「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。
皆さんの周りに、「洗脳を解いてあげたい」と思う人はいるだろうか? 久しぶりに会った旧友が、おかしな宗教に入信していたら、きっとそう思うはず。宗教以外にも、ア◯ウェイ的な怪しいビジネスや、昨今話題になっているいかがわしいオンラインサロンなどにハマッた家族、友人の目を覚まさせたいというケースもあると思う。
今回書くのは、元2世信者の考える、信仰を失うまでの4つのプロセスである。第1回でも書いた通り、自分はカルトと呼ばれる宗教の2世信者だったのだが、子どもの頃からやけに信仰心が薄い、少し変わったタイプだった。なので、“例外”ではあるのだが、周りの脱会者も参考にしながら、洗脳が解かれる経緯について、気づいたことをまとめてみた。
◎図解! 信仰を失うプロセス
これは、2世信者だった私が、自分なりに信仰度別に信者の状態を分類した図である。これをマズローの欲求段階説よろしく、「DJ2世 a.k.a 脱会くんの不信仰段階説(仮)」と唱えたい。テストに出ます。
下にいくほど信仰心が高く、面積が大きいところは人口が多いイメージ。この図では、家庭の事情で、とりあえず名前だけ書いて入会したような人(例えば、まったく信仰心はないが、奥さんが信者なので便宜上入会だけしている など)は例外とする。
◎「一応、教祖が神に見えてはいる」ニュートラル期について
最初に「ニュートラル期」の状態を説明する。先ほどの完全版の図からわかる通り、ここから信仰を失うか、より信じるかに分かれていく。
まず信仰が始まった人間はここに立つ。一応、教祖が神に見えていながらも、違和感はゼロではないという状態だが、「まあいいや」とあまり突き詰めて考えていない。
この時期に信者が悩んでいるのは、この宗教が道徳的に優れているか? 破綻していないか? ということだ。教えの“毛色”が自分に合っているのかをひたすら気にしている。
◎「騙されていたと気づく」ダークサイド期
そして信仰心を失う側の人が到達するのが、「ダークサイド期」である。なぜダークサイドに堕ちてしまうのか? その理由はカルトと呼ばれる宗教にこそ、黒い側面があるからだ。
「ニュートラル期」では、先ほどもお伝えした通り、信者は「この教えが道徳として正しいか?」ということについてずっと悩んでいるのだが、その宗教を知れば知るほど、いろいろ気づいてしまうのである。
カルト宗教は、たいてい深く調べていくと、昔と今の教えが矛盾していたりする。ということは、昔と今の教え、いずれかは「嘘」になる。しかし、神や仏という完全無欠な存在が嘘をつくわけがない。はい、信者の脳がバグります。
それどころか、ネットでちょっと調べたら、自分たちが知らされてこなかった教団の黒いスキャンダルやウワサが、あれよあれよと出てくる。その時、信仰心が揺らいでいるような信者は思うのだ、「自分が騙されていた!」と。
その日、信者は月に向かって雄叫びを上げ、血の涙を流しながら、教祖を抹殺することを誓うだろう。ネットでたまに見かける元信者のアンチたちが、教えの矛盾を列挙し、常に「あの宗教を一刻も早く潰さなくては!」というテンションで話しているのは、こういった悲しいストーリーがあるからだ。
1世信者で子どもを宗教に巻き込んでしまった人、一般の人を勧誘して信者にしてしまった人、宗教の学校に通った人、教団の職員になった人などなど。他人をカルト宗教に巻き込んでしまったり、人生の膨大な時間をカルト宗教に捧げた人ほど、ここに到達した時のダメージは大きい。天国に行こうとしていたはずが、気づけば地獄に足を突っ込んでいるという悲劇である。
◎「宗教とかどうでもいいじゃん」達観期
そうして、ダークサイドに堕ちた者が次に到達するのが「達観期」である。
ダークサイドの深淵に到達した人間がある日、窓の外で陽光の中さえずる小鳥を眺めながら気づく。宗教とかあの世とかどうでもいいじゃん、とりあえず頑張ればいいんじゃね? と。
要は「立ち直る」ということなのだが、これまで宗教の教えや、関連本の中に救いを求めていた人が、特に何を教わるわけでもなく、自分の力で立ち直るのは、ものすごい成長なのである。
またこの段階は、スピリチュアルとの決別を意味する。実はダークサイド期の人たちは、「あの宗教は間違ってたけど、神様っていると思うの。だってそう感じるんだもん」などと、口走ることは珍しくない。それほどに、一度取り込んでしまったスピリチュアルの毒素を抜くというのは難しいのだ。スピリチュアル的なことを考えず、ただ前を向くというのが、この段階に到達する条件だろう。
そんなこともあり、いざ宗教が間違っていると感じても、この「達観期」に到達できる者は、まあ少ない。ダークサイド期の渦中で、ずっと憎しみを抱えて生きていく元信者は、本当に多いと思う。
◎「もはや信者の頃の記憶がなくなる」あれ、そんなことあったっけ期
さまざまな関門を抜け、信仰を完全に失った先にあるのが、この「あれ、そんなことあったっけ期」である。ここは日常生活が充実していて、もはや信者の頃の記憶がなくなるというゾーン。昔の出来事が別の人の人生みたい、フィクションみたいと感じるようになる。ここまで来てようやく毒素が抜けきったといっていいだろう。
この段階に到達するには、ダークサイド期を脱した後、さらにその宗教に距離を置いて忘れるまで、かなりの時間を要する。個人的には4〜5年くらい必要なのかなと思う。
「そんなにその宗教が嫌いなら、離れたらいいやんけ」と思うだろうが、実はそれがまた意外と難しい。気づけばスマホに入っている連絡先の大半が信者だったり、家族はおろか親族みんな信者だったりすることも少なくないのだ。
こういった人たち全てに距離を取って、日常生活を別のベクトルで充実させることは、かなりの難易度。絶対に周りの信者たちと軋轢が生まれてしまうので、あえて「あれ、そんなことあったっけ期」に踏み込もうとしない人、つまり達観期にあえてとどまる人も、多数いる印象である。
◎意外と難易度が高い、信仰を失うプロセス
以上が、自分の思う信仰を失うプロセスである。カルト宗教の信者は、こんなこと考えているんだなぁというのが伝わっていれば幸いだ。
そもそも論として、信者は「宗教はビジネスである」という側面への思慮が欠けているなど、ツッコミどころは結構ある。その抜けている感じが、まさしく信者の風情なのかもしれないが。
【バックナンバー】
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