり染めてみたりする人がいたり、貝印が「ムダかどうかは、自分で決める」と広告を打つなど、「伸ばしてもいい」「あえて生やす」というスタイルが肯定的な文脈で語られるようになってきました。

 一方で、巣ごもり需要とともに家庭用脱毛器の売り上げが急上昇していますし、新型コロナの影響で広告に使える予算が減っている企業もあるなか、東京では電車に乗れば脱毛広告が必ずといっていいほど掲示してあります。つまり、脱毛業界では広告に費用をかけられるだけの利益が出ているということですよね。

——特に最近はVIO脱毛がプッシュされている気がします。

 20代に話を聞くと、VIO脱毛をしていること自体珍しくなく「身だしなみ」という感覚になっているようです。「全身脱毛プランに含まれていたから、なんとなく」みたいな声も聞きます。一方で、40代以降では、VIO脱毛に対しては「性的に奔放」という偏見が根強くあり、2015年~2016年頃にVIO脱毛が話題になり始めたときには「そこまでやるんだ!?」と面白がるような反応が多かったものです。最近は「陰毛が白髪になる前に済ませよう」みたいな同世代も多いです。

 個人的には、「将来の介護のためにVIO脱毛をする」という潮流には疑問があります。脱毛は安いとは言えない費用がかかるうえ、それなりに痛みもあります。介護される歳まで生きているのかも不明なのに、主に女性ばかりが「将来人に迷惑をかけないために今の自分を加工する」という考え方にも共感できません。

 ちなみに、隠毛には、デリケートゾーンを摩擦や乾燥や冷えから守る役割があります。だからこそ、蒸れや熱がこもるのが嫌だという人もいるだろうし、経血などがついて不潔に感じるから嫌だという人もいますね。

 必要があって生えている毛ではあるので、「デメリットがある」と脅しをかける文脈ではなく、「そうしたいから」とか「つるつるの方が気持ちがいいから」とか、自分本位で選択できるように変化してほしいですね。

——周りの話を聞いていると、他人の毛は気にならないし「毛は剃るべき」という考えからは脱却したいが、自分に生えている毛は気になってしまうといった悩みを持っている人も少なくないようです。

 そうした悩みは、イベントに登壇した時のQ & Aコーナーですごく多く寄せられます。私は、「自分に毛があるのが気になるならば、ストイックにイデオロギーを当てはめず、日々の心地良さを優先してもいいのでは」と考えていて、それも自分を大切にするひとつのあり方ではないかなと思います。

 「人のことをジャッジはしないけれども、自分の毛が気になる」というのは、毛が生えている自分が嫌なのか、毛を生やしていることで、誰かに見咎められたり何か言われたりするのが面倒なのかによっても話が違ってきますよね。後者の場合、「人の外見について無闇に意見しない」という社会の共通認識の不足が原因で、個人の選択が狭まっているのは問題です。

 今はまだ「女性が人目につくパーツの体毛を生やしたままにする」という行為は、「メッセージ性のある運動」として行われる側面が多いように見受けられます。本来放っておいたら生えてくる自然なものなのに、生やしている人の方が少数派な現状だと、処理しないことがメッセージになる。女性の体に向けられた規範の根強さを感じます。

——大手化粧品企業や女性誌の世界は変わりつつありますが、一方で、旧来の「モテ」を意識しながらオシャレをしたりメイクをすることも、選択肢のひとつではありますよね。

 そうですね。私自身は美容そのものが好きだからやっていることなので、「モテたいんでしょ」と決めつけられるとカチンとくるものの、モテたいために美容に力を入れるがいること自体は個人の選択。こと女性の置かれた社会状況を踏まえると、ある意味仕方がないことだとも思っています。

 日本の男女間賃金格差はOECD加盟国の中でも大きく、現状、生涯賃金を考慮すると女性一人で生きていくのは経済的に不安定な面もある。ベーシックインカムや平等な収入や雇用の機会が整っているならばまだしも、女性一人の収入で生きることのモデルが見えづらい社会で、愛されるために異性にアピールをすることを、一方的に馬鹿にはできないです。

 就活や婚活など、ライフプランの選択の場面で美容を取り入れて立ち回らないといけないことは切ないことですが、その渦中にいる人を責めることはできません。「やめろ」の矛先は好印象を与えたりモテようとしたりしている女性ではなく、「マナー」や「モテ」の恐怖心を煽っている企業や、婚活市場において選ぶ側だと思っている人、社会的な不均衡に向けられるべきではないでしょうか。

 一方、「イタい」はすぐになくせる概念だと思います。「イタい」は「こういうものが普通であって、それから外れることは浮いてしまう、恥ずかしい」という意味で使われますが、そういう「普通や常識から外れてはいけない」という考えは変わってきていると思います。この話が通じる年代と通じない年代があるのですが、私の周りにそういった葛藤を抱えている人は減ってきていますし、「○○だとイタい」みたいな発信も減っていると感じます。

男性に向けられるようになった「美しすぎる」「かわいすぎる」
——メンズメイクなど男性の美容への注目も高まっていると感じます。この流れはいつ頃から始まったのでしょうか。

 変化を感じたのは「BOY CHANEL」や「FIVEISM × THREE」など、大きなブランドがメンズコスメを出し始めたときです。以前までは、メイク好きな男性は女性向けに作られたものを使っていましたが、「男性もメイクを楽しむ」というコンセプトで色々な商品展開が始まったのが、2018年頃だと記憶しています。現時点では、「自分を綺麗にして楽しむ」ような自己表現というよりは、髭を剃ったり眉を整えたりするグルーミングの延長で、「清潔感のあるデキる男に見せる」といった身だしなみの側面が根付きつつある印象です。

 今までは「男は中身で勝負」「男性なのに美容をするのは恥ずかしい」といった価値観が漂っていて、男性向けのスキンケアがあっても「男ならさっぱり!」「とにかく油を取る!」といった具合で、やけにメントールが効いた化粧品も多く、ヒリヒリして肌に合わない人もいたと思うんです。

 そんな中、メンズコスメの選択肢が増えて男性が美容に関心を向けることによって、自分の肌と向き合ったり「良い香りのするものを使ってみたい」など、心身の心地良さを追求するきっかけになればと期待しています。自分の感覚と向き合うセルフケアの習慣は、いわゆる“有害な男性性”の解消に繋がるのではないかと。

——美容広告で男性が起用されることも増えてきました。

 「推し需要」を当てにし過ぎているきらいもありますが、ジェンダー規範を崩すという意味では肯定的に見ています。ただ今度は、「美しすぎる〇〇」のように女性に対して使われなくなった言葉を、男性に対して用いる場面も見られるようになり、注意深く観察しています。

 女性に対して「清潔感のためにはファンデーションが必要」と言ったら物議を醸すと思うのですが、男性に対しては言えるような空気ができてしまっている。

 現状、メンズメイクや美容に積極的な男性の方が少数派ですが、それが多数派になったときに「メイクしてないなんて非常識」「いまどき美容に興味ないなんて男として終わってる」など、女性が言われてきたことを繰り返してしまわないかと……。美の規範を遠慮なく押し付けてしまうのは、女性が感じていたのと同じ窮屈さを再生産してしまうだけになるのではと心配しています。

 あとは、美容広告に起用されるのが、「みんなが憧れる人気の美しい女性」アイコンの独壇場だったところに、「みんなが憧れる人気の美しい男性」アイコンが加わっただけではまだ道半ばという気がします。別世界の綺麗な人への憧れだけで引っ張るのではなく、もっとリアルな像を通して市井の人が自分の姿に誇りを持てるようなビジュアルが出てくるといいのかなと。

コロナ収束後に美の価値観はどう変化するか
——今後、美容業界にどのような変化を望みますか。

 今は新型コロナウイルスの影響で化粧品の売り上げが落ちていますが、収束したとき、どういった空気になるかまだ想像できないでいます。海外ではマスクをしなくなってから、化粧品の売上が前年比の約1000%に上がったという国も。日本では長らくマナーや身だしなみ、清潔感といったものに紐づけてメイクを強制されてきたので、盛り上がるとしたら「マナー復活!」ではなく、自己表現として楽しむ意味で盛り上がるといいなとは思います。

 これからの時代に罪悪感なく美容を楽しむためには、脅しや規範での販売促進から脱却する必要があります。美容を強制する方向では、ユーザーを幸せにできないですし、あくまでもやりたい人が選び取るものであってほしい。「このままじゃダメらしい」というのはここ数年の変化からみて、日本のメーカーもメディアも理解していることだと思うので、今後はハンドルを切った方向の精度を上げていくことがポイントになるでしょう。多様性やダイバーシティ、SDGsやサステナビリティなどの大きな言葉で方向性を掴んだ次の段階では、それを具体的に実践したり小さなジレンマに誠実に向き合うことが必要です。

——脅迫的な美容によって自尊心を削られない社会にするために、個人としてはどんなことができますか。

 私は美容は楽しいものだと思っているので「楽しいよ! もしよかったら一緒に楽しもう」というスタンスなのですが、同時に染みわたったルッキズムには、抵抗しなければならないと思っています。

 「目で何も感じてはいけない」とか「誰かを綺麗だと思ってはいけない」、「見た目を装ってはいけない」という話ではないんです。

 美こそが人間の価値であるかのように喧伝したり、信頼関係や容姿に対して言及し合えるような関係性が築けていない中で、見た目を蔑んだりいじったりはもちろん、軽々しく容姿に言及してはいけないとか。本来は能力を見るべき場面で、見た目を偏重して差別的な扱いをしてはいけないとか。そんなに難しいことじゃないはずなんです。そういうのを、一人一人が意識するだけで全然違うと思います。もっと言えば、メディアとか学校や職場で、ガイドラインを作ったり話し合ったりできるといいですね。

 また、ご時世的にはオンラインコミュニケーションの工夫で、ビジュアル依存を避けることもできると思います。例えば、オンライン会議やイベントは当然のようにビデオオンで行っていますよね。でも、「自分を見せたくないときは見せない」という選択肢があってもいいと思うんです。「何のために顔を見たいのか」というと、「人となりを知る手がかりにしたい」「表情からどういうことを考えているのか読み取りたい」という目的があるのかな思います。そこをちょっと妥協して、視覚に依存しすぎないコミュニケーションの習慣をつけることも、人の外見を気軽にジャッジする癖から離れられそうですよね。

 脅迫的な美の価値観を植えつけた方が簡単に利益が得やすい部分もあり、美容業界にも既存の美の価値観をプッシュするようなバックラッシュが出てくるかもしれません。これをコロナ禍が収まって意識が外向きになってくる時期にいかに戻さないか。

 繰り返しになりますが、大きなスローガンを掲げて雰囲気で切り抜けられる局面は終わりつつあり、今後はもっと細かいすり合わせや繊細なコンテンツが必要とされています。個人レベルでは既存の価値観を好む人がいるのは仕方ないですが、全体的に脅迫的な美意識や保守的なジェンダー規範が正しいといった方向に戻されないようにしなければという思いです。

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