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  • 土. 7月 27th, 2024

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明日あなたが被害にあうかもしれない

実在の事件を忠実に描いた人気韓国映画『殺人の追憶』、ポン・ジュノが劇中にちりばめた“本当の犯人”の存在

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『殺人の追憶』

 韓国現代史には「3大未解決事件」と呼ばれる凶悪な犯罪事件がある。1986年から91年まで京畿道(キョンギド)・華城(ファソン)一帯で10人の女性がレイプ・殺害された「華城連続殺人事件」、91年に5人の小学生がサンショウウオを取りに行くと家を出たあと行方不明になり、11年後に白骨化した遺体が発見された「カエル少年失踪事件(事件当初、誤ってサンショウウオではなくカエルと伝えられたため、このように呼ばれた)」、同じく91年、ソウルで男子小学生が誘拐されたが、数十回に及ぶ犯人とのやりとりにもかかわらず身代金のみを奪われて逮捕に失敗、男児が1カ月後に遺体で発見された「イ・ヒョンホ君誘拐殺害事件」である。

 韓国社会を震撼させたこれらの事件はすでに時効を過ぎているが、現在に至るまでたびたびテレビで取り上げられ、ドラマや映画のモチーフになってきた。映画化作品だけでも、華城連続殺人事件は『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督、03)、カエル少年失踪事件は『帰ってきて カエル少年』(チョ・グマン監督、92、日本未公開)『カエル少年失踪殺人事件』(イ・ギュマン監督、11)、イ・ヒョンホ君誘拐殺人事件は『あいつの声』(パク・チョンピョ監督、07)が挙げられる。未解決事件に対する国民の関心の高さが見て取れるが、これらがなぜ「未解決」なのかは、事件当時の初動捜査ミスや証拠捏造、誤認逮捕など、警察側の体制の問題や未熟な科学捜査技術なども問題だったというのが、世間一般の認識である。

 ところが2019年、突然舞い込んだ1本のニュースが韓国全体を驚愕させた。華城連続殺人事件の真犯人が特定されたというのだ。犯人の名前は「イ・チュンジェ」で、94年に義妹をレイプ・殺害した罪で逮捕、無期懲役の判決を受けて現在も服役中。最初の事件からは33年もの年月がたってついに、事件は解決を見せたのだ。すでに時効を迎えているため法的に彼の罪を問うことは不可能なものの、警察はあきらめずに唯一の手掛かりとされていたDNA捜査を続け、そのかいあって犯人特定に至った。警察側の技術や体制も、さすがに進歩していたようである。

 このニュースによって再び注目を集めたのが、ポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』だった。公開当時の監督のコメント「犯人は必ず捕まる」「忘れないことが犯人への懲罰になる」が再び取り上げられ、刑事役を務めたキム・サンギョンも最近「事件がようやく終わったことで、被害者や遺族が少しでも慰められることを願う」とコメントを出した。映画の再上映が相次ぎ、映画で描かれた犯行内容や犯人像がかなり実態に迫っていたことも話題となった。ちなみに真犯人は刑務所内でこの映画を見たそうだが、「別に何も感じなかった」と話したという。

 今回のコラムでは、『パラサイト 半地下の家族』でいまや韓国の国宝ともうたわれるポン・ジュノ監督の出世作となった『殺人の追憶』を取り上げ、映画と実際の事件を照らし合わせてみるとともに、映画の中で監督が描き出そうとした「韓国」についても考えてみたい。

<物語>

 1986年の京畿道・華城。田園風景の広がる田舎の用水路で、レイプ・殺害された若い女性の遺体が発見され、同様の犯行が相次いだことで一帯は恐怖に包まれる。地元警察はク・ヒボン課長(ピョン・ヒボン)のもと、刑事パク・トゥマン(ソン・ガンホ)とチョ・ヨング(キム・レハ)、そしてソウル市警からやってきたソ・テユン(キム・サンギョン)が加わり、捜査に当たることに。「勘」に頼るパク刑事と、書類などの証拠に基づき綿密な捜査を進めていくソ刑事は、ことごとく衝突する。そんな中、パクは知的障害を持つクァンホ(パク・ノシク)を容疑者として逮捕するが、現場検証で彼は犯行を否定、自白も捏造によるものだったことが判明し、ク課長は罷免される。

 後任のシン・ドンチョル課長(ソン・ジェホ)のもと、再び捜査は振り出しに。「雨の日」「赤い服を着た女性が犯行の対象」という共通点からおとり捜査を試みるも、犯行はやまず、刑事らは窮地に追い込まれていく。女性警察官のギオク(コ・ソヒ)が見つけたもうひとつの共通点から、新たな容疑者パク・ヒョンギュ(パク・へイル)が浮上するが、彼は犯行を全面否定。刑事らは動かぬ証拠を手に入れるために、最後の一手に打って出るが……。

 およそ6年間にわたる連続レイプ・殺人事件の発生から未解決のままの現在(製作当時)までの全貌に迫った内容の本作は、同事件を題材にして評判を得ていた演劇作品『私に会いに来て』(キム・グァンリム作・演出、96年に初公演)を原作にしている。舞台ではひとりの役者が複数の容疑者を演じているのに対し、ポン監督は原作の良さを生かしつつ、リアリティを強化して犯行を再構成、さらにコミカルな要素や政治的隠喩も盛り込んで、骨太なエンターテインメントに仕上げた。映画は「韓国映画史上最高のスリラー」と絶賛を博し、デビュー2作目にして520万以上の観客を動員する大ヒットを記録、今や誰もが認める国民的な俳優ソン・ガンホと、ポン・ジュノの「名コンビ誕生」を世に知らしめた作品でもある。

 それでは、実際の事件の推移と、映画の展開を具体的に見ていこう。事件は86年に4件、87年に2件、88年に2件、90年に1件、91年に1件と、合わせて10件が起きた(ただしこれは華城に限ってであり、真犯人のイ・チュンジェは、ほかにも複数の犯行を犯している)。86年に起きた4件のうち2人の遺体が用水路で発見されたこと、犠牲者が着用していたストッキングや下着が犯行に使われていたという共通点は、映画でも冒頭部分で象徴的に描かれている。また映画にも組み込まれた「赤いワンピース」という共通点は、4人目の犠牲者が赤いワンピースを着ていたことから後に「赤いワンピースの女性が狙われる」とのデマが一時広まったことに由来している。

 だが当時の警察は、最初の4件の関連性を認めず、個別の事件として捜査に当たったという。「連続殺人事件」の概念や認識がろくになかった時代だったとの説もあるが、2年後にオリンピックを控えていたこの時期、地元警察が全斗煥(チョン・ドファン)軍事政権に忖度して事件の矮小化を図ったからではないかともいわれている(オリンピックというものは、いつの時代、どの国でも、多かれ少なかれ厄介な存在だ)。全斗煥軍事政権という時代背景は、本作でもいくつもの場面でさりげなく挿入されているが、それについては後で取り上げる。

 事件が連続殺人として認められ、本格的な捜査が始まったのは87年、6人目の犠牲者が出てからであった。頼りにならない警察に対する地域住民たちの抗議や反発、メディアの報道によって世論が悪化すると、事の深刻さを認識した警察もやっと本格的に動きだしたというわけである。だが当初からのずさんな捜査のせいで、犯人逮捕につながるような証拠はほとんどなく、捜査が難航するのは必至だった。こうした背景は、映画の冒頭で子どもたちが事件現場を駆けずり回り、耕運機が犯人のものと思われる足跡を消し去る場面で風刺されている。

 警察が右往左往している間にも、犠牲者は後を絶たなかった。焦った警察は何人もの容疑者を逮捕し、拷問してウソの自白をさせたり、証拠を捏造したりと強引な捜査を繰り返した。こうした警察側の醜態はのちに明らかになり、容疑者たちは釈放、責任者は罷免されたりもした。だが容疑者とされた人々の中には、拷問の後遺症で精神を病み、線路に飛び込んで自殺した者や、拷問中の暴力で脳死状態になった者など、悲惨な結末を迎えた人も少なくない。

 容疑者の中で唯一「犯人」とされ、無期懲役の判決を受けて20年もの間収監されていた人もいる。88年、8件目の犯人として逮捕された彼は、真犯人が特定されたことで再審を請求し無罪判決を受けた。さらに驚くべきなのは、真犯人であるイ・チュンジェ自身も3度にわたって容疑者として取り調べを受けていたことである。だがその都度、血液型や足跡が一致しないことから逮捕には至らず、警察は犯人逮捕の機会を逸し続け、さらなる犠牲者を生むことになったのである。

 もうひとつ、映画のクライマックスとして描かれる事件とその容疑者についても触れておきたい。映画では90年、9人目の犠牲者となった女子中学生の殺害事件について、犯行の手口や残忍な死体損壊、DNA鑑定の不一致による釈放まで、ほぼ忠実に再現している。映画では、犯行日に必ずラジオ番組に同じ曲をリクエストしていたという手がかかりから、容疑者パク・ヒョンギュが浮上、頑として認めない彼と刑事たちの攻防、そしてDNA鑑定の結果は……という形で描かれるが、実際の容疑者も拷問によってウソの自白を強いられたとメディアに主張し、警察はまたも世論に叩かれる事態となった。

 確かな証拠を示すため、警察はDNA鑑定の手段に出たわけだが、当時の韓国警察にはDNA捜査の技術がなく、採取したDNAと容疑者のものを日本(映画ではアメリカ)の捜査機関に依頼、結果は「不一致」で容疑者釈放となるのは映画で描かれた通りである。91年、10人目の犠牲者を最後に華城での連続殺人は止まったが、翌92年、ようやく韓国でも本格的なDNA捜査が導入された。当時としては間に合わなかったものの、その後はDNAデータベースも構築、過去の未解決事件の証拠品からDNAを採取して捜査をし、さまざまな事件で逮捕された犯人たちのDNAを蓄積していった結果、今回の真犯人特定に至ったことは確かである。

 現在、事件の正式名称は華城の住民たちの要望により「イ・チュンジェ連続殺人事件」に変更されている。

 このように映画は実際の事件をかなり忠実に取り入れ、警察側の実態を正確に描いたうえで、それをスリリングにシニカルに、コミカルさも混ぜながら非常に魅力的に描き出しているわけだが、決してそれだけで終わらせないのがポン・ジュノ監督である。ここからは、事件の背景にある「全斗煥軍事独裁政権」の時代が、映画の中にどのように盛り込まれているか、監督がそこにどのようなメッセージを込めているかを考えてみたい。

 前面には出てこないものの、この事件が全斗煥政権下で起こっていることは映画の細部の描写で的確に表現されている。例えば、この地を通る全斗煥「大統領閣下」の歓送のために女学生たちが動員される場面(そこに突然大雨が降りだす描写で、新たな事件と犠牲者の予感が喚起される)、パク刑事の部下であるチョ刑事も駆り出されて暴力的にデモ隊を鎮圧する場面、また86年に起きて国民の怒りを買った「ソウル大女学生性的拷問事件」の首謀者であるムン・ギドン元刑事逮捕のニュース、そして何度も登場する「民間防衛訓練」と「灯火管制」である。北朝鮮との対立がまだまだ生々しかった当時は、学校で定期的に防衛訓練を行い、夜間の訓練時には灯火管制が敷かれたことで犯罪件数も増えたとされている。これらの場面が軍事独裁政権の暴力性や抑圧を喚起しているのはもちろん、映画全体を覆う「暗さ」や「雨」もまた、時代の雰囲気を出すために作り手側が意識的に用いている表現である。

 なかでも、キャラクターとしてこの「時代」を具現化しているのが、常に暴力を振るっているチョ刑事である。軍用ジャンパーと軍靴に身を包んだ彼は、まさに軍事政権の暴力性の象徴であり、彼はその軍靴でデモ隊を踏みにじるのである。だがそんな彼が、ケンカの最中に靴の上から釘を刺され、放置していた結果、破傷風になって足を切断する羽目になるエピソードはとりわけ隠喩に満ちている。切断手術が行われる日、病院でパク刑事に渡された同意書の日付には「1987年10月20日」と記されている。

 そう、いつの間にか映画の時間は軍事政権が実質的に倒れたあの87年6月の民主化闘争の後に移行していたのだ。軍事政権が国民に屈服し、歴史から「退場」せざるを得なくなったのと同様、この場面を最後にチョ刑事も物語から「退場」するのである。こうした演出にはどのような監督の意図があったのだろうか? 連続殺人事件と軍事政権時代が決して無関係ではないことを喚起させるためではないかと、私は思う。

 全斗煥は光州で大量虐殺を犯したにもかかわらず、国家の最高権力者になった。その後も政権維持のため、政権に反発したり抵抗したりする人々を排除し続けてきた。街から組織暴力(ヤクザ)を一掃し更生させるという建前で、実は大勢の学生運動家や反政府的なジャーナリストを強制的に入隊させ、閉鎖的な環境で好き勝手に暴力を振るった軍組織「三清教育隊」が代表的な例だ。軍事政権への抵抗を試みた罪なき人々が、どれほど連行されては殺されたことだろうか。

 私は軍隊時代、何度も軍用道路の整備に動員されたのだが、時に地中から骸骨や骨が出てきて驚いたことがある。当時の部隊長が「おそらく三清教育隊に入れられた人のものだろう」と言ったことも鮮明に覚えている。実際88年には韓国国防省が、三清教育隊によって「死亡者54名、後遺症による死亡者397名、精神障害などの障害者2,678名」が発生したと発表している。これはまさに国家権力による「連続殺人事件」だったのだ。

 薄暗い地下の取調室で容赦なく行われる暴力と、真っ暗な田舎の夜道で起きる殺人という暴力は、本質的には同じである。虐殺という暴力で権力を手にした者が、「正義社会実現」を政権のスローガンとして大々的に宣伝し、「暴力」が「正義」に化けてまかり通っていた時代。それが、この連続殺人事件の背景である。レイプと殺人で邪悪な欲望を満たしたイ・チュンジェを生み出したのは、暴力で自らの欲望を満たした権力者が支配していた韓国社会そのものではなかったか――ポン・ジュノ監督が何度もさりげなく、象徴的に時代の状況を本作の中に入れたのは、「正義」に化けたあらゆる「暴力」を我々は忘れてはならない、さもなければ(国家・個人レベルでの)「連続殺人」はいつでも起こり得るというメッセージを伝えるためではないだろうか。

 事件は終わりを告げた。だが「忘れない」こと、それが私たちの権力や暴力へのまなざしとなるだろう。

 ポン・ジュノ作品から読み取れる政治性に関しては、これまでのコラム『グエムル―漢江の怪物―』と『パラサイト 半地下の家族』も、ぜひ参照していただきたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。


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