“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
今野八重子さん(仮名・56)の両親は2年前まで元気に農作業をしていたが、母の昌子さん(仮名・78)が認知症を発症した。父の次郎さん(仮名・79)が家事や介護をしていたが、農業も続けられなくなったうえに昌子さんのトイレの失敗が増えるなどして、苛立ちが募るようになった。
様子を見に実家に通いたい今野さんに、夫は「介護は同居する嫁がすべき」と言い、今野さんにも同居する弟夫婦への遠慮があり行きづらい。葛藤を抱えながら過ごしていた。
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田舎にホーム選びの選択肢はない
それから半年ほどのち、昌子さんの状況が変わった。有料老人ホームに入ることになったのだ。
「母のおもらしが増えて、家中が臭くなり、とうとう弟が我慢できなくなったんです。リハパンを穿かせても気持ち悪いようで、脱いでしまう。そして、そのまま何も穿かないでウロウロしてはおもらしをする。それを見て、父が母を怒鳴る。デイサービスの準備もできない……と、皆が限界になってしまったんです」
ホーム探しはそう苦労しなかったという。実家近くにホームは1カ所しかなかったからだ。
「家から近いのが条件だったので、迷うことなくそこに決めました。いろいろ比較して悩めるのは都会の話。贅沢な悩みですよ」
都会ではないからか、利用料金もそう高くないのは幸運だった。月額20万円ほどで、農地の一部を売った資金で賄えば数年はもつ計算だという。
しかし、ホームに入った昌子さんはあっという間に今野さんの顔がわからなくなった。コロナ禍でもあり、面会時間は15分だけ。娘のことを忘れてしまった昌子さんと会うのは、複雑な思いがある。
「ホームに入るということを母がどれくらい理解していたかはわかりません。ショートステイに行くくらいの気持ちだったんじゃないでしょうか。時々帰りたいと言っています。ホームにいるうちに要介護3になったので、早く特養に移したいと思っているのですが……」
父がアクセルとブレーキを踏み間違えた
昌子さんに苛立っていた次郎さんはどうしているのか――今野さんに聞いてみると、表情を曇らせた。
「実は、父も認知症じゃないかと怪しんでいるんです。記憶がはっきりしないことが増えましたし、何より心配なのは車の運転です。先日、孫と一緒にラーメンを食べに行ったらしいのですが、アクセルとブレーキを踏み間違えたというんです」
今野さんもショックを受けたが、次郎さんが一番ショックを受けたようだった。追い打ちをかけるように、弟は「免許を返納しろ」と怒鳴った。弟の怒りも無理はないと言いながら、今野さんは次郎さんに同情する気持ちもある。
「弟は私にも父に車の運転を辞めるように言ってくれと言うのですが、田舎なので車がないと何もできなくなるんです。通院や買い物も一人では行けないので、私には父から車を取り上げることはできません」
次郎さんは昌子さんがホームに入ったので、再び米づくりをする気でいる。
「父は農業が生きがいなんです。少々記憶が悪くなっていても、長年農業をやってきた父なら米づくりもできるでしょう。トラクターを運転するためにも免許は必要なので、なおさら免許を返納してとは言えないんです」
今野さんは逡巡する。そして、夫にイヤな顔をされながらも、たびたび足を運んできた実家に行く回数も減りがちになってきた。
「父には申し訳ないのですが、母が家にいなくなると実家への足も重くなってしまいました。時々父の昼ご飯を買って、顔を見に行くのが精いっぱいです」
弟夫婦は働いているので、日中は次郎さん一人だ。食事も相変わらず、弟家族とは別にしているという。
「父は食べ慣れない若い人向けの食事はイヤだと言うし。それでもコンビニ弁当よりはいいと思うんですが」
今となっては、両親が弟家族と同居していてもあまりメリットはなかったと思う。
結局、母親がいるところがふるさとだったのだろう。実家に行きたくない気持ちを奮い起こすように、実家近くに住んでいる友達と会う約束をしてから実家に行くようになった。
「何か楽しみがないと、つらくて……」
結果的に、今野さんが実家に足しげく通うのを嫌がっていた夫に従う形になってしまった。「皮肉なものですね」とさびしく笑った。