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「子育てがつらくてたまらなかった」お酒への依存が原因で離婚、新しいパートナーは「断酒会」で出会った男性

ByAdmin

8月 6, 2021 #コラム, #再婚, #離婚

人生、何度でも、いくつになっても、やり直しができる。間違えても大丈夫、もう一度、立ち上がって生きていこう!――そんなメッセージを込めてお送りする連載「2回目だからこそのしあわせ〜わたしたちの再婚物語」では、失敗を糧にして「結婚」に再チャレンジし、幸せを手にしつつある人たちの物語を紹介していく。

発達障害が原因でお酒に依存

 「1回目の結婚は、私のお酒の問題が原因で破綻してしまいました」と、中田照子さん(仮名・66歳)。

 照子さんと元夫は照子さんが42歳、元夫が35歳のとき、趣味のサークルで知り合って結婚した。実は当時から照子さんは、お酒に依存していた。あとからわかったことだが、照子さんにはADHD(注意欠陥・多動症)という発達障害があり、仕事や人間関係でうまくいかないことが多かった。

「ミスが多かったり、場違いな行動をとってしまったりするので、浮いてしまうんです。そのころはまだ、大人の発達障害は知られておらず、『どうして私はこうなんだろう』と情けなくなる気持ちを、お酒で紛らわしてしまっていました」

 一方、元夫も、彼の父親によると「息子はASD(自閉スペクトラム症・アスペルガー症候群)」。思い込みが強く、こうと決めたら引かないところがあった。コミュニケーションに課題を抱える2人が結婚したものだから、けんかが絶えず、照子さんはますますお酒に逃げ込んだ。

「ファミレスなんかで食事をしても、私がちゃんぽんでどんどん飲んで、ベロベロに酔っ払うものだから、元夫はあきれ果てていました。元夫は下戸で、甘いワインをちょっと飲むくらい。そんなに飲む私を『理解できない、付き合いきれない』と言って、出先に置いて帰られたりもしていました」

子育てのつらさから飲酒を再開、離婚を言い渡される

 40歳過ぎて結婚したから、子どもはそれほど期待していなかったが、一応、不妊治療をしていた。46歳になり、『さすがに無理だよね』とやめた途端、なんと自然妊娠。47歳で娘を出産した。

「相変わらずけんかは多かったけど、子どももできたし、頑張って夫婦をやっていこうと思いました」

 初めての子育ては、思った以上に大変だった。とにかく体がキツかった。帝王切開の傷がなかなか治らず、出血が続いていた。母親は亡くなっており、父親は76歳と高齢で、頼れる親族もいなかった。

「子育てに悩み、区役所や児童相談所など、いろいろなところに相談に行きました。子どもが1歳半から保育園に週2回、2歳からは週5日、預けられるようになったのですが、私には、子育てがつらくてたまらなかった」

 妊娠中から授乳中までの間は、さすがにお酒をやめていた。が、あまりのストレスに、照子さんは再びお酒を飲み始めた。

「お酒を飲んで、勢いをつけてからでないと、育児ができないんです。子どもが言うことを聞かなくてイライラして飲む、怒鳴ってまた飲む。子どもに手を出してしまったことがあり、怖くなって児童相談所に相談したら、『一時的に施設に預けてはどうか』と言われました。私は、休めるものならいったん育児を休みたいと思い、子どもを預けることに同意してしまいました」

 それを知った元夫が怒った。「児童相談所に預けるくらいなら、実家に帰って俺が育てる」。同時に、離婚も言い渡された。

「ここで離婚されたら、子どもの親権は元夫にいってしまう。それはいやだと思って、『なんとかやり直したい』と頼みました。私の父親、元夫の父親も呼んで話し合いの末、元夫と子どもは夫の実家に帰って別居すること、私がお酒の問題を解決し、きちんと子育てができるようになったら同居を考えることが決まりました」

 夫の実家は新幹線の距離で、気軽に行き来することはできない。子どもには定期的に会いたいと思い、照子さんは元夫の実家の近くにアパートを借りて引っ越した。

 なかなかやめられないお酒をやめるために、大学病院の精神科にかかった。CT検査をしたところ、脳の萎縮が進んでいた。

「素人目にもわかるほど、脳が縮んでいたんです。当時49歳でしたが、医師は『これは60代の脳だ』と。『すぐにお酒をやめないと痴呆になる』と言われ、怖くなってしまい、その日からお酒をやめました」

 照子さんは、派遣で仕事を見つけて働いた。子どもとは元夫も一緒に、週末などに会っていた。学校行事にも参加し、子どもが小学校高学年になって放課後の学童保育が使えなくなると、週に2回ほど照子さんの家に帰宅。夜になって元夫が迎えに来て実家に連れ帰るという感じで、子どもと関わることができていた。

 とりあえず、穏やかな日々が続いていたが、照子さんが、もっとたくさん子どもに会いたいと考え、元夫に無断で学校行事に参加したことから、関係性が悪化した。「面会交流を増やしたい」と調停を申し立てたことにも、元夫は腹を立てた。なかなか子どもと会えなくなり、照子さんにはつらい時期だった。子どもが「お母さんと暮らしたい」と言ってくれたこともあったが、元夫の反対でそれはかなわず、別居から8年後、離婚が成立した。子どもとは、たまに会ってプレゼントを渡すなどの交流が続いている。

 脳のCT画像を見て以来、キッパリとお酒をやめた照子さんだが、常に「いつか飲んでしまうかも」という不安を抱えていた。市の施設に掲示されていた断酒会のお知らせを見て、連絡してみた。断酒会とは、お酒の問題を抱えた人たちによる自助組織で、同じ悩みを持つ人たちが互いに理解し合い、支え合うことを目的としている。

 照子さんはここで、いまのパートナーとなる男性と知り合った。

「断酒会に行ってみようと電話をしたとき、対応してくれた男性で、とても親切で感じがよかった」

 「一度、見学に来てください」と言われて行ってみたら、アルコール依存で悩んでいる人やその家族などが、20〜30人くらいいた。順番に自分の体験談を話したりしていて、照子さんも自己紹介を求められ、いままでの経緯を話した。断酒会では、どんな話も聞き合うだけで、批判や否定はしない。なかなか人に話せないでいた悩みを打ち明け、そのままを受け入れられる経験が、照子さんの心を、ほっとほぐした。照子さんは、断酒会への参加を決めた。

 男性は照子さんと同じ歳で、やはり自身がお酒の問題を抱えていた。結婚、離婚を経験していて、大学生の娘と一緒に住んでいた。やさしく穏やかな人柄で、ひとり暮らしの照子さんを気遣って、時々車で送り迎えなどしてくれた。

 とはいえ、そのころ照子さんはまだ既婚者だったから、一線を越えた付き合いではない。相談相手としての関係だった。

「子どもとの面会の回数が少なくなったり、元夫が離婚を求めてきたりしたときは、相談にのってくれました。面会交流調停の調書を書くのを手伝ってくれたこともあります。すごくよく書けていて、そのおかげで月2回・時間制限なしで子どもに会えるようになったんです」

 8年前、照子さんが58歳のときに離婚が成立。照子さんは男性と付き合い始めた。

 一緒に住むことはしなかった。互いの家を行き来したり、外に食事に出かけたり。大人同士の静かな交際を続けていた。

 一緒に暮らし始めたのは、いまから4年前、男性の大腸がんが見つかって、手術をすることになったからだ。

「退院してもそうすぐには動けないから、初め彼はヘルパーさんを頼むなどして乗り切ろうと思ったらしいんです。でも、『それなら私が行くよ』と。そこから、彼の家に住み始めました」

 いまのところ共同生活は、うまくいっている。照子さんは物事をはっきり言うほうで、男性は言いたいことをのみ込んでしまうタイプ。元夫とはすぐに応戦になったが、男性には照子さんを包み込む包容力がある。照子さんがキャンキャン言うのを、うまくなだめてくれている。

 一方で、照子さんも、病を抱えた男性の心細さに寄り添っている。互いに60代半ばを過ぎ、一緒に暮らす人がいる安心感は計り知れない。

「子どももいるので、籍を入れることはしません。でも、このまま一緒に、穏やかに年を重ねていきたいと思いますね」
(上條まゆみ)

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