TOKIO・城島茂をはじめ、お笑いコンビ・さらば青春の光(森田哲矢・東ブクロ)、ドランクドラゴン・鈴木拓らがパーソナリティを務めているラジオ番組『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ)。10月28日放送回では、城島がジャニーズ事務所のタレント同士における食事会や飲み会について言及する一幕があった。
この日の番組内で、「自分は親分肌、子分肌のどちらだと思いますか?」という質問のお便りを紹介。ドランクドラゴン・鈴木は「絶対、後輩と一緒にいたほうがラク。先輩と(食事に)行きたくない」と回答した上で、同じ事務所の芸人でも“あまり主張しないタイプ”の先輩と付き合いがあると語った。
そんな流れで、鈴木が「リーダーは上の人とかと行くんですか?」と尋ねると、「昔はそういうのしょっちゅうでしたけど、さすがに今はもう。こういうコロナの関係なしに、なかなかそういう機会がなくなりましたね」と、新型コロナウイルスの流行以前より上下を問わず交流はあまりなかったと告白。
その一因には、ジャニーズ事務所のタレントが生放送の番組の司会を担当するなど、以前に比べて仕事のジャンルが増えたこともあるようで、
「誘おうにも、『明日早いか』(と気を使ってしまう)。あとドラマやったりとか。(食事に)行ってる子は行ってるんやろうけど、僕はそういうの誘わないんで。誘われるとしたら、先輩からとかしかないですもんね。後輩から誘ってこないんで」
と、スケジュールを気にして誘えないとのこと。続けて、
「気持ちいいのは、先輩と一緒にいる時のほうが、“昔のジャニーズや!”っていうか。ジャニーさん(ジャニー喜多川前社長)生きてた頃の、ホンマに少人数しかタレントいなくて。合宿所に、寮にみんなが住んでた頃の。あの頃を思い出すんで、懐かしいなーと思って」
と、しみじみ回顧していた。
また、同業者とお店に行った時、会計は年齢か、それとも芸歴を考慮して支払うべきなのか……といった話題では、2歳年下の木村拓哉との食事を回顧。西日本地域を中心に「平成30年7月豪雨」が発生した際、ジャニーズは「Johnny’s Smile Up ! Project」の一環で支援活動を実施。同8月には木村を筆頭に、TOKIOメンバーらが広島、岡山、愛媛県を訪問し、炊き出しを行っていた。城島いわく、現地でのボランティアが終了した後、木村と自分以外の参加者は「そのまま帰ります」と、すぐに東京へ戻っていったとか。
「最後、『ご飯食べよう』って言って、ホテルの一室の中華の個室を全部おさえてて。後輩たちが来てもいいように、10何人入れるところに2人しかいないんですよ。僕と木村くんと。で、もう手短に、時間ないから。飛行機の時間まで30分ぐらいしかないけどパパっと作ってくださって、シェフが。ちょこっと何品か出て、最後チャーハンで。パッと食べて」
と、図らずも木村と“サシメシ”になってしまったという。年齢と芸歴は城島が先輩とはいえ、木村が所属したSMAPは1991年にCDデビューを果たし、TOKIOは94年にCDをリリースしている。そんな微妙な関係性とあって、会計はどちらが持つのか迷っていると、
「パって見たら、木村くんのマネジャーさんが『大丈夫です』みたいな合図してたから。『ちょっと待って、これ』って。『いいよ、茂くん払わなくていいから』(と木村に言われて)『あ、ごちそうさまっす』って。それはもうおいしくいただきました。カッコええな~、キムタクと思いましたよ。世界のキムタクですよ!」
この時の対応によほど感心したのか、「そのホテルの名前がなんやったかな、“マスカレード・ホテル”やったかな?」と、木村の主演映画にかけてオチをつけた城島。すかさず、さらば・森田が「ええわ! 何の番宣や。なんであの時の恩を番宣で返そうとする」と、笑いながらツッコんでいたのだった。
今回のラジオでは後輩とプライベートで絡んでいないと明かした城島だが、Kis-My-Ft2・千賀健永とはバーで偶然出会い、“サシ飲み”をした経験もあるようだ。千賀が『TOKIOカケル』(フジテレビ系、2018年8月15日放送)で話したところによると、バーで偶然城島に出くわしたところ、「お前、『千年メドレー』って知ってるか?」と、話しかけてきたという。
「千年メドレー」とは少年隊・東山紀之らがステージで披露してきた伝説的なナンバーだが、城島は「その『千年メドレー』で踊るのが俺も昔は夢だった。俺は今でも覚えてる」「千賀、踊らせてもらうわ! 千賀、後ろ立て!」と、バーで突如ダンスを開始。
千年メドレーを踊ったことがない千賀は、ひとまず城島を見て振りを再現するも、「なんか『懐かしいだろ?』(と言ってきた)。『さっき僕、踊ったことないって話しましたよね?』って……」と、酒場でのはじけっぷりを暴露していたのだ。
ちなみに、別の日に2人は腕相撲で対決したとのこと。交流エピソードを聞いたTOKIO・長瀬智也(当時)は「仲いいじゃん! マブダチじゃん、もう!」と、笑っていた。
一方でジャニーズ事務所といえば、昨年末から今年4月末にかけて、少年隊・錦織一清&植草克秀、近藤真彦といったベテラン勢が退所している。さらに、城島より2年先の1984年にジャニーズ入りした元男闘呼組・岡本健一は、今年10月30日をもってジャニーズとの専属契約は終了となり、翌11月1日付で新たにエージェント契約を締結すると発表したばかりだ。
こうした上の世代が次々と事務所を去ろうとしてる最中とあって、城島は合宿所に住んでた頃の「昔のジャニーズ」が恋しくなってしまったのかもしれない。
コロナの感染状況がもう少し落ち着いた暁には、ジャニーズ仲間たちとお酒を飲みながら、結束を深めていってほしいものだ。