先日、東京・新宿駅近辺の店で食料品を万引きして女性店員に捕まり、警察に引き渡されて微罪処分とされた男が、釈放後に小田急線の電車内で包丁を振り回す通り魔事件がありました。供述によれば、警察官によるヤサカク(居住確認)後、逮捕者である女性店員に殺意を抱いて再度新宿に向かったものの、閉店していることに気付いて予定を変更。電車内の座席にいた女子大生をはじめ、無関係の乗客数名を切りつけ、持参の油を車内にまいて放火を試みるなど、一歩間違えば大惨事になりえた事件です。
どうやら男は、生活苦から万引き常習者に成り下がっていたようで、報道によれば初めて捕まったことが凶行のトリガーになったとされています。私自身、新宿の現場に入ることもあるため、タイミングさえ合えば、いつ遭遇してもおかしくない状況にあったと言っても過言ではなく、まるで我がことのように恐怖を感じました。男を捕まえた女性店員の気持ちを察すれば、運よく被害に遭わなかったとはいえ身が凍るような思いをされたでしょうし、自分の行為が凶行につながったと責任を感じておられるかもしれません。万引き犯に対する声かけという正当な行為が、なんら落ち度のない無関係の人に対する凶行へ繋がったことが衝撃的で、とにかく許せない気持ちでいっぱいです。被害に遭われた皆様の心身が、一日も早く回復されるよう、心より祈念いたします。
昨年に引き続き、今年のお盆休みも政府の一貫しない政策により出かけることができず、亡夫のお墓に花を供えたほかは、休みを返上して現場に出ました。今回は、お盆期間中に捕まえた罰当たりな万引き犯について、お話ししたいと思います。
当日の現場は、東京の外れに位置する大型スーパーT。大きな霊園が近くにあるため、お盆期間中はお墓参りグッズの特設コーナーが設置され、出入口脇にはお供え用の生花が値段別に並びます。この日の勤務は、午前10時から18時まで。店長不在のため、どことなくさかなクンに似た副店長に挨拶を済ませて現場に入ると、1時間も経たないうちに目を引く不審者が店内に入ってきました。一見して、70歳くらいでしょうか。赤茶色のカーリーヘアと白塗りの顔に真っ赤な口紅が印象的な喪服姿の老女です。
(あのおばあちゃん、やる気バリバリね)
老婆の姿が目に入った瞬間、その顔つきを見て犯行に至ることを確信しました。どう説明したらいいのかわかりませんが、万引きする人の顔、そのものだったのです。
店内における行動を見守れば、店に入ってすぐの青果売場でマスクメロンと巨峰、それに梨をカート上のカゴに入れた老女は、すぐそばにあるお盆の特設コーナーで足を止めました。そこで落雁や最中、羊羹、線香、ジェットライターなどをカゴに入れると、それらを整理しながら酒売場の通路に入り、缶ビールとカップ酒を2本ずつカゴに追加して出口へと向かって歩いていきます。
(このままカゴヌケするつもりなのかしら)
いつ出られても対応できるように間合いを詰めると、出入口脇に並ぶ生花売場で立ち止まった老女は、一番値の張る花束(1対、3,000円)を花桶から抜き取りました。やけに周囲を気にしてからまもなく、生花を片手に持ちながらカートを押す老女が早足で外に出たので、その後を追って声をかけます。
「お店の者です。そのお花、持っていったらダメですよ」
「ひっつ!」
「カゴの中のモノも、お支払されてないですよね。事務所でお支払いいただけますか」
「いや、レジで払いますから、大丈夫です。あたし、どうしちゃったのか、うっかりしちゃって。ごめんなさい……」
そう誤魔化すと、カートを回して店内に戻ろうとするので、カートを押さえながら改めて事務所への動向を求めます。
「声をかけちゃっているので、事務所でお願いします。申し訳ないけど、うっかりで済む話じゃないですよ」
「ちがいます。払うつもりで……」
「どこで払うつもりだったんですか。この先にレジはないですし、後ろ振り返りながら出てきて、そんな言い訳は通らないでしょう」
「ちがう、ちがうの! トイレに行きたかっただけなのよ」
追手を振り払うべく、見た目以上の力でカートを振り回した老女は、私が離さないとみるや、持っていた花束を振り上げて私の手を叩いてきました。さほど痛みは感じませんが、あまりの振る舞いに、自然と怒りが込み上げてきます。
「ちょっと、いいかげんにしてください。大ごとになっちゃいますよ」
「離して、もう漏れちゃう」
老女の袖口を掴んで、しばし揉み合っていると、カートが倒れてしまい、カゴの中の商品が路上に投げ出されました。
「そんなに暴れたら危ないですよ。落ち着いて」
「だれか、助けて。お店の人に乱暴されているんです」
おそらくは野次馬の誰かが通報してくれたのでしょう。転んだときに備えて、割れてしまったワンカップ酒のガラス片を足で散らしながら店に引き返そうとする老女を必死に引き止めていると、徐々に近づくサイレンの音が聞こえてきました。
「もうパトカー来るから、それまでじっとしてて」
「あんた、偉そうに、なによ。こんな乱暴して、訴えてやるからね」
「はいはい。カメラもたくさんついていますし、お好きになさってください。こちらもしっかりとやらせていただきますから」
出口前に横付けされたパトカーから警察官が降りてくると、被害者ぶった顔をした老女が、あの人に乱暴されたと私を指差しました。みんなで事務所に行き、二手に分けられたうえで事情を話すと、地面に散乱した商品と彼女の犯歴から状況を飲み込んでくれた警察官が、早速に防犯カメラの検証を始めてくれます。
「出入口の防犯カメラに全部映っていたので見てきたけど、乱暴されたっていうより、あなたが逃げようとするのを、保安員さんが制止する感じでしたよ。実際は、どうなの?」
「いや、トイレに行きたくて……」
「そんなこと聞いてないよ。お金は、払ったの、払ってないの、どっち?」
「……払っては、ないです」
出入口の真上に設置された防犯カメラの存在を知らされ、途端におとなしくなった老女は、これをきっかけにすべてを認めてくれました。警察官と一緒に話を聞けば、この店の近くに家族と住んでいるという老女は、年金暮らしの74歳。複数の犯歴があるそうで、前回捕まった時、次にやったら逮捕すると脅されていたことを思い出して暴れてしまったと話していました。今回の被害は、計15点、合計9千円ほど。これから自宅で義母の法要があるそうで、早く帰らないと旦那に叱られると、財布から取り出した1万円札を震える手で握り締めています。
「これ全部、お供えするつもりで?」
「置いておくだけで捨てちゃうものだから、お金払うのがバカらしくて」
「盗んだモノで供養するなんて、仏さんも、さぞかし居心地悪いでしょうね」
「いいのよ。ひどく意地悪な人だったから……」
そのまま事務所内で手続きを進め、ガラウケに家族を呼んでもらうと、まもなくして老女の旦那さんと娘さんを名乗る2人が喪服姿で迎えにこられました。
「このまま、お前の葬式をやってやりたいくらいだよ」
家族2人に見下ろされ、体をすぼめてうつむく老女の姿は痛々しくも、お義母さんの気持ちを思えば同情する気にはなれません。この人自身の葬儀や法要は、どんなものになるのだろう。そんなことまで想像してしまった私も、きっと意地悪な女です。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)