『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第6回 山川ひかるさん(38歳・仮名)の話(前編)
「4年前の春、夫やその家族に、子どもたち3人を連れ去られました。今ではまったく会うことすらできません。夫はマイホームに別の女性とその連れ子と住んでいて、自分の子の養育を放棄しています。子どもたちは、夫の母の家で暮らしているんです」
そう話すのは、山川ひかるさん。
「彼の素性がわかっていたら、結婚なんかしませんでした」
肩を落とすひかるさん。夫は、どうやってここまで彼女を追い込んだのか? 修羅場の中、双方の家族はどうしていたのか? 前半では家庭が壊れるまでを描く。
地元の先輩の後輩と結婚
――生い立ちから教えてください。
会社員の父と専業主婦の母のもとに、千葉で生まれました。4人きょうだいの3番目で、ほかは男。父は仕事に一生懸命な人で、遊んでもらった記憶がほとんどありません。一方で、母は子育てを一手に担っていました。私たちきょうだいの手がかからなくなってくると、食堂などでパートの仕事をするようになりました。
――役割分担がはっきりした、典型的な昭和の家庭だったんですね。
当時は、それが当たり前でした。だから、父が子育てにしっかり関わってくれないことに違和感はありませんでした。私も大人になって子どもができたら、父と母のような生き方をするんだなと思っていました。
――進学して、結婚に至るまでの経緯について教えてください。
高校を卒業すると、そのまま地元で就職しました。内装関係の小さな会社。そこでかなり理不尽な扱いを受けて、3カ月で辞めました。その後は東京ディズニーシーのレストランで働いたり、住宅設備メーカーで働いたり。26歳で結婚するまでは、ずっと実家住まいでした。
――結婚相手とは、どうやって知り合ったんですか?
地元の先輩の後輩が、後の夫でした。先輩と一緒に7人ぐらいで飲みに行ったとき、彼がいて、「連絡先を教えて」って言われたんです。彼は私よりも1つ下。ガソリンスタンドでバイト中でした。
その後、2年ぐらいは疎遠になったんですけど、あるとき突然、携帯に「久しぶりです」と連絡が入って、なんとなく会ってみることにしたんです。そのとき、彼、「携帯ショップで店長をやってる」と言っていました。
それで実際に再会してみると、彼、マニュアル車を運転できるんですよ。私はけっこう車好きで、当時乗ってたのはマニュアル車だったんです。マニュアル車つながりで、距離がぐっと縮まって、それ以降、お付き合いするようになりました。そして、しばらくたった頃、母に言われたんです。
「そろそろ結婚しないの? 年取ってから産んでも、子育て手伝えないからね」と。
――結婚は勢いという、まさにそういう流れだったんですね。
ほんとそうです。そして双方の両親にいよいよ挨拶という段になったとき、彼が言ったんです。「挨拶するための既成事実が欲しい」って。それを聞いて、何か目標とか、すでに成し遂げたことでも発表するのかと思うじゃないですか? でも違っていました。
「子どもができれば、結婚の挨拶に行ける」って言うんです。それで実際、彼の子どもを身ごもりました。
――できちゃったことを既成事実としたわけですね。子どもができて、さらに親密になっていったんですか?
いえ、それどころか険悪になりました。彼がとっかえひっかえ浮気をしていることがわかったんです。
証拠を隠すような機転が利かない人なので、証拠はすぐにつかめました。それを彼に突きつけたところ、泣きながら土下座をしたんですよ。「悪かった。もうやらない」って。「ここまで本気で謝るんだったら、もう二度とやらないだろう」って思って許し、子どもは堕ろさず、そのまま結婚しました。
――謝って改心したんですか?
私と付き合う前に付き合っていた女性と縁が切れてなかったり、mixiでシングルマザー狙いのナンパをしていたり……夫となった彼の浮気グセは直りませんでした。
証拠はたくさんありました。例えば、長女を出産する時がそうでした。立ち会わずに別の女と過ごす約束をしていたことが、出産後に判明したんです。それでまた問い詰めたら、今度は逆切れされました。
「だったら、家を出て行け!」そう言われて、荷物を車の中に詰め込まれました。
――新生児期なのに。ひどいですね。その後の生活は?
出産に備えて退社していましたが、「出産後は仕事をせず、子育てに専念してほしい」と言われ、従っていました。
その間、夫はトラック運転手として働いていて、子育ては、おしっこのときのオムツ替えぐらい、それ以外は、私がやって当たり前という感じ。でも、それに関してストレスは特になかったです。育児が、やりがいもあり楽しかったからです。
夫の月給は約35万円。それを現金でもらってきて、そのまま全部くれました。それだけあれば安泰かといえば、むしろ大変でした。夫の毎月のカードの支払いがすさまじく、さらに夫の車のローンがあったので。私が独身時代に貯金した200万円は、気がつけば、夫に使い込まれてしまいました。
でも夫にそのことを指摘すると、「これだけ稼いで家を支えているのに、なんだよ、おまえは!」と怒鳴り散らされました。
――どうやって金策したんですか? ご両親に援助してもらったのですか?
私に早く子どもを産んでほしいと言った母は、すでに亡くなってしまっていました。冬場に風呂場で倒れたんです。ヒートショックが原因で。父には話をするのがどうも気が引けてしまって。父に相談するのは最後の手段だと思って、結局、話しませんでした。
相談したのは、夫の母、つまり義母と夫の義祖母でした。義母は夫が生まれてすぐに離婚していて、実家の両親と一緒に住み、会社勤めをしていました。義祖母も若い頃にたくさん働いていたようで、年金をたくさんもらっていました。義祖母に相談すると、月5万円ほど援助してくれたんです。
頼る先があってよかったか? どうでしょうね。というのも、義母と義祖母は、私たちの子育てについて頻繁に介入してきたんです。子育てを手伝ってくれるのはありがたかったんですけど、自分のやり方を強く押し付けてくるので、閉口しました。
例えば、子どもが危ないことをして注意しても「怒るな」「褒めて育てろ」と言うんです。私が「危ないことだから」と言っても、「こっちの言う通りにしなさい」と言って、私の言うことを一切聞いてくれません。お金を貸していたことから、息子の妻である私を従わせて当たり前だと思っていたようです。
――それで何か行動を起こしたんですか?
結婚当初住んでいた賃貸から、一軒家を購入引っ越ししました。賃貸の家は夫の実家のすぐ近くでしたが、引っ越し先は車で約30分離れたところ。支払いはすべて夫のローンでした。一方、その家は、私の実家から車で5分の距離でした。
――一軒家に引っ越して、落ち着いたんですか?
いいえ。夫が、浮気相手に性病をうつされてしまって。さすがに、「もう一緒にはやっていけない。これからは、子どものために働いて生きよう」と思いました。そうして、長女を保育園に預け、保険外交員として働き始めました。
最近では、保育園の送り迎えをしてくれるパパさんたちが増えていますが、夫は一切関わろうとしませんでした。それどころか「お前が絶対迎えに行け、1分でも遅れるな、絶対だ」と強く言っていました。でも、仕事で遅れるときだってあるじゃないですか? そんなときは、「ふざけるな、お前のやりくりがヘタだからだ」と罵倒されました。
――夫婦の仲はどんどん悪くなっていったのでしょうか ?
ところが、また妊娠して、次の年に次女が生まれました。背に腹は代えられないので、祖母に月5万円を借りて、家計を回していました。そのころ、経済的な心配から、「3人目はやめておきたい」と私は夫に言ったのですが、彼は全然避妊をしてくれませんでした。なので3人目も産むことになりました。
切迫早産となって、予定日の2カ月くらい前に入院して、退院後も夫は、家事や長女長男の育児を手伝ってはくれませんでした。
――子どもが増えて、ますます大変じゃないですか!
いいえ、子どもたちの存在が生きがいだったので、つらいと思ったことはありませんでした。ほぼ年子だったということもあって、千葉市の子育てサポートがあって助かりました。1人目はフルで保育料を払いましたけども、2人目は半額で、3人目になると無料でしたから。同じ公立の保育園に、3人とも入れることができましたしね。
――夫の収入事情は?
夫の勤務する会社が、代替わりして合理化。そのあおりで、給料は18万円にまで目減りしました。私、家庭にいること自体、なんだかストレスになってきてしまってて。それに夫の親にお金を借り続けるのも嫌。だったらお金を借りないで住めるようにしようと思って、その頃から私、時給2,000円の夜の仕事を始めました。いわゆる水商売です。
――夫に甲斐性があれば、そんなことしなくて済むのに。
そう。だから、私が「夜の仕事に出る」と言ったとき、期待したんです。「そこまでしなくていいよ。俺がバイトするから」と言って、副業して頑張ってくれるのかと思ったら、「いいじゃん。それ」と言って送り出されました。
――夜の間、お子さんはどうされていたんですか?
義母に預けていました。それで2〜3年忙しく過ごしたんです。そのうち子どもから夫の浮気について話を聞くようになりました。しかもそれ、義家族が同伴なんです。
例えば「何々くんママとご飯食べてきたよー」とか。「何々くんママとばあちゃんと遊びに行ってたよ」とか。
――え、それはもしかすると、義母らが夫の浮気相手と一緒に遊びに行ってたってことですか?
そうです。でも、子どもにそう報告されても、子どもは別に悪くないので叱れないですよね。一方、義母に対しては、絶望的な気分になりました。散々悩んで今まで相談してきたのに、浮気相手を容認するんだ~と思って。
なので、私、現実逃避したくて、さらに仕事に打ち込むようになりました。昼は不動産屋で、夜は水商売。その2つ掛け持ちして、家にあまり帰らないようになったんです。すると、夫はさらに浮気に走りました。
――夫の浮気、ひどいですね。何か対策はとったのですか?
証拠を集めて、なるべく良い条件で離婚するしかない。そう思って、探偵さんに浮気調査をお願いし、一つひとつ証拠を集めていったんです。2016年のことです。夫は、なぜか「バレるはずがない」と決め込んでいて、「浮気の証拠を見せろ。離婚届を持ってこい」と開き直っていました。
――浮気の現場を押さえて、夫に詰め寄ったりしたことは?
ありました。家族で使っているワンボックスの3列目のシート。そのシートの後ろのポケットにGPS機能付の携帯電話を忍ばせておいて、探知したんです。すると、行き先はラブホテルだったんです。
以前から週2回ほどのペースで、遠方のコンビニや人けのない工場地帯に駐車している形跡があって、何度か問い詰めていました。「ラブホテルに行ってたんじゃないの?」って。だけど、その都度、「仕事の関係でコンビニに立ち寄った」とか「夜勤で忙しい」とか言って、はぐらかされていたんです。
――決定的な証拠に、なかなか至らなかったんですね。
私、まずラブホテルの駐車場まで出かけてワンボックスに合鍵で入り、車内からLINEをしてみました。
「ラブホテルにいるようだけど?」
(後編へつづく)