今年3月に刊行された西森路代さんとハン・トンヒョンさんの『韓国映画・ドラマ――わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(駒草出版)。タイトルの通り、本書は2014年から2020年の間に行われたふたりの「おしゃべり」がまとめられたものです。
今回、ハンさんの呼びかけで、再びおふたりに今年話題となった3作についておしゃべりをしていただきました。全三回の初回で取り上げるのは『狐狼の血 LEVEL2』。登場人物の在日コリアンという設定に、驚き、そして少し不安にもなったというハン・トンヒョンさん。『狐狼の血 LEVEL2』の「悪」の描かれ方についてお話しいただきました。(構成/カネコアキラ)
西森路代
1972年、愛媛県生まれのライター。大学卒業後は地元テレビ局に勤め、30 歳で上京。東京では派遣社員や編集プロダクション勤務、ラジオディレクターなどを経てフリーランスに。香港、台湾、韓国、日本のエンターテインメントについて執筆している。数々のドラマ評などを執筆していた実績から、2016 年から4 年間、ギャラクシー賞の委員を務めた。著書に『K-POP がアジアを制覇する』(原書房)、共著に『女子会2.0』(NHK 出版)など。Twitter:@mijiyooon
ハン・トンヒョン
1968年、東京生まれ。日本映画大学准教授(社会学)。専門はネイションとエスニシティ、マイノリティ・マジョリティの関係やアイデンティティ、差別の問題など。主なフィールドは在日コリアンを中心とした日本の多文化状況。著書に『チマ・チョゴリ制服の民族誌(エスノグラフィ)』(双風舎,2006)、『ジェンダーとセクシュアリティで見る東アジア』(共著,勁草書房,2017)、『平成史【完全版】』(共著,河出書房新社,2019)など。Twitter:@h_hyonee
もやもやした上林成浩の「在日設定」
ハン:西森さんとはこれまでも様々な作品について「おしゃべり」をしてきて、今年の3月にはこれまでのおしゃべりをまとめた『韓国映画・ドラマ――わたしたちのおしゃべりの記録 2014~2020』(駒草出版)という本を出版しました。
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「これでいったんピリオドがついたのかな」とも思っていたんですけど、ここ最近気になっていた作品について西森さんが記事を書いていたこともあって、話したいなと思ってお声がけしました。
今日おしゃべりするのは、どれも大ヒットしていて評価も高い作品です。「これだけヒットしてるんだからちょっとくらい文句を言ってもいいんじゃないか」という企画かも?(笑)。もちろん、良いところはきちんとほめたいとは思いますが。
じゃあまずは『狐狼の血 LEVEL2』から始めましょうか。確か西森さんはほめていたかと思うのですが、どんなところがいいと思いました?
西森:『狐狼の血 LEVEL2』公式のnoteにも書いたんですけど、「ノワール」ってジャンルにはいろんな形式があるんですね。先輩刑事から後輩刑事への継承とか。
■【『孤狼の血 LEVEL2』評論/ライター・西森路代】
ハン:前作の『狐狼の血』だと、先輩刑事・大上省吾(役所広司)から後輩刑事・日岡秀一(松坂桃李)へ、みたいな。
西森:そうです。『インファナル・アフェア』や『新しき世界』みたいに、相反する組織に潜入捜査をしているうちに互いに惹かれ合うんだけど、欺きあわないといけなくなるとか、そういうノワールのパターンをずらしたりしながら上手に散りばめている作品だと思いました。
ハン:なるほど。『狐狼の血 LEVEL2』について、私が今日特に話したいのは上林成浩(鈴木亮平)が在日コリアンだという設定についてなんですが、西森さんの話を聞いても、白石和彌監督って、なんというか、「優等生」って感じなのかもしれないな、と。
在日という設定について白石監督は、「実録ヤクザ映画をずっと書いていた脚本家・笠原和夫さんが、ヤクザを掘れば掘るほど、在日と被差別部落に行き着くと。逆にそこを描かずヤクザは描けないから、(タブーに触れることを恐れて)みんなヤクザ描くのを辞めていくんですね。エンタテインメントとして面白いものを作るのは当たり前なんですけど、そこに1秒でもそうした問題意識を入れるのは、いまの作り手としての誠意だと思ったんです」と話していたりします。
■「映画史に残る悪役」を描く白石和彌監督「作り手の誠意」
私はこの設定を知らずに見に行ったので、まずはびっくりして、次に不安になった。なぜなら、上林の残虐さをサイコパス、サイコキラー的な表象として受け取ったんです。そんな上林が実は在日で背景に差別とか貧困があって……と因果律的に描かれていることに不安を覚えました。在日という出自がサイコキラーとしての上林を作ったとなると……。
あと好みの問題もありますが、悪人を描く映画としてちょっと陳腐というか、悪はただ悪でしかないから魅力的でもあると思うタイプなので。
西森:理由はいらないということですか。
ハン:はい。そういう違和感もあったし、やっぱりとくに自分が在日だからすごく不安にもなったんです。ヘイトがはびこっている2021年の日本で、「在日だから悪人になった」とも受け取られかねない描き方は、偏見を助長しかねないという意味で、倫理的にもなしなんじゃないかって、どうしても思っちゃって。
西森:私は、上林って悪役というよりも、もしかしたらマーベル作品などに見られる「ヴィラン」に近いのかと思ったんですよね。ヴィランってそうなってしまった背景が必ず描かれます。上林がああなったのには理由があって、だから単なる悪役じゃないって受け止めていたんです。日岡との戦いは最終的にフェアな感じが出てくるし、「自分では止めることのできない暴走を日岡にどうにかして欲しい、それが自分を救うたったひとつの手段だ」というような関係性として描かれていて。それと、前半はわりとリアルなところも多いんですが、上林と日岡のおいかけっこが始まってから、フェアな部分が見えると同時に、フィクションの度合というか、リアルではない度合も上がりますよね。
ハン:悪の背景を生い立ちから説き起こす流れって、マーベルあたりから来ていたのか、なるほど。私はさっき言ったように好みじゃないのだけど、それってなんか、時代のムードもすごくありますよね……。それはアナクロというか回帰とも言えそうなのだけど、だからこそ昭和的なヤクザ映画というフォーマットと結びついたのか。
で、ずーっともやもやしていて、1週間くらい考え続けて、西森さんの言うように、単なる悪として描かれていないんじゃないか、といったあたりに気づいたんですよ。具体的には、唯一、噓をついていないのは上林だって。全員が騙し合いをしている中で、残虐だけど誰のことも騙していないのが上林。そう考えると、「おしゃべり本」にも収録された対談で話したことですが、私にとって『お嬢さん』のスッキと重なる。スッキが秀子の救世主だったように、もしかしたら上林は、日本の警察の犬になってしまったチンタを救いに来た救世主だったのかもしれない。
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西森:そしてチンタの可哀想さの原因は、日岡にある。
ハン:はい。この視点から見ると、日岡はめちゃくちゃ悪いやつですよ。大義名分を唱えてはいるけど、結局はものすごく社会的な立場に差がある在日のチンタを都合よく利用していた。上林はそのことを見抜いていて、日岡に対してもだけど、ずっとチンタのことを試し続けていた。そしてそれは、「警察の犬に成り下がっていて本当にいいのか?」ってメッセージだった。登場人物の中で、唯一正直で、日本社会そのものに真っ向から立ち向かっていたのは上林だけかもしれない。そう思うと少し印象が変わってくる。
でも、やっぱり上林がものすごく残虐で、しかもそれが在日という出自にかかわるという話になっていることの悪影響のようなものを考えてしまって……。例えばアメリカだったら、黒人という出自によって残虐なサイコパスになりましたって話だったらアウトですよね。
西森:ああ、上林が救われるだけでなく、日岡も救われていたということですね。黒人が不遇な目にあったことがきっかけでヴィランになったという映画はありました。『アメイジング・スパイダーマン2』のエレクトロっていうキャラクターを、黒人で歌手もしている俳優のジェイミー・フォックスが演じていました。私は、彼が理不尽なことが理由でヴィランになっていたので、すごく可愛そうに思ったんです。そこに「黒人だから」ということは関連づいてはおらず、単に彼が出くわす出来事が理不尽だったからという感じで見ていました。
ハン:日岡も救われていたのかどうかはわからないけど、メッセージのあて先としてはそう見ることもできるかな。で、『アメイジング・スパイダーマン2』は見ていないのでなんとも言えませんが……。
西森:ただ、一番ダメなのは、在日や特定の人種や民族のキャラクターが一人しか描かれてない場合ですよね。良い人も悪い人もそのどちらでもない人がいるのであればまだいいとは思いますが。『狐狼の血 LEVEL2』は、在日の中にも、いい人もいれば、一見すると悪い人もいる。チンタみたいに利用されている人がいたり、残虐だけど最終的に悪い人じゃないと描かれているように見える上林がいる。そのどちらでもないチンタの姉もいる。いろんな人がいるのは描かれてる。
ハン:はい。在日コリアンが複数いてそれぞれの違いを描いていたっていう意味では、私もそう感じました。そして、上林が最終的に悪い人じゃないと描かれているように見えると言われて少しホッとはしていますが……。
ただ、それが私のもやもや案件でもある背景、生い立ちによる因果律設定によるものなのか、演出と演技力によるものなのか、判然としないというか、まあもちろんどっちもあるとは思っているのだけど。なんか身内みたいに感じちゃって、もはや平常心で見られない(苦笑)。でも、悲しみをたたえた極悪人、残虐だけど観客に愛される上林という強烈なキャラクターを造形した鈴木亮平は素晴らしいと思いました。
ところで日岡はチンタを利用していたことについてどう思ったのだろうか。後悔していたようには見えたけど、お前ほんとにわかってんのかよっていうか、反省しているのかよ、とは思いました。
西森:日岡はやっぱり大上のやり方に溺れていて、正義のためなら悪いこともするんだけど、結局、理想論でしかなくて、未熟な人物として描かれていたと思うんですよね。たぶんちゃんと罪悪感を抱くこともできてないから、そこに疑問を感じている人もいました。彼自身は、警察組織や公安に対して不信感を持っているけど……
ハン:日岡も無力ですよね。お前も結局は警察の犬じゃんっていう。
西森:そう。今回も前回もそうですけど、今後もずっと続く敵は、ある意味お約束的に、日岡の上司の嵯峨大輔(滝藤賢一)なんだろうなと。
ハン:権力側、というかシステムが明確な敵になっていくのかな。「おしゃべり本」でも取り上げたNetflixで見られる韓国ドラマ『秘密の森』みたいに?
西森:そうですね。まあ、「お約束」な感じで、毎回ゲスト俳優が表向きは日岡の敵で、でも本当に怖いのは公安なんですよ、というのは中心にあり続けるとか、そんな感じですかね。その意味においては、日岡は体制や腐敗した組織に反対する側で、それは日岡の理想としては市民と共にあるという意味で、「悪」ではないし、民の中の「悪」=つまり上林のような人間も、腐敗した体制というか社会というか日本というか…に苦しめられているという意味で「悪」ではないということになるので。
なぜ上林に共感する人たちがいるのか
西森:テーマとか細かい点の良し悪し以前の、うまさのレベルってあるじゃないですか。仕事で試写会に行ってがっくりして帰るみたいなことももちろんありますよね。ただ残酷なだけで、登場人物の関係が全然描かれていなかったり。そういう意味だと『狐狼の血 LEVEL2』はしっかりしていると思うんですよね。
ハン:あと、暴力描写は激しいし残虐ではあるけど、不愉快なシーンはないですよね。レイプも、あったという話にはなっていても直接は描かれてはいなかった。この作品、制作現場に「リスペクト・トレーニング」を取り入れたことでも話題になっていましたが、白石監督自身、「今の時代、世界のたくさんの映画祭ではレイプを直接的に描いた映画はまず受け付けてはくれない傾向が強くなっています。女性に限らず、マイノリティや弱者が虐げられる露悪的な描写も難しいと感じています。劇中に事実として存在しても描き方に配慮は必要だし、そうでないなら明確な説得力や必然性を示さないといけません」と語っています。
■メジャー映画でリスペクト・トレーニングを導入する意義―白石和彌監督
西森:ちゃんと考えられてるなって思いましたね。だから、最初の上林の行動で、「うわっ」ってなりかけたけど、見ていくとただ単に残虐シーンを入れようとしている風には見えなかったのでほっとしました。
上林と日岡の戦いは最終的にフェアな感じがしたって言いましたけど……オオカミとか虎とかクマとかと人間が戦う作品には、人間と獣の間に、どこかフェアネスみたいなものが生まれるものがあると思ってて。
ハン:どういうこと?
西森:『新しき世界』のパク・フンジョン監督の『隻眼の虎』って作品がありますが、最初は人間が虎をとらえないといけない話になっているので、虎は人間の敵なんです。でも、そこにいろんな人間のエゴが絡んでくると、人間と対峙するのがアホらしくなって、動物のほうがフェアだわ!っていう風になっていくんです。登場人物が獣と戦わないといけない背景が描かれていくと、結局は組織やら権力やらに巻き込まれて、獣と戦わされているだけだったりするんです。そうすると、人間と獣の間に友情が生まれているように作品の中で描かれていく。
ハン:人間たちの方が邪悪っていう。
西森:そうです。腐敗した組織やその「犬」…っていう言い方もどうかなんですけど、まあここではずっと使われてきた言い方でいう「犬」になってる人間のほうが邪悪。『狐狼の血 LEVEL2』はそのパターンな気がして。
ハン:上林は獣なのかな?
西森:獣として描いてますよね。まあでも、私の言ってる文脈は、獣は別に人間に劣る存在というわけでも、獣が単に獣であるというのでもなく、人間のさもしさとの対極であるということを獣にたとえて描いているっていう感じではあるんですけど。あと、実は日岡も「孤狼」だし、公安の人は組織の「犬」なので…。
ハン:ところで、実は西森さんは上林が在日コリアンだって気づかなかったんですよね?
西森:そうなんです。チンタだけだと思ってて、ハンさんに言われるまで気づかなくて……。
ハン:子どもの頃の生活ぶりの描写とか、焼肉屋でソンホって呼ばれているシーンがあったり、在日だとわかるシーンはかなり散りばめられていたかと……。あとまあヤクザ映画ってことで。だから上から目線で言ってよければ、その辺についてはもうちょっと勉強した方がいいんじゃないかなーっていうか、正直少しびっくりしました。『イカゲーム』のセビョク(チョン・ホヨン)が脱北者だって気づけたのに(笑)。
西森:勉強不足は恥じるべきなんですけど、例えば、『ペパーミント・キャンディ』や『お嬢さん』に描かれている背景がわからなかったというのは、明らかに勉強不足なんですよ。なぜかっていうと、ハンさんにその背景を説明されて初めて知ることであって、それまではまったく知らなかった知識だから。でも、『イカゲーム』は、はっきりとセリフにも出てくるし、それがドラマの展開にもかなり関わってくるので、見た人で気づかなかったという人は、よっぽど早送りでもしてない限りいないと思います。
ハン:まあセビョクの例を出したのはあえてですが。上林はなぁ、わかりやすくステレオタイプな在日の記号が配置されていたように思ったんだけど……。あれ以上やったらくどい、というかむしろすでにくどい。あとくどいようですがヤクザだし。たとえば『ヤクザと憲法』にもサラッと登場しますよね。なにより日本のことだし。
西森:ステレオタイプを持たないようにしていたから気づけなかったのかもしれないです。在日にも貧乏な人もいればお金持ちの人もいて、ヤクザになる人もいればそうじゃない人もいると思ってないと非当事者としては、偏見になるじゃないですか。
『狐狼の血 LEVEL2』に描いてあることって、気づけなかっただけで、聞いたら知っていることなんですよ。でも、知っていることと実感が、すぐにつなげられないこともあるんです。『狐狼の血 LEVEL2』だったら、上林の子どもの頃の生活っぷりが、時代背景とかもあって、すぐには在日につなげられなかった。それは、貧困をすぐに在日につなげてもいけないということもありますし、もっというと、自分の知っている在日の人は、商売で成功していてお金持ちだったり、努力して頭がいい人しかいなかったというのもあった。この映画の時代のことを映画で見る以外では実際に見たり聞いたりすることが少なくて、やっぱりすぐにはわからない。だからこそ、その「在日だとわかるシーン」が点在していたのを繋げられなかったという感じだと思います。もちろん、そこに問題があらわれているとも感じます。
ハン:うーむ、なるほど……。いやこの辺は本当に聞いてみたかったので。で、別に気づかなかった西森さんを責めたいってわけじゃなくて。実際に作品を見た人たちの感想を見てみると、上林が在日だって気づかなかった人は結構いる。白石監督は冒頭で紹介したインタビューで「この映画のなかで何かしらの犠牲になっていく人たちは、『差別される側の人たち』ということが分かれば、なにか感じてもらえるんじゃないかなって」とも語っていたけど、つまりその前提が共有されていないわけですよね。だとしたらむしろその辺、もう少し丁寧に描く必要があったのではないか。難しいバランスだとは思いますが……。
作品の批評性ってお約束があってこそ伝わるものだと思うんですけど、お約束が共有されていない中でどう批評性を持たせるのかって難しい問いだなって。ただこの時代、もしかすると在日だと気づかれないことがむしろ共感ポイントにもなっていたりするのかなあ。ってのは、うがった見方か。うーん……。一応、在日コリアン表象も守備範囲である私としてはいろいろ複雑……。2021年になって、気づく人だけ気づくという「クローゼット」に戻っちゃった感……?
上林ファンもいっぱいいるし、『ジョーカー』にたとえる感想も多かった。つまり、その共感ってエスニシティ云々を超えてトラウマを抱えた者の因果律への共感ですよね。でも社会的な属性としてはマジョリティである白人男性であるアーサーとは違って、実は日本社会のマイノリティである在日コリアンの上林が広く共感されるならそれはそれでいいのかな……。作品としても必要なことでしょうし。でも不幸な生い立ちから背景を説くヴィラン物が増えているような流れがあるとしたら、それはむしろマジョリティのアイデンティティポリティクスのようなところがあって私は警戒してしまうところがなくはない。繰り返しになりますが私は悪をめぐる因果律が個人的には苦手だし、属性と結びついてしまうことで偏見につながってしまうことがありうるかと思うとやっぱり怖い。
西森:私、思うんですけど、そこがハンさんが言うところの「優等生」な非当事者が監督をしたが故なのかなとも思いまして。それは私にもあてはまるんです。
よく「傷つけるつもりではなかった」といって差別してしまう人がいますが、そんなことは理由にはならないのはもちろんのことなんですけど、知識がついていってないと「そんなつもりはなかったのに傷つけてしまった」ということになりやすいんですよね。
繰り返しになりますが、それを肯定しようというわけではありません。ただ、知識が足りなくて、自分の表現で人を傷つけないように、間違わないようにしないといけないという気持ちでなにか発言したり作った結果、その表象をあからさまにできなかったということはあると思うんですよ。だって、上林の背景をあからさまにすればするほど、上林が在日コリアンであることと悪役=ヴィランであることが結びついてしまうということもありえるわけですし。だからこそ、在日コリアンを描くときだけではなくて、さまざまなことで、知識が必要だし、学ぶしかないんですよね。
でも、最後までみれば、「上林は悪人」みたいな反発を持つようにはできてないことは、もしかしたらその「おそるおそる」背景を書いたことが、良い方向に作用しているのかもしれなくて。だから、監督がいう「この映画のなかで何かしらの犠牲になっていく人たちは、『差別される側の人たち』」であるということが、すなわち在日の人たちであるとあからさまにすることにも、また差別があるんじゃないかって考えてしまったんじゃないかなと。つまり、「差別されている人たち」が差別されることに、在日であるという属性を関係づけたくないとしたいという思いが、在日であるという箇所を最小限にしてしまったのではないかと。
ハン:なるほど……、監督がそう考えたかどうかはさておき、なんかわかるような気はします。他者表象というか、より具体的に言えば歴史的経緯も含めてこの社会のマジョリティである日本人がマイノリティである在日コリアンをどう描くかって難しいことですからね。しかも見た目に違いはないから視覚的に表現するのが難しいし。でも、これは在日コリアンに限らずですが、当事者にしか描けないというのも違う。誠実さを持ちながら、そして西森さんが言うように学びながら、どんどん描くべきだと思っています。ということでそこを描いた本作って、PCを意識するとバイオレンスなんてできない、みたいな批判への反論というか問題提起にはなっているのかなーと。
最初はびっくりして冒頭で紹介したインタビューを読んで、タブーを恐れず差別をも描く誠実なヤクザ映画としてのエクスキューズ? 監督の自己満足? しかもその設定自体が通じていないのだとしたら……? それって、前に西森さんと『お嬢さん』の対談をした時に指摘した『この世界の片隅に』の太極旗じゃん!とか思ったりもしていましたが……。で、なによりも上林の残虐さが在日という出自とイコールで結びつけられるのが怖かったんだけど、いまのところ、おそらくそのようには受け止められていないようなので、その点については成功しているんだと思います。まあこの辺は、西森さんが指摘したようなところも含めて時代的な背景もあると思っていて、機会があれば改めてもっとじっくり考えたいところです。
あと、どうして『狐狼の血 LEVEL2』について西森さんと話したかったかと言うと、ここまでの話でわかるように、上林の件について、私には「当事者性」みたいなものがあるから距離の取り方が難しくて。
西森:甘く評価もできないし、批判するなら細かいところまで見ないといけない。
ハン:それが評価の甘さにつながることはむしろほとんどないですね。で、自分が客観的ではないこともわかっているから慎重になるのはまあ仕方ないとして、考えすぎかもしれないけど、ある種の「当事者性」によって、気軽に感想をつぶやいたり評価したりできないのは不均衡だよなって感じることもあったりして。なにを言っても、結局は「在日だから」って思われちゃったりするし……。みんながみんなそうではないと思いますが、自由気ままに感想を言ったり批判したりできるマジョリティは気楽でいいよな、うらやましいなって思うときもあります。ということで、今日は話せてよかったです。
西森:ただ、さっきも言いましたが、マジョリティが気ままに映画を作ってるわけではないし、気ままに感想言ってるわけじゃないとも思います。もちろん気ままにやってる人もいると思いますが、少しでも考え始めると、これを言うと、マジョリティの気ままさになってしまうのではないか、マジョリティの気ままさは、差別になってしまうのでは、という思いもあるんだと思います。これって、いろんなことに言えることだと思って。例えば、震災を描いた朝ドラの『おかえりモネ』なんかでも、実際に震災の現場にいない人は、現場にいた人に、安易に共感することも無責任だけれど、共感できない自分でもいたくないということで悩んだり。
ハン:まあ私はそんなこと言ってないというか、さっきの「気ままなマジョリティ」には西森さんも白石監督も入っていませんし、さっき、「当事者にしか描けないというのも違う」と言ったかと。ただ、いま、西森さんが言ったようなことは、「共感」をベースにすると色々ずれていっちゃうよなというところがあって、その辺は来年出る予定の共著の本で結構話していたりするのでぜひ読んでほしいですね。
ってことで次は、さっきちらっと話に出た『イカゲーム』にしましょうか。
※次回「世界的なヒットをした『イカゲーム』の新しさと古さ」に続く(11月20日更新予定)
『韓国映画・ドラマ――わたしたちの おしゃべりの記録 2014~2020』(駒草出版)