こんにちは、保安員の澄江です。
ようやくに緊急事態宣言が解除され、段々と街に活気が戻ってきました。私たちの現場である商店においても、明らかに客足が伸びており、あたり前だった日常を取り戻せる気配を感じています。油断ならない状況は続いていますが、マスク着用やアルコール消毒など、わずらわしいことをする必要のない日々が一日も早く訪れることを願ってやみません。
緊急事態宣言下における自粛生活の影響によって、生活環境が崩壊してしまった方々も多数おられるようで、失業され生活苦に陥られた人による万引きは絶えず発生しています。たとえ資産や蓄えがあっても、この先が不安だからお金を使いたくないのだと、歪んだ節約心から万引き常習者に成り下がる高齢者も相変わらず目立つところで、まるで反省のない態度に腹が立つことも増えました。その一方、和解成立を目指して、被害店舗に日参する被疑者もみられます。
先日、地方の温泉施設で高級羊羹を万引きする様子をテレビなどで放送されたカップルが、被害店舗に出向いて謝罪をしたうえで代金を支払い、店の許しを得られたと報道されていました。被害者が温泉施設であることから、万引き犯の扱いに慣れていなかったのでしょう。一般の方は、万引きをして見つかっても謝ってお金を払えば許されると思われるかもしれませんが、このような対応は稀なことといえます。許しを得られるどころか、映像証拠を基に被害申告が済んでいるケースも考えられ、現場に戻った時点で警察を呼ばれることさえあるのです。今回は、たまにみられる万引き犯の謝罪について、お話ししたいと思います。
当日の現場は、都内の街道沿いに位置する食品専門スーパーD。倉庫と見紛う造りの大型店舗で、精肉や鮮魚を中心に取り扱う人気店です。ここ数年、毎週のように通っている馴染み深い現場で、これまで多くの万引き者に声をかけてきました。一日いれば、一人は必ず挙がる。そんなレベルにあるお店といえるでしょう。バックヤードから事務所に向かうと、顔なじみである白鵬関(現・間垣親方)に似た体の大きな店長が出迎えてくれたので、軽く挨拶を済ませて近況を伺います。
「最近、また増えてきている感じでね。先週も、寿司を盗った女がいたから自分で捕まえて、被害届を出したんだ」
「大変でしたね。時間かかったでしょう」
「何回か捕まったことがある人らしくてさ。いつもよりしっかりした調書を作ることになって、5時間くらいかかったよ。それから毎日、示談してくれって謝りに来られてね。本部から『謝罪は受けるな』って言われているからお断りしているんだけど、ちょっとしつこくて困ってるんだ」
基本(基本送致のこと)で処理されたということは、短期間の内に犯行を繰り返したか、複数の犯歴を有するに違いありません。日参してまで謝罪の受け入れを求めているところから察するに、保護観察中や執行猶予中、もしくは保釈中の身である可能性まで考えられます。
「今日も来ますかね。どんな人ですか?」
「32歳の主婦。もし来たら相手してもらっていいかな? 今日、店長会議があって、そろそろ出ないといけなくてさ」
「お相手するのは構わないですけど、何をお話したらいいのか……」
「聞くだけ聞いてやってよ。俺にもどうにもできない話だからさ」
この日の勤務は、開店時刻である午前10時から18時まで。店内の温度設定が低いため、寒さ対策をしっかりした上で現場に入りました。売場を一回りしてみれば、低い棚が多く万引きしにくい感じがしますが、店の一角にある乾物コーナー周辺は完全な死角となっています。
(やる人は、ここで隠す)
これまでの経験から確信に至り、しっかりと視界を確保してから、店内の巡回を始めました。
開店から数分が経過したところで、40代くらいにみえる化粧気のない痩せた女性が、菓子折りが入っているであろう紙袋を持って店内に入ってきました。商品に目をやることなく、何かを探すように店内を歩き回るので気にしていると、バックヤードから出てきた店長をみつけて駆け寄っていきます。
(あの人か。やっぱり来たのね)
あからさまに嫌な顔をして周囲を見回す店長と目が合い、手招かれるままそばに行くと、苦悶の表情を浮かべた女性が店長の袖をつかんですがりついていました。
「すみません。これから会議なんで、この人とお話してもらっていいですかね。全部話してあるから」
ひどく冷たい目で女性を振り切り、その場を離れた店長は、私に目くばせをしながら立ち去っていきます。ぼちぼちとお客さんも入ってきたので、バックヤードの応接室に女性を案内して、二人きりで話すことにしました。期待を持たせても酷なので、開口一番、単刀直入に断りを入れます。
「ごめんなさい。お話は伺っているんですけど、本部の意向があって、謝罪はお断りしているんですよ」
「それは、店長さんから聞きました。でも、私、刑務所に行くことになっちゃうかもしれなくて」
「でも、そうなることわかって、やったことですよね。そんなことを言われても困ります」
そう突き放すと、無表情のまま泣き始めた女性が、小さな声で言いました。
「もちろんわかっていたんですけど、その時には忘れちゃうんです。私、そういう病気なんです!」
どんな病気か気になりましたが、あえて尋ねることなく沈黙していると、すすり泣いていた女性が紙袋から菓子箱とお金が入っているらしい封筒を取り出しました。それをテーブルの上に重ね置くと、前方にスライドさせて私に差し向けてきます。
「お願いします! これを受け取っていただき、受領のサインだけください。もう二度と来ませんから。子どももいるのでお願いです。助けてください!」
「お気持ちはわかりますけど、私には、そんな権限ないんです。どうかお引き取りください」
「どうしてもダメですか?」
「ごめんなさい。個人的には助けてあげたいけど、立場もあるから勝手なことはできないの」
自分が裁かれる公判に備えて、裁判所などに提出するための示談書や宥恕文(ゆうじょぶん、被害者が加害者の行為を許すことを記した文章)を目当てに、謝罪を繰り返す人は初めてではありません。刑の軽減を目指して、こうした行動をとる人もいるのです。
弁護士や通院されている病院の先生に指示されている場合が多く、被疑者を病気に仕立てるような側面が垣間見えることもあって、その活動内容に疑問を覚えるケースもありました。仮に病気の影響で盗んだのだとしても、その真贋を判定できる術はなく、司法の判断に委ねるほかありません。送検後の和解は、検察官の忌み嫌うところでもあり、そう簡単にはできないのです。
「そうですか、わかりました」
しばし沈黙した後、そっとつぶやいた女性は、テーブルに出した封筒と菓子折りを紙袋に戻すと、深々と頭を下げて応接室を後にしました。本音を言えば、助けてあげたい。仕方のないことではありますが、ひどい意地悪をしてしまったような気持ちになってしまい調子が上がらず、この日は捕捉のないまま一日を終えました。
およそ2週間後。くだんの店に仕事で入ると、あの時以来話せていなかった店長が、あいさつに出向いた私の姿を認めるや駆け寄ってこられました。
「この前は、ごめんね。ありがとうございました」
「いえ、大丈夫です。その後、いかがですか」
「あれから来てないんだけど、この前、お店に書留が届いてね。中にお金が入っていてさ。手紙もついていて読んでみたら、あの人からで、これで許してくれって書いてあるんだよ」
現金書留のため住所氏名が封筒の表面に記入してあり、自分がいれば受け取っていなかったと話していますが、従業員が留守中に受け取ってしまったそうです。
おそらくは弁護士や専門医師による助言があったのでしょう。謝罪は拒否されたが示談金は受け取ってもらえたと公判で情状酌量を求めるために、示談金を押し付けるような手法を使われることもあるのです。本部に報告したところ、返すのにも経費がかかると言われ、そのまま受け入れることになったと話していました。
その後の彼女が、どのような判決を受けたかわかりませんが、子どもさんと平穏に暮らせていることを願うばかりです。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)