コロナ禍でミニシアターの危機やハラスメント問題が可視化された日本の映画業界。こういった問題は昔から脈々と受け継がれていたが、コロナ禍で配信プラットフォームの勢いが加速し、劇場の存続に危機感を感じた映画人が、これを機会に様々な声を上げるようになった。
そんな背景で、今年の7月に日本映画業界のジェンダーギャップ・労働環境・若手人材不足をリサーチ、議論、提言を行う団体「Japanese Film Project(JFP)」が、映画監督の歌川達人氏、ジャーナリストの伊藤恵里奈氏、SAVE the CINEMAなどの活動でも知られる映画監督の西原孝至氏の3人によって立ち上がった。
Japanese Film Project
JFPのオフィシャルサイトを見ると、2000-2020年の21年間で劇場公開された「興収10億円以上の実写邦画796本」のうち女性監督作品は延べ25本(3.1%)、21年間で製作された大作映画における女性監督の割合は32人に1人、などという統計がシンプルでわかりやすいグラフで表されている。
このオフィシャルサイトを見た時の筆者の感想は、「やっとできたか!」というものであった。なぜなら、これまで海外と日本の女性監督の割合を比較しようにも、日本の映画業界のジェンダーギャップについて、業界の団体は何の数字も出していなかったからだ。ジャーナリストとしてJFPの存在は非常にありがたい。
だが、設立メンバーのひとり、歌川氏によると、JFPの目標は映画業界だけではなく“社会”を変えるものだという。歌川氏に、JFPや日本の映画業界について話を聞いた。
歌川達人
1990年生まれ。北海道出身。映像作家・アーティスト。主にドキュメンタリーのフィールドで活動する。立命館大学映像学部卒業後、フリーランスとしてNHKの番組やCM、映画の現場で働く。短編『時と場の彫刻』がロッテルダム国際映画祭2020、Japan Cuts 2020などで上映。Japanese Film Projectの発起人。
―JFP設立のきっかけは?
2018年にアムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭で、アラブ系の映画人たちが自国の映画に関する情報を分かりやすい数字でプレゼンテーションをしていたのを見て、驚きました。Mapping Arab Docs「DATA IS BEAUTIFUL」というタイトルで紹介されていたのですが、本当にデータ資料が美しく、分かり易くて印象的でした。
#MeToo以降、映画祭の選考委員や映画人(監督・キャスト・スタッフ)における男女平等を推進する運動や調査が世界中で進んでいて、様々なデータがビジュアルで広く共有されています。ですが、日本ではそういった研究がまだ進んでいません。
JFPのメンバーのひとりである、ジャーナリストの伊藤恵里奈さんは、現在、南カリフォルニア大学(USC)にてフルブライト奨学生として映画やジェンダー・差別について研究しています。USCがハリウッドで実施したジェンダー調査を参考にしつつ、日本でも研究者の協力を得ながら日本映画業界にマッチした調査研究を実施したい。そして、社会的なムーブメントにつなげたいと思いました。
なぜ、ダイバーシティ&インクルージョンが進まないのか?
―ハリウッドは#MeTooが後押しして、インクルージョン・ライダー(製作に関わる人達の性別や人種比が、その撮影場所の性別や人種比を正しく反映するべきであるという付加条項)を雇用契約に入れるキャストが増え、2024年からはアカデミー作品賞の選考基準として、ダイバーシティの新項目を含めることを発表しました。そういった動きがなぜ、日本にはまだないのでしょうか?
理由はいくつもあると思いますが、2つの要因が考えられると思います。第一に、映画業界の意思決定層が中年以上の男性で占められていること。2020年頃に経産省が主体となって「映画制作の未来のための検討会」と「映画制作現場ワーキンググループ」が実施されました。その資料をみても、委員や出席者のほとんどが男性です。「・・・映画制作に関わる人材を取り巻く状況等の実態・全体像を把握する目的で・・」と書いてあるにも関わらず、その場に意思決定層の中年男性しかいない。ジェンダーや年齢などの観点で、多様性が乏しい人々だけで議論し意思決定をしていることが問題だと思います。これに関しては、今後JFPで具体的なデータを出して、改善を提言していく予定です。
第二に、#MeTooのような社会運動に繋がる調査データや情報発信がない。つまり、今まで映画業界がファクト(調査資料)を積み上げてこなかった。「女性の監督やスタッフが少ない」と映画人が発言しても、明確なデータに基づいた検証ではないので、詳細がうやむやになってしまい、そこから先に議論が進んでいかなかったように感じています。女性を含む多様な作り手がいることで、より多様な作品づくりへと繋がっていく。持続可能な映画業界の仕組みを議論する為には、その根拠となるデータが必要だと思います。
そのために、まずJFPがやろうとしていることは、視認性が高く、分かりやすいデータ資料を共有すること。信頼できるデータがあれば、それを根拠に様々な人が声を上げやすくなり、社会的なムーブメントにも繋がるのではないでしょうか。世論の風向きが変われば、映画を取り巻く環境や大企業も変わらざるを得ないし、行政も問題把握がしやすくなり、どこをどう変える必要があるのかが明確になってくると思います。
―2019年にフランスの映画会社の経営者に取材したときに、そこの会社では「フランス映画業界に変化を起こすために」2020年から制作スタッフの6割を女性にすると言っていました。その根底には女性の雇用を増やすと公的助成金がもらえるという国の制度があると思います。そういった制度なしでは、日本の映画産業がわざわざ既存の構造を崩すとは思えないのですが。
フランスはジェンダーギャップ改善に積極的ですし、映画に対する助成金も豊富ですよね。他方で、アメリカでは、#MeTooがハリウッド全体に影響を与えたそうです。#MeTooがムーブメントになったのも、ジェンダーギャップに関する様々なデータや証言がSNSで拡散されたことが大きく作用していると聞いています。
今回、JFPのプレスリリースが7月に発表されたことがきっかけで、大学の研究者やメディアの方々にも興味関心をもってもらえるようになりました。今後は、データを出して終わりではなく、シンポジウムなどを実施し、問題改善に向けた議論を促していければと考えています。
ジェンダーギャップと労働環境の問題は表裏一体
―JFPはジェンダーギャップのほかにも、労働環境についても調査・検証していくそうですね。
はい。ジェンダーギャップと労働環境の問題は表裏一体だと考えています。上智大学の三浦まり教授から、「そもそもジェンダーギャップが起きていることには理由がある。まずはその原因を明らかにし、それを解消するための施策を提示していくことが必要だ」と学びました。
日本映画業界の場合、ジェンダーギャップが発生する原因の1つとして、“劣悪な労働環境”があげられると思います。低賃金長時間労働、そして、性的・身体的・言葉のハラスメントなど。
映画制作の現場は、1日の労働時間がとにかく長い現場が多い。そんな長時間労働だと、家庭をもつ人には厳しいですよね。とりわけ、日本の女性は男性よりも家庭での役割を担う傾向があるので、そもそもそんな社会の風潮が女性の方が働きづらい環境であるとも言えます。社会全体の意思、そしてこういった労働環境が改善されない限り、ジェンダーギャップも縮まらないのではないでしょうか。
―現場で働くスタッフは今の労働環境をどのように捉えているのでしょう?
JFPでは、子育てしながら助監督を続ける石井千晴さんにお話を伺いました。詳しくはJFPのウェブサイトやnoteをご覧いただきたいのですが、石井さんの現場で働いている実感として、30歳前後、つまり若手のうちに辞めていくスタッフが多いことに気がついたそうです。私も周りをみていて、そう感じます。男女関係なく、低賃金の長時間労働が続くとなると、自分の人生設計を考えざるを得ないですよね。結婚し子供をもつことだって難しい。そうやって、5〜10年かけて育ったスタッフたちが業界を去っていく。けれども雇用する側も、現場レベルでは予算が限られているので、そうせざるを得ない。
それが悪循環になっていて、人材が育たない。これは日本の映画業界において大きな損失だと思います。本当は職能団体がギルドのような役割を果たして、スタッフやキャストを守らなければいけないと思うのですが……。
―深田晃司監督や白石和彌監督などは、ハラスメント講習やハラスメント誓約書をスタッフやキャストに用意していると聞きますが。
現場で個々にそういった取り組みをしている監督が増えてきたと伺っています。それ自体はよいことだと思いますが、社会啓発の先に、何があるのかも考えていく必要があると思うんです。具体的な打開策も考え、提示していかなければいけない。
例えば、漠然とではありますが、ハラスメント講習を受けた制作チームの映画に何かしらのマークをつけるとか、ハラスメント講習を受けていない制作チームは公的助成金に応募できないとか、そういった制度を作ること。自覚なきハラスメントが多いと聞きますので、ハラスメント講座を制度として義務化すること。最低限の基礎知識を社会全体で共有することで、他者に糾弾される方法とは違った形で、ハラスメントを自覚することが出来ると思います。
日本の多すぎる映画数が問題なのでは……?
―ハラスメントが横行し、労働環境に問題があるのは、映画の製作本数が多すぎることもあるのではないでしょうか? 近年、日本の年間制作本数は約600本。それに比べて、フランスも韓国もその半分の300本ぐらいです。国民1人当たりの映画館での年間鑑賞本数は、韓国は4.3回、アメリカは3.4回、フランスは3.2回、日本は1.4回です(2017年統計※)。日本映画は供給過多であるから、1本辺りの製作予算が低く、劣悪な労働環境になってしまうのでは?
日本の製作本数が多いすぎるという話はよく議論されます。先程も言いましたが、日本にはギルドや組合が決めるルールがない現在、信じられないくらいの低予算で作品が作られている……。大手とインディペンデントの間にいるような商業ベースの会社がスタッフやキャストにギャラをあまり支払わないで低予算映画で作っているという話もよく耳にします。
とはいえ、製作本数が多いことは作品の多様性を生み出すので、一概に悪いとは言えない。映画が多数製作されるからこそ、そこから育つ才能があると思います。他方で、海外の映画祭に行って出会う若手監督は、大学院をいくつも卒業するなど、社会の富裕層・エリート層が多く、作り手に多様性が欠落していると感じる面も実感としてあります。
―確かに、コッポラファミリーなどハリウッドでは特に、縁故主義が強いですね。フランスの映画業界の人なども高学歴で、ブルジョワ階級出身が多い印象があります。
作り手の属性が偏ってしまうと、生まれる作品も偏ってきます。そもそも、公的資金に頼らず、運営されるミニシアターがこれだけあるのも日本だけだと聞いています。日本のように、ドキュメンタリーがこれだけ劇場で公開されている国も珍しいんです。
でも、今はそのミニシアターでの労働環境やハラスメントの問題で告発が相次いでいますよね。これらの問題に映画業界として、取り組むことが急務だと感じています。
例えば、地方のミニシアターは採算ギリギリのラインで、多様な映画を上映している。これは、国立フィルムアーカイブのような役割を地方で担っていると言えますよね。ミニシアターは多様な映画文化に触れられる機会を提供する公的な役割を担っているので、公的な支援があるべきだと思います。演劇や音楽の施設は、劇場法(劇場、音楽堂等の活性化に関する法律)によって公的支援を受けているのに、なぜミニシアターには公的支援がないのでしょうか? この点についても調査し、制度設計の可能性について、議論していきたいと思います。
フランスやアメリカの制度が日本人には眩しく見える反面、日本の制度がガラパゴス化しているがゆえに、他の国にはないメリットがあります。日本では世界各国の作品を映画館で観ることができますが、これが当たり前ではない国も意外と多いんです。
―難しい問題ですね。ちなみに、日本では映画の製作において、映画会社とスタッフの間で雇用契約が書面で交わされないこともある、というのは本当ですか?
実感として、日本の映画業界では契約書が口約束になるという慣習もまだ根強くあります。しかし、これは国際共同制作を考える上では改善すべき課題だと聞きます。雇用契約だけでなく、ジェンダーギャップや労働環境でモラルハザードを起こさないようにしないと、海外からの投資を得ることが難しくなるのではないでしょうか。今後、日本の人口が縮小すると内需も小さくなるので、国際的な視野で映画業界の構造を考えていかないと、下り坂を下っていくだけなのは目に見えていますよね。これもずいぶん前から言われ続けていることではあると思いますが。
―以前、フランスのセールスエージェント(世界中のフィルムマーケットに飛び、作品を各国の配給会社などに売る)に、日本の映画は資金調達が複雑だから、国際共同制作(投資)をするのが難しい。だから韓国映画のほうを売りたいと聞いたことがあります。
様々な要因があると思いますが、2つの要因が考えられるかもしれないですね。
1つ目は、日本の公的助成金制度です。少しずつ改善されてきているとは言え、未だに使いづらい。例えば、4月に応募して9月頃に助成金に通ったという通知が来たとします。でも、年度内に予算を消化しないといけない。その翌年の2月頃までには事業を終了し、3月までに報告書を提出しなくてはいけません。そうなると予算を使う期間が4~5カ月と短い上に、この助成金は後払いなので、自分で立て替えなくてはいけないんです。ヨーロッパでは、助成金に通ったという証明をすれば銀行がお金を貸してくれる国があり、助成金を集めやすいと聞いたことがあります。コロナ禍で立ち上がった新しい支援制度で、様々な問題点が露呈しましたが、今後は映画業界の側がしっかり文化行政とコミニュケーションをとって、制度設計を考え、提示していくことも大事だと思います。
次に、製作委員会方式というのは複数の会社、出版社、制作会社、広告・宣伝会社などが出資する方法です。複数の会社が投資するので投資リスクを分散し、それぞれの会社がおのおのの得意分野で実力を発揮できるメリットがあります。その一方で、責任の所在が曖昧になり、意思決定まで時間がかかってしまう。海外の投資家は入って来づらいかもしれません。
監督以外の、映画を取り巻く環境にも目を向けること
―今後は、映画を上映するプログラマーについても、調査していきたいとおっしゃっていましたね。
はい。今後は、映画祭の審査員とプログラマーのジェンダーや属性も調べていきたいと考えています。
USCのスミス教授の研究によると、映画制作陣の属性と、作品に登場するキャラクターの表象には関係性があるそうです。簡単に言うと、白人男性が監督したら白人の男女ばかりが出演してしまう。PFFディレクターの荒木さんがJFPのインタビューでおっしゃっていましたが、「映画祭の審査に関しても、審査をする側の属性で、選ばれる作品も変わってくる」ということを実感したそうです。そういったことも調査で検証していきたい。ジェンダーギャップの話をすると、往々にして、映画監督の属性ばかりに目がいってします。プログラマーや批評家などを含めた、映画を取り巻く環境で働く人々の属性を調べてみたら、何が見えてくるのか。興味があるので調べてみたいと思っています。
JFPは映画業界に特化した調査を実施しますが、実際には様々な業界が共通の課題(ジェンダーギャップ、労働環境や若手人材育成)を抱えているので、プロジェクトの成果は日本の“普遍的な社会問題”として、広く社会に還元されていくことを目指しています。なので、異業種で働く人達がJFPの試みを見て、「この問題はうちの業界も同じだな」と感じ、SNSなどで声をどんどん上げていってくれたら嬉しいです。その結果、日本社会が抱える課題が明確になって、社会的なムーブメントに繋がるかもしれない。そうなると、行政の制度や大企業も変わらざるを得なくなってくるのではないでしょうか。
【参考】
※Chapter I032Film Exhibition Yearbook | 2018 ―一般社団法人コミュニティシネマセンター
※映画制作の未来のための検討会報告書 2020
https://www.meti.go.jp/press/2020/07/20200717002/20200717002.html