今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
五代目山健組が六代目山口組に合流
お彼岸の前のニュースには驚きましたね。山口組(六代目山口組)から分裂した神戸山口組の中核組織である五代目山健組が六代目山口組に合流するというのです。
報道などによると、9月16日に五代目山健組幹部らが会合を開いて復帰の方針が決められ、22日には六代目山口組の高山清司若頭に面会して傘下組織になることが正式に承認されたようです。
復帰する人数は不明のようですが、かなりの数であることは間違いありません。「神戸山口組」の存続に直結するお話です。復帰の背景には、山口組の看板で生きていくために「六代目山口組」に戻ろうという思いがあったようですが、神戸山口組への会費(警察用語の「上納金」)の不満もあったことを報じるメディアもありますね。
すごい急展開ですが、2015年の分裂直後から「いずれは再統合される」といわれてはいましたし、この7月から復帰の「うわさ」は聞こえていました。
六代目山口組から四代目山健組(当時)を中心にした直参13団体・傘下組員約3,000人が離脱して神戸山口組を旗揚げしたのは、2015年8月27日のことです。この年は、山口組の創設100周年の年でもありました。
13団体が離脱した六代目山口組の構成員数は約7,000人で、当初は大抗争も懸念されましたが、街なかの銃撃戦のような事件はないまま6年を迎えました。以前から、六代目山口組側は統一に向けて調整を続けていたことが伝えられていて、今年の8月26日には、六代目山口組と五代目山健組の幹部が会合を持ったことも報道されています。
とはいえ、五代目山健組のトップ・中田浩司組長は、六代目山口組の傘下組員に対する銃撃の実行犯として逮捕されて収監中で、公判はこれからです。
また、五代目山健組の一部の関係者は、20年7月に神戸山口組を離脱していて、今回復帰したのはこの「離脱組」のほうです。「五代目山健組」が2つあることも事態をフクザツにしていますね。
神戸山口組に残った「残留組」で、現在も山健組若頭を務める與(あたえ)組・與則和組長が二度も襲撃されたことも記憶に新しいです。一度目は19年4月で、この事件では六代目山口組傘下組員が自首して有罪判決を受けていますが、今年の8月の事件は実行犯もわかっていません。
以前は、これらのことが「再統合」のネックになっているという指摘もあったんです。それが、いきなりの展開ですから、何があったんでしょうかね? また、獄中の中田組長は接見禁止が続いていて、意思疎通が難しいともいわれていますしね。
スケジュール的に予測困難だったとはいえ、離脱者の復帰は最初から既定路線でした。となると、これからは神戸山口組に残留している五代目山健組と、2017年春に神戸山口組から離脱していた絆會(任俠団体山口組→任侠山口組)の動きにも注目です。
残留組の意向については、いろいろうわさも出ていますが、神戸山口組の存続がかかっていますから、簡単ではないでしょうね。
絆會は、結成当初はあくまでも「山口組」として正統派の任俠団体を目指していましたが、20年1月に「絆會」に改称して「山口組」の名称を外しています。絆會については、最近は目立った動きは報じられていませんでしたが、この9月に関連事務所の解体が始まることがニュースになっています。
やっぱり三代目山口組・田岡一雄組長が目指した「ヤクザが博奕でなく正業を持つこと」が禁じられている現在、生活も大変ですからね。子どもの進学などを理由に奥様から離婚を言い渡される若い衆も多いし、ヤクザ封じ込め作戦は奏功しているということになります。
私も知り合いの若い衆から脱退の相談を受けたりもしていますが、相談してくるのは脱退後の生活にある程度のめどが立っている青年たちで、私には背中を押してほしいだけです。やめても生活できない青年(と中高年)たちは、組織にいるしかありません。
これから合法的にヤクザ組織がお取りつぶしになったとしても、組織しか居場所のない彼らはどこへ行くのでしょうか? すでに報じられているように、半グレと組んだり、あるいは半グレにこき使われたりして「より悪い存在」になっていきます。そうなると、正業はムリなんで、オレオレ詐欺や強盗の被害者が増えるし、覚醒剤などの違法薬物をカタギさんに売ってシノギにする例も増えることになりますが、それでも「暴力団員のいない社会」がいいのでしょうか?