日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月7日の放送は「『おかえり』の声が聞きたくて ~歌舞伎町 真夜中の処方箋~」。
あらすじ
歌舞伎町にある、夜だけ開く「ニュクス薬局」。ビルの1階にあるニュクス薬局以外のテナントは全てホストクラブで、店が静かだと階下、階上から深夜シャンパンコールの声が漏れ聞こえることもあるという。「ニュクス」はギリシャ神話の夜の女神の名前だ。
薬局を訪れる客の8割は女性で、ほとんどが夜の街で働く人たちだ。店主の中沢宏昭は彼女たちから「歌舞伎町のお父さん」と慕われ、彼女たちの話を穏やかな表情で聞いている。そんな中沢のもとを訪ねる女性たちを見つめる。
23歳の智花は正社員で販売の仕事をしているが、気持ちの浮き沈みが激しく高校生のときから心療内科に通っている。むなしさから酒に逃げてしまうと話し、歌舞伎町のホストクラブに通い、泥酔状態で薬局に来ることもある。ホストクラブに通う資金のため夜職も始め、働きづめだ。
病院から智花に処方された薬は1週間分しかなく、これは医師が1週間以上放置できない状態だと診ている可能性があると、中沢は状況を案ずる。過去に中沢の店を訪ねていた女性の中には、自ら命を絶った人もいたという。
34歳のひろみは、初回取材時、ひどくぐったりと疲れた様子で薬局の椅子に座っていた。ひろみは大学卒業後に就職するも、パワハラがひどい職場で調子を崩してしまい、現在は仕事を辞め、生活保護で暮らしている。パニック発作があるため、外出は病院と食品の買い物、中沢の薬局に行く月2回だけだ。2週間ぶりの外出で気が張っている中、中沢との会話で、ほっとしていくひろみの様子が伝えられていた。
23歳のアヤは、歌舞伎町で男と暮らしていたが、日々財布から金を抜かれていたそうで、その総額は100万円以上にも及ぶようだ。「何だったんだろうね、この2年間は」と苦笑いを浮かべ、男との別れを機に歌舞伎町から離れる決断をしたという。中沢にさよならを告げるために店を訪ね、元気で、と言葉を交わす。
歌舞伎町は新型コロナウイルス感染症の感染拡大において、矢面に立たされた街でもあり、ニュクス薬局も売り上げが前年の半分になってしまった月もあったという。さらには物件の契約更新がかなわず、中沢は薬局の業務後、新店舗を探す忙しい日々を過ごす。
幸い今の物件から1分程度のところに新しい物件を借りられたものの、元がタピオカ店だったため改装費用だけでかなりかかってしまい、引っ越し作業は中沢自ら行っていた。
移転当日、智花は薬局を訪ねて移転祝いを渡す。智花は一時、オーバードーズで救急搬送されるなど不安定な状況も続いていたが、今は夜職もやめ、途切れがちだった通院もまた開始しているという。中沢が自分の話を聞いてくれたことが、それらのきっかけになったようだ。
ニュクス薬局を訪れる客の中には、中沢が薬を出すこと=中沢は自分の症状を把握している、という安心感から、智花のように深刻な悩みを相談する人もいるが、一方で気安いおしゃべり、世間話をしに立ち寄るケースもあるようだ。今回は後者に注目したい。
番組を見ていて印象的だったのが、歌舞伎町から去るアヤが、最後にニュクス薬局を訪ねるくだりだ。アヤは男と2年暮らしたものの、金を抜き取られていたようで、最後は自分が街から出ていく状況だったわけだが、最後に中沢という「さよなら」を告げる人がいてよかったなと思う。
中沢の誕生日に、若い女性2人がネームプレートつきのケーキを差し入れていたのもいいシーンだった。中沢もうれしかったと思うが、女性客も、誕生日だからケーキを買って持っていったら喜ぶだろう、せっかくだからケーキにネームプレートを乗せようと話しているときは楽しかったと思う。そう思い合える人がいる人生は豊かだ。
家族やウマがあう友達など、ディープになった人間関係はそのディープさゆえに、相手に期待してしまうことが増え、それがストレスになったり、相手を嫌いになってしまうことすらある。
たとえば、「引っ越すんです」と馴染みの人から聞いたときに「なんで教えてくれなかったの」とならずに「お元気で」と見送れる、ライトな、ちょっとした人間関係は想像以上に人を救っている。特に心が疲れていたり、弱っているときほど、ライトな人間関係のほんのりとした温かさは沁みると思う。
今はSNSがあるので、ぱっと見コミュニケーションが盛んで、人間関係に不自由しない時代のように見えるが、そんなことはなく、それだけでは埋まらない穴はやはりあると、中沢と女性たちの会話シーンを見て思った。
SNSの発言は「みんなへ」「世間へ」「所属しているグループへ」など複数に向けられたものか、「ひとりごと」だろう。一方、「対面でのやりとり」は、「あなた」だけに向けられたものになり、手を伸ばせば届く位置に実際に相手がいる。
たとえ、それがちょっとしたおしゃべりや、それこそ挨拶のようなものであっても、「手を伸ばせば届く位置にいるあなたと私だけのやりとり」ということ自体が、時に強く人を癒やし、慰めている。
次週の『ザ・ノンフィクション』は「切なくて いじらしくて メチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~」。落語家初の参院議員になり、また落語協会を脱退し立川流を創設、家元になるなど破天荒な生き方を貫いた立川談志。
晩年には落語家の命である声を気管切開で失っていた。没後10年、マネジャーを務めた長男が12年にわたり撮影していた談志の姿を見つめる。