• 日. 12月 22nd, 2024

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『ザ・ノンフィクション』終の棲家ではないホスピス「人生の終わりの過ごし方 ~『ダメ人間マエダ』の終活~ 後編」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。9月19日の放送は「人生の終わりの過ごし方 ~『ダメ人間マエダ』の終活~ 後編」。

あらすじ

 44歳のパチスロライター、マエダは2020年2月に余命は3カ月から半年と宣告を受ける。過去に手術で取り除いたと思われた口腔がんが全身に転移してしまったためだ。

 マエダは都心の裕福な家庭の一人息子として生まれ、幼稚園からエリート街道を歩むものの、同級生の中でただ一人大学に進学せず、ギャンブルにのめり込み、職を転々としてきた。現在はバツ2で、実家で母と2人で暮らす。

 マエダがパチスロライターという天職に出会ったのは30代半ば。記事の執筆だけでなく、スーツ姿をトレードマークに番組やDVDにも出演し、仕事仲間とも良好な関係を築けていた中での突然の余命宣告となった。マエダは痛む体を抱え、大量の薬を飲む中でも酒もタバコもやめず、仕事仲間たちと一緒に食べたいものを食べ、行きたいところへ旅をする。

 2021年の正月、マエダは「生前葬」としてパチスロ仲間たちとライブ動画配信を行う。飲み食いしながらで、最後まで明るい調子で番組は終わっていた。しかし番組スタッフの前では、大量の薬を飲みながら「今敗戦処理をしてるんだなあと思うと悲しくなっちゃう、悔しくなっちゃう。本当にがっかりです」と胸の内を漏らす。

 マエダはホスピス候補を母と回り、医師から「ホスピスにずっといること自体は基本的には不可能です。一応原則として2カ月間というのがひとつの決まり」「(自分の)力が徐々に落ちてくる感覚がどこかで皆さん来ます」と説明を受ける。

 2月1日、マエダは45歳の誕生日を大好きなプロレス観戦をして過ごすが、その帰り道、脚の激しい痛みに襲われ、電信柱に手をつき、それでもつらいのかしゃがみこんでいた。

 4月28日、ホスピスを退院し自宅療養になったマエダは車いすで病院から出てきて、首からは医療用の麻薬を下げていた。そのまま母親と天ぷら屋に行くが、エレベーターの前の段差が上れず、母親の介助を受けていた。

 映像でのマエダの姿はそれが最後になり、それからはマエダのTwitterのつぶやきが紹介された。マエダは「怖い」と率直な気持ちをつづり、最後のつぶやきは5月8日の「ありがとう」という一言だった。5月14日、マエダは45歳で亡くなる。

 少年時代のアルバムで笑顔の写真が1枚しかなかったマエダだったが、居間には母親が撮った晩年の笑みを浮かべるマエダの写真が飾られており、マエダが記事を書いていたパチスロ雑誌はマエダの追悼特集を掲載していた。

 今回番組を見ていて知ったのは、「ホスピスは退院する施設」であるということだ。ホスピスは終の棲家であり、ホスピスを出るのは亡くなったときだとばかり思っていた。

 だが、マエダはホスピスの医師から、ずっといることは不可能、原則として2カ月間がひとつの決まりと説明を受けた。実際、マエダ自身も4月28日にホスピスを退院し、自宅で母親に看取られ亡くなっている。これは退院せざるを得なかったのか、それともマエダが家で最期を迎えたいと希望したかは不明だ。

 ホスピスが終の棲家ではなくなったのは、診療報酬の減少が大きいようだ。「緩和ケア病棟から追い出される? ケアの現場に持ち込まれた『連帯責任制』」(※1)によると、診療報酬の改定により長期の入院は診療報酬が減額され、患者の滞在が長引くほど病院経営は苦しくなる。言葉を選ばずに言えば「予定通り短期で死ねないと追い出される」状況にあるようだ。

 マエダはホスピスからの退院時、おそらく痛み止めのためであろう、医療用の麻薬の注入器を体につけていた状態だった。自分の人生の終わりが見え、体力が消失していく満身創痍の状況で「ホスピスの次の生活」を考えねばならないのはきつい。

 天寿を全うしピンピンコロリが理想だが、なかなかそうは逝けないのだ。死ぬことの大変さを思った。

 マエダは余命宣告を受け、『ザ・ノンフィクション』のカメラが入った当初は「死ぬところまで撮ってほしい」と番組スタッフに話していた。しかし実際は、カメラが最後にマエダの姿を撮影したのはホスピスから退院した2021年4月28日で、そこから亡くなる5月14日までの映像はなかった。

 カメラが入らなかった理由は番組内では伝えられなかったが、マエダ側が撮ってほしくなかったのかもしれないし、それは誰もが想像できる心境の変化のように思う。

 その2カ月以上前、2月の時点で、マエダはプロレス観戦の帰り道に「痛い、痛い」と脚の痛みに悲鳴を上げながら、電信柱にもたれ、休み休み歩いていた。背中を丸めて脚をかばうように、よろめいて歩く姿は痛々しかったが、ようやくたどりついたコンビニの店先で痛み止めを飲み、そこで番組スタッフとこのようなやりとりをしていた。

スタッフ「(目の前に痛がっている人がいたら)できることがないかなと思っちゃう」

マエダ「ないんだもん、ないからこっちも『何かして』って言わないし、放っといてほしい、放っとけないんだろうけど」

 スタッフの気持ちも、マエダの気持ちもわかる。マエダは母親の本音を知りたくないとも話した。本音を知ると、それに対しマエダ自身が気を使い、母親がそれにまた気を使い……という状態になってしまうからだ。マエダは気を使うタイプで、それゆえに他人の気持ちによく気がつくのだろう。

 ホスピスの医師はマエダに対し、「力が徐々に落ちてくる感覚がどこかで皆さん来ます」と説明していた。そしてマエダ自身、5月5日のTwitterで「身体に力が入らない もうダメなのか」と投稿している。体力や気力が日々失われていく状況を前に、「死ぬまで撮ってほしい」という気持ちが変わっていったのかもしれない。

 SNSでの表現は、それを発しているときに目の前には特定の相手はいない。マエダのTwitterを見ると「ガンばろうマエダ。そして世の中で私と同じことをしてるであろう同士たちよ。歩こう。もっともっと歩こう。まだまだ何かがあるはずだから。」(4月22日、一部抜粋)と前向きな日もあれば、「にか何か下さい何か下さいこわいこわいこわい」(5月5日)と揺れ動いており、マエダ自身「病気のせいなのかもしれないけど、心に波があるね 昨日は『気にならなかったこと』が今日は『気に入らないこと』になったり史上最低の困ったクソ野郎ですね、私」(4月19日、一部抜粋)と自分の心境を明かしている。

 別にクソ野郎でもなんでもなく、遠くない日に自分を失ってしまう、という中で気持ちは揺れ動いて当然のように思う。感情が激しく揺れ動く最期の日々において、明確な相手のいないSNSのほどよい遠さが、マエダにとってはラクだったのかもしれない。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「ちょっと心配な家族がおりまして~母と私と姉夫婦の話~」。子どもを産み実家で産休中の「私」の元に、資産家と結婚して将来も安心だったはずの44歳の姉のチエから、生活資金を得るため暮らしている戸建を売るという仰天の連絡が来て……。

※1 緩和ケア病棟から追い出される? ケアの現場に持ち込まれた「連帯責任制」

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