ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子名誉会長が、8月14日に肺炎のため、都内の病院で亡くなったことがわかった。93歳だった。2019年に亡くなった実弟のジャニー喜多川氏(享年87)とジャニーズ事務所を支え続けたメリー氏との別れに、ジャニーズファン内外から悲しみの声が多数上がっている。
ジャニーズ事務所は同17日、公式サイトに「名誉会長 藤島メリーに関するご報告」を掲載。「弊社名誉会長 藤島メリーは、2021年8月14日午前7時35分、肺炎のため都内病院におきまして、永眠いたしました(享年93歳)」と報告すると共に、「創業以来、メリーはジャニーが生み出したタレントを支えてまいりました」「ジャニーズのエンターテイメントそのものが共に成長し、お楽しみいただける場所であることに情熱を注いでまいりました」などと、これまでの功績を紹介していた。
数多くの国民的アーティストを輩出するジャニーズ事務所だが、ジャニー氏とメリー氏は共に、表立ってメディアに登場する機会はほとんどなかった。そんな中で、15年1月発売の「週刊文春」(文藝春秋)にメリー副社長(当時)が登場し、業界内外に衝撃が走ることに。
メリー氏は記者から事務所内でささやかれる“派閥問題”について聞かれ、これを完全否定した上で、SMAPと嵐が共演しない理由を「SMAPは踊れないじゃないですか」などと説明。また、当時SMAPのチーフマネジャーを務めていた飯島三智氏を呼びつけて、「(ジャニーズのトップは)近藤真彦です」と答えさせる場面もあり、ジャニーズファンから恐れられるようにもなっていった。
その一方で、所属タレントから語られる「メリーさん」は、「お母さん」「母親的な存在」など、温かく優しい印象を与えるものが多い。また、タレント発掘や育成に力を注ぎ、成果を出したジャニー氏を支える存在として、メリー氏は経営や営業能力に優れていたとの証言もある。
実質的に事務所を動かしてきたといえるメリー氏とは、一体どんな人物なのだろうか。元ジャニーズタレントたちが語った「メリーさん」の話を振り返りながら、知られざる素顔に迫ってほしい。
(編集部)
(初出:2015年2月7日)
元ジャニーズたちが語ったメリー喜多川「恐ろしい女傑」「営業能力は神業」「営業能力は神業」でした」
「週刊文春」1月29日号(文藝春秋)に掲載された、ジャニーズ事務所副社長メリー喜多川インタビューは、ラスボス感あふれまくる内容で、ものすごい存在感だった。これまで発表された、ジャニーズを語る書籍の数々にも、メリーさんに関する描写は時折登場する。文春インタビューの迫力と同じく、
<タレントの少年たちは、皆、ジャニーさんは優しい人で、メリーさんは恐い人だと思っていた>
と、70年代を中心に活躍したソロタレント豊川誕が、著書『ひとりぼっちの旅立ち』(鹿砦社)で振り返っている。
北公次著『さらば!! 光GENJIへ』(データハウス)には、こんなくだりがあった。あるAV女優が、田原俊彦との関係を告白した。すると後日、監督と女優を呼び出したうえで、
<メリー喜多川は、話の途中で隣室に待機していた田原俊彦の親衛隊の少女7人をいきなり呼び付けて、女優の顔をよく見せて知人かどうか確かめさせたらしい>
女の情報を漏らしたのが誰なのか確認したのか。<さすがに恐ろしい女傑である>と続けている。過去にあった北自身のスキャンダル報道も、人気が下降してきたための話題づくりとしてメリーさんが仕組んだのではないかと推察している。
<そう言えば、あの一件ではメリーさんしか知らないことばかりがあったのだから>
と振り返っている。すごいな、メリーさん。
ジャニーズ事務所の、実質的な経営者はメリーさんだとよくいわれる。ジャニーズ本にも、そういった記述が多い。
<だいたいジャニーというのは名ばかりの社長で、実権はメリー喜多川が握っているのだから>(『さらば!! 光GENJIへ』)
<タレントの発掘や育成はジャニーさん担当、事務所の経営、タレントの管理はメリーさん担当、などとよくいわれます>(『ジャニー喜多川さんを知ってますか』江木俊夫/小菅宏・KKベストセラーズ)
<メリーさんのすごさは営業面だ。あれだけ大勢の、それも秒刻みのスケジュールを持つタレントをかかえて、まったくトラブルなく回していけるメリーさんの営業能力は、ほとんど神業に近いものといえる>(『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』大沢樹生・カンゼン)
表に立つ弟・ジャニーさん、裏から支える姉・メリーさん。“執権”とか“摂政”とか、社会科で習った言葉が浮かんでくる。また、豊川誕はメリーさんを<怒り役のお父さん>、そしてジャニーさんが、<怒られた少年たちを慰めるお母さん>と表現している。元フォーリーブス・江木俊夫も、
<どちらかというとジャニーさんは女性的心理、メリーさんは男性的心理で物事に対処します。そのバランスの中で二人の世界が構築されていったのが、ジャニーズ事務所の歴史といえるでしょう>
と書いている。メリーさんがお父さんポジションで、ジャニーさんがお母さんポジション。そう考えると、仕事面での関係性もわかりやすい。
とはいえ、愛情をたっぷり注がれるタレントにとっては、メリーさんは、第2のお母さんでもある。「文春」記事で個人的に好きだったのが、事務所から独立したトシちゃんが、いまも、「ハーイ、マミー!」とやってくるというくだり。ここからも、メリーさんの慕われ具合はうかがえる。
メリーさんを、母のように信頼していたというジャニーズたちの記述は多く、
<わたしにとってメリーさんは母親的な存在でした。仕事のことから私生活まで、メリーさんにはなんでも相談していました>
と江木俊夫が語れば、
<勝手な行動ばかりしていたアイドル時代だったが、そんな僕を叱ってくれたのは、いつもメリーさんだった>
と、豊川も言う。そして、複雑な家庭環境に育ったという光GENJIの諸星和己もまた、
<ジャニーズ事務所の副社長、メリーさんの中に母親的なものを求めてしまったのも、たぶんそんな俺の家庭環境がさせたのだろうと思う>(『くそ長〜いプロフィール』・主婦と生活社)
と、メリーさんを母のように慕い、また
<俺はメリーさんには、ジャニーさんと違って一目置いていた。俺に向かって発する言葉が的確なのだ。それにはいつも感心させられた>
と絶大な信頼を寄せる。そこは、あれだけ著書でジャニーズ事務所とジャニーさんをディスりまくった北公次だって、
<お世話になったメリーさんの前にでるとおれは何も言えなくなってしまった>(『光GENJIへ』・データハウス)
と、根底にはリスペクトがある。時に父であり、時に母であるメリーさん。そりゃ最強に決まっている。
諸星や大沢樹生、光GENJIのメンバーが脱退や解散の決意を告げに行くのもジャニーさんではなくメリーさん。
<辞めたいと告げたとき、メリーさんはそれほど驚かなかった。あんたのことだから、いつかはそう言うと思っていたとメリーさんは言った>(『くそ長〜いプロフィール』)
大沢もまた、
<俺が悩んでいることを一番最初に見抜いたのは、やっぱりメリーさんだった。俺が社長室にメリーさんを訪ねると、メリーさんは(やっと来たか)という表情を浮かべ>(『昨夜未明、大沢樹生が死にました…』)
2人ともなんだか恋人が別れ話を切り出すみたいな書きぶりでもある。マザコンというか、メリコンなのか、みんな。
そして、江木俊夫はメリーさんの存在の重要性について、こう書いている。
<ジャニーさんがいなければタレントは発掘されません。でも、メリーさんがいなければ、事務所の経営は成り立たないのです。とくに経営が困難な時期にこそ、実務的手腕をそなえているメリーさんの存在が必要不可欠といえるでしょう>
ジャニーさんとメリーさん。これからもますますお元気でありますよう。
(太田サトル)