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昔はオシャレだった年上男性との恋愛~『クルーレス』『トレインスポッティング』における問題含みな「カッコよさ」

ByAdmin

Sep 11, 2021

 1990年代半ばというと25年ほど前です。たいして昔ではないように思えますが、この頃の映画やテレビドラマを見ていると、たまに今の感覚だとちょっと違和感を抱いたり、ビックリしてしまったりするような描写が見受けられることがあります。それで作品の価値が毀損されるわけではないのですが、「今ならこういう作り方はしないだろうなー」と思うところがある名作というのは意外とあります。

 今回の記事では、ティーン向けロマンティックコメディの有名作『クルーレス』(1995)と、90年代のイギリス映画の中でも最も影響力があったと思われる『トレインスポッティング』(1996)をとりあげてみたいと思います。全く色合いの違うこの2本にどういう共通点があるのか……? と思うかもしれませんが、どちらにも「カッコいい十代の女の子が年上の男性と付き合っている」という描写が出てきます(他にもボイスオーバーの凝った使用など、様式上の共通点はいくつかあるのですが)。これはたぶん90年代にはよくある展開だったのだと思いますが、現代の英語圏の映画ではなくなってきている要素だと思います。そのあたりに分け入ってみましょう。

『クルーレス』のシェールとジョシュ
 エイミー・ヘッカーリングが監督・脚本をつとめた『クルーレス』はジェーン・オースティンの『エマ』(1815)が原作です。本作は古典をアメリカの学園ものにアップデートするブームを作った嚆矢となる作品です。ティーン映画の名作として現在もよく知られており、とくにヒロインである16歳のシェール(アリシア・シルヴァーストーン)のファッションは今でも人気です。2014年にはイギー・アゼリアとチャーリーXCXの楽曲「ファンシー」のビデオが本作のオマージュとして作られました。G.V.G.V.は2014年春夏コレクションのヒントをこの映画から得ており、また2021年5月にはヒップドットからコラボ化粧品も発売されています。

 『クルーレス』はリッチでオシャレなブロンドの女の子はバカだというステレオタイプに沿うようでそれを綺麗にひっくり返しており、当時のベヴァリーヒルズで暮らす若者たちの話し方をうまく取り込んだ台本も機知に富んでいます。たぶんユダヤ系であるヒロインのシェール・ホロヴィッツ(ヘッカリングはヒロインをユダヤ系にするつもりはなかったようですが、名前がユダヤ系なのでそう見なされています)とアフリカ系の親友ディオンヌ(ステイシー・ダッシュ)がメインキャラクターで、この当時の映画にしては人種に多様性もあります。典型的な「ヒロインのゲイ友」キャラクターが出てくるなど、ちょっとステレオタイプなところもありますが、今でも楽しめる作品だと言えるでしょう。

 シェールは美人でお金持ちで性格も良く、人気者で学園の女王のような立場にあるのですが、この手の映画のヒロインとしては珍しく、ボーイフレンドがいません。ファッションに厳しいシェールは同級生の男の子たちを汚い格好でセンスのない子供っぽい連中だと思っており、ほとんど興味を示しません。やっとシェールの心を捉えたオシャレなクリスチャン(ジャスティン・ウォーカー)は結局、ゲイだとわかります。そんなシェールが最後に選ぶのは義兄で大学に行っている弁護士志望のジョシュ(ポール・ラッド)です。ジョシュはシェールの父メル(ダン・ヘダヤ)の前妻の息子で、2人の間に血縁はないのですが、一応兄妹として家族付き合いをしています。

 今ではアントマン役ですっかり大スターとなっているポール・ラッドが若々しくて好感度が高いので見ている間はあまり気にならないのですが、大学に行っている年齢の、しかも義兄と16歳の女の子が付き合うのがハッピーエンドというのは、今だとけっこう妙な話と受け取られるだろうと思います。2人の間に性交渉があるかどうかは明示されていませんが、シェールとジョシュのキスは物語のクライマックスでロマンティックに描写されています。原作の『エマ』でもヒロインのエマとジョシュにあたるナイトリーは義理の兄妹で、年齢が違うのに昔からお互いをよく知っているという設定なので、おそらくそれを現在に移し替えようとしたと思われます。

 私はこの映画をイギリス文学の授業でよく学生に見せているのですが、ここは注意を促すようにしています。90年代にはこういうふうにイケてる女の子が年上の男性と付き合うのがもてはやされるようなこともあったけれども、今は性別や性的指向にかかわらず、大学生が高校生と付き合い始めるのは大人としての責任にそぐわないということを付け加えています。そもそも今の若者は触れているカルチャーや育ってきた家庭の形によってはこういう恋愛は近親相姦っぽくて「キモい」と思うかもしれないので、90年代にはこういうのはキモい扱いではなかったのだ、と説明することも重要です。

『トレインスポッティング』のダイアンとレントン
 ダニー・ボイル監督の作品である『トレインスポッティング』の主人公で、20代半ばでドラッグ依存症のレントン(ユアン・マクレガー)は、クラブでお酒が強くてきっぱりした態度のダイアン(ケリー・マクドナルド)に一目惚れし、声をかけます。ダイアンはナンパ慣れしていないレントンをリードしてその夜、2人は関係を持ちますが、翌朝、ダイアンがまだ中学生か高校生くらいの年齢だとわかります(原作ではダイアンは14歳で、映画では15~16歳くらいに見えます)。レントンは性交同意年齢以下の女の子を成人女性と勘違いして性関係を持ってしまったことに怯えて逃げようとしますが、ダイアンは自分たちの関係を警察に言うと脅してレントンとの関係を続けます。

 ここでポイントになるのは、通常、成人男性と未成年女性の関係として観客が思い描くものと、レントンとダイアンの関係は逆になっているということです。成人男性が未成年女性を脅して関係を持つとか、あるいは成人男性が未成年女性を引っ張るという状況を観客は想像しがちですが、ここでは性関係を始終ダイアンがリードしており、レントンはむしろ自分よりも「大人」な態度のダイアンに惹かれています。さらに法律違反だと思って肝を冷やしているレントンをダイアンが脅して関係を続けています。

 これは非常に曖昧で、複数の解釈が可能な描写です。十代の女の子がやたら成熟していて成人男性に積極的にアプローチしてくるという点では男性の性的ファンタジーを描いているとも言えます。一方で、物怖じしない若い女性に対して成人男性が怯えてしまうという立場の転倒は、よくある性的な支配・被支配の関係を逆転させた諷刺とも読むことができます。

 この曖昧かつ問題含みな関係に2010年代らしい形でオチをつけようとしたのが、『トレインスポッティング』の20年後に同じキャストで作られた続編『T2』(2017)です。この作品では、中年になってエディンバラに里帰りし、シックボーイことサイモン(ジョニー・リー・ミラー)が起こした法的問題の尻拭いをすることになったレントンが、弁護士として成功しているダイアンに再会します。もともとミドルクラスの家庭で良い学校に行っていたらしいダイアンは立派な弁護士になっており、女連れのレントンにいろいろ法的アドバイスをします。ダイアンは最後にレントンが連れているヴェロニカ(アンジェラ・ネディヤルコヴァ)について、「あなたには若すぎる」とコメントしますが、これはダイアンが前作でレントンから言われた、ダイアンは自分には「若すぎる」というコメントを裏返したものです。

 『T2』は、十代の頃から性的に活動的だったダイアンのほうがレントンよりもずっと安定した人生を築いている様子を見せることで、若い頃から恋愛やセックスのことばかり考えている女の子は成功するわけないとか、他のことに興味がないというようなステレオタイプを裏返しています。全体的に『T2』は、女たちは若いうちから自立しているのに、男たちは中年になってもそれこそタイトルの『トレインスポッティング』が象徴的に示唆しているように、行き過ぎる列車を見ているだけでどこにも行けないというふうに描かれています。ダイアンは計画的に列車に乗りましたが、レントンは乗り遅れました。

 続編との間に20年の間隔があるとは思えないほどマクレガーとマクドナルドの間にはケミストリがあり、『T2』のダイアンとレントンの再会の場面は非常に好評でした。カットされた2人の場面が公開されたこともあって、第一作以来のファンからはレントンとダイアンこそカップルとしてくっつくべきなのでは……という声もあがりましたが、そうはなりませんでした。これは人生はそんなにうまくいくわけではないということを表現するためである一方、未成年のセックスや脅しが絡んだ問題含みな状況で若い時に出会った2人が今さら焼けぼっくいに火がついて……というのはあまりにも1990年代的だからでしょう。

いまはもう90年代じゃない
 こうした作品からわかるのは、1990年代半ばにおいては、十代の賢い女の子はなんとなく同年代の男の子を子供っぽいとバカにしていて、やたら早く大人になろうとしており、知的に対等な関係で恋愛すべく、少し大人の20歳過ぎくらいの男性と付き合いたがるものだ、という考えがあったらしいということです。

 インターネットを通した子供に対する性的搾取などが問題になっている現代に比べると、「いやいや同年代にもまともな子がいるでしょ、そういう子と付き合っては?」と思いますが、25年前はまだ十代の青少年の性行動に対してやや楽観的に接することができた時代だったのでしょう。女の子のほうが男の子に比べて早く大人になろうとするという描写は90年代半ばにはガールパワーの表れのひとつだったのかもしれませんが、今だとちょっと男女を違うものとしてとらえすぎているようにも感じられます。2021年の視点だとこういう「カッコいい女の子」観は時代遅れで、むしろ危険な人権侵害や不必要な男女の差異化を誘発しそうな描写に思えますが、25年ほど前にはそういうのもありだったのです。

 『クルーレス』や『トレインスポッティング』は名作だと思いますし、シェールやダイアンのキャラクターの面白さに文句がつけられるわけではないと思いますが、昔の映画を見る時にはこうした「今ならこれがカッコいいというのは無いよなー」という視点を持つのは重要だと思います。私がとくに1990年代にシェールやダイアンと同じくらいの年齢だった女性として肝に銘じておきたいのは、こういう子供の時に憧れていた描写に今でもなんとなくノスタルジアを抱いてしまって感覚がアップデートされないのはまずい、ということです。

 今でもこういう十代の女の子が年上の男性に憧れるというようなコンテンツは日本で作られていますが、25年くらい前の感覚でその再生産を続けるのは時代遅れと言えるでしょう(ひょっとすると、そういうコンテンツを見て育った私くらいの年齢の人たちが再生産しているのかもしれませんが)。90年代のシェールやダイアンはカッコいい子でしたが、2021年にはまた別のカッコよさがあるはずです。それを考えながら今ここにある映画を評価するのが重要でしょう。

参考文献
アーヴィン・ウェルシュ『トレインスポッティング』池田真紀子訳、青山出版社、1997。

ジェーン・オースティン『エマ』上下巻、工藤政司訳、岩波書店、2002。

北村紗衣「「シンデレラストーリー」としての『じゃじゃ馬ならし』――アメリカ映画『恋のからさわぎ』におけるシェイクスピアの読みかえ」『New Perspective』45 (2015):35–49。

Austen, Jane, Emma, ed. James Kinsley, Oxford University Press, 2003.