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『ザ・ノンフィクション』話すことは破天荒ではなく普通だった談志「切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月21日の放送は「切なくていじらしくてメチャクチャなパパ~家族が映した最期の立川談志~」。

あらすじ

 番組放送日である2021年11月21日の10年前に、ちょうど75歳で亡くなった落語家・立川談志。談志は63歳から晩年まで自分の様子をビデオに収めており、それはテープで750本、1000時間に及ぶ。息子でマネジャーの慎太郎が撮影したものもあれば、談志自身が自撮りしたものもある。いずれお金になるかも、という目論見もあったようだ。

 談志は天才と呼ばれた落語家で、一度聞いた落語はすぐに覚えたという。師匠であってもずけずけ言う怖いもの知らずの性格は若いころから変わらず、47歳で落語協会を脱退し立川流を創設した(門下には立川志の輔、立川談春、立川志らくなど)。ビートたけしも弟子であり、ビデオでは和田アキ子、森繁久彌、石原慎太郎と飲む姿など、幅広い交友関係も映されていた。

 談志は61歳で食道がんになり、映像では自分の老いについて話したものも多い。皮膚のたるみ、増える白髪、体臭の変化(体の中から腐っているのでは、と形容していた)などの体の変化もあれば、イラついたり、不安定になったり、何を見てもつまらなく感じたり、人に会うのもイヤになっていくなど精神状態の変化もあった。

 調子は年々悪化していき、2010年に喉頭がんが再発、声はどんどんかすれたものになっていく。声帯を取れば完治の可能性もあると言われたものの、落語家の命である声を失いたくない談志はそれを断る。

 最晩年となった11年、最後の高座は咳込みながらのものだったが、「咳を拾うたびに(自分の前にある)マイクが遠ざかっていってないか」とネタにして座を沸かす。

 その後、呼吸を確保するため気管の切開手術を行うが、手術後、ベッドで寝そべった状態のまま、声帯を取っていないか家族に筆談で確認するほど、談志は落語家であることにこだわった。

 ただ、この手術で声帯は取らなかったものの、がんの進行により最期の日々においては、声を失ってしまっていたようだ。番組最後では話せなくなった談志と妻の則子が、かつて家族が暮らした新宿のマンションの非常階段で2人寄り添う姿が映されていた。

談志の言っている「内容」は案外普通

 談志についてほぼ知らず、談志の落語も見たことがなく、「破天荒だとよく紹介されていた落語家」くらいの認識しかなかった。今回の放送では、さぞぶっ飛んだことを言うのだろうと思ったが、公開された映像を見る限り、談志がしゃべっている内容は主に「老いるのはイヤだ」という、包み隠さず率直で、しかしごく普通なことのように思った(本当に破天荒な内容は放送できなかった可能性もあるが)。

 少なくとも今回の映像において、談志の言っている「内容」は案外普通だった。しかし、自撮りで談志が一人ひたすらしゃべっている映像を見ると、不思議と非凡なことに聞こてくる。なにかすごいことを言っているのではないか、と思わず耳を傾けたくなる。自撮りで一人、自宅で心置きなくしゃべっているときも、落語家としての立川談志が憑依しているように見えた。

 話す内容は、老いということについて、自虐的な笑いに昇華することはさほどせず、率直にネガティブな気持ちを話していることが多い。それなのに不思議と悲痛な感じがなく、言葉が音楽のように軽やかに流れていき、聞いていて心地よさすら感じる。

 それは、その「しゃべり方」によるものだろう。とにかく話している調子や繰り出される音が心地よいのだ。個性的なキャラクターで人気を博した人かと思ったが、しゃべりを極めた技術の人でもあったのだ。落語家としての談志のすごさを感じた。

 談志の十八番である「芝浜」など、落語自体がすでに台本のあるジャンルだ(創作落語もあるが)。落語が好きな人はオチを知っている落語を何度も聞くし、寄席に何度も足を運ぶ。ネタバレしていても楽しめる、というのは考えてみればすごい芸術だ。落語は「何を話すか」ではなく「どう話すか」が求められ、談志はその天才だったのだろうと、今回の放送で思い知った。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は『私が守りたいもの~北の大地 牧場一家の12年~』。札幌で生まれ育った美和(当時34歳)が嫁いだのは、北海道・新冠町の競走馬を育てる小さな牧場。命と向き合う休みなしの過酷な日々と、美和が預かった不登校の子どもたちについて。