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「スピリチュアル」はナショナリズムと合体するのか? 橋迫瑞穂氏インタビュー

ByAdmin

Nov 26, 2021

『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社新書) パワーストーン、オーラソーマから布ナプキンまで、「スピリチュアル系」と呼ばれるグッズやサービスはいまや一大市場を築き上げ、必ずしも神秘体験を求めない人も気軽に購入するまでになっている。とくに大きな消費層の一つとなっているのが妊娠・出産を迎えた女性たちで、活況の一方で健康被害が懸念されるものも少なくない。

 なぜ母親になろうとしている人たちは、スピリチュアルを切実に求めるのか。宗教社会学者である橋迫瑞穂さんによる『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社新書)は、実際の「スピリチュアル市場」を調査した経験と、数々の文献からその背景を読み解いた一冊だ。

 インタビュー前編では「スピリチュアル」の歴史的経緯と、しばしば目にするスピリチュアルとナショナリズムとの接近について話を聞いた。(聞き手・構成/柳瀬徹)

橋迫瑞穂(はしさこ・みずほ)
1979年、大分県生まれ。立教大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程後期過程修了。立教大学社会学部他、兼任講師。専攻は宗教社会学、文化社会学、ジェンダーとスピリチュアリティ、宗教社会学、文化社会学。また、小説やゲーム、マンガなどのサブカルチャーについても研究している。著書に『占いをまとう少女たち――雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』(青弓社)がある。写真:(C)野本ゆかこ
そもそも「スピリチュアル」とは?
――まず「スピリチュアル」「スピリチュアリティ」という言葉は、具体的には何を指しているのでしょうか?

日本で「スピリチュアル」という言葉が一般に広まった契機の一つは、2000年代に「スピリチュアル・カウンセラー」を名乗る江原啓之氏がメディアに登場し、パワースポットやオーラといったものに注目が集まったことにあります。グッズなどのコンテンツ、「すぴこん」「癒やしフェア」といったイベントが各地で開催され、大きな市場が形成されていることはご存知の通りです。やや侮蔑的なニュアンスで、「スピってる」などという言葉もよく耳にすることと思います。

――「スピ系」などといわれることもありますね。

はい。宗教社会学では、このような現象を「スピリチュアル」ではなく「スピリチュアリティ」と呼び、宗教との異同をひとつの軸にした理解をしています。

――神秘的な体験や、科学では説明できない事象を信じ、価値を見出すという点では、宗教とスピリチュアリティとの共通項は多そうですが、明確な違いはあるのでしょうか?

現在も議論が進んでいることもあり、一言で説明するのは難しい側面があります。ただ、日本の場合は新宗教や新新宗教が発生した経緯を整理すると、わかりやすいと思います。

19世紀初めから現れ始めた天理教、大本教、創価学会などの「新宗教」は、貧困からの脱却や病気の治癒、家族・親族内の争いの解決など、現世利益の実現を教義の主眼としていました。都市化の進行により、かつてよりも人間関係が希薄になるなかで、新宗教が個人や家族で解決しきれない問題や不安に対応してきたといわれています。

戦後になり、高度経済成長を経た頃には、貧困や病苦といった具体的な問題よりも、原因のはっきりしない不安や寂しさといった心の問題に悩む人が増えてきます。1970年代以降の宗教ブームで登場したエホバの証人、真如苑、オウム真理教など「新新宗教」は、新宗教よりも個人主義的色彩が強く、瞑想などを通じて神秘的な体験を得ることを主眼としていました。ただし、新新宗教と新宗教に明確な差異はないとする立場の議論もあります。

これに対し、1970年代以降に広がったのが「精神世界」などと呼ばれるムーブメントです。なかでも、アメリカ発のニュー・サイエンスやヒッピーカルチャーなどに影響を受けた神秘思想は、教団などの大規模な組織化を志向せず、書籍などのメディアを介在して個人主義を志向する人たちに広まりました。また、異なる社会背景や時代によってさまざまに変化してきたのも特徴です。

こういったムーブメントを宗教社会学では「新霊性文化(新霊性運動)」と呼んでいます。この本での「スピリチュアリティ」の定義は、新霊性文化とほぼ重なります。

――1980年代にはUFO、超能力やコックリさん、あるいは口裂け女などの都市伝説も流行しましたが、これらも新霊性文化に入るのでしょうか?

新霊性文化には、宗教団体の教義ほど統一されたものではありませんが、ある種の世界観や人間観があり、オカルトや占い・おまじないなどの大衆文化とは区別されていますね。ただ、大衆文化と新霊性文化を区別することなく、自らの世界観を構成している人も多いので、完全に両者が分かれているわけでもないですね。

「否定されないコミュニティ」を求める女性たち
――スピリチュアリティが2000年代以降にどんどん市場化していくなかで、とくに女性の妊娠・出産にまつわるコンテンツが一大市場を成すようになった、とご著書では書かれていいますが、母親になろうとする人たちがスピリチュアリティに惹かれる理由はどこにあるのでしょうか?

「子どもを生む」という大きな選択を、100%肯定してくれるからなのかなと思います。女性個人のキャリアの面から見ると、子どもを生むことは残念ながら大きなリスクとなりますし、専業主婦として子どもを産めばその人の人生ではなく「妻」「母」「嫁」として残りの人生を生きていくことを覚悟しないといけない。少しずつ社会の価値観も変わってきているとはいえ、社会的にも経済的にも決心を必要とする選択肢であることに違いはありません。

こういった社会のありように異議申し立てをしてきたのがウーマン・リブ運動や、フェミニズムです。ところが、それらの言説の多くは出産に否定的で、むしろ出産をしないことが新しい女性の生き方であるように語られることもありました。女性の権利を大事にしつつ、伝統的な家父長制家族ではない家族のなかで子育てをしたいという思いを正当化する言説は、今の社会のなかになかなか見当たらないのが現実なのだと思います。

――少子化もあり、お母さんどうしの緩やかなコミュニティをつくるのも難しそうですね。

私は子どもがいないのであくまでも友人などからの伝聞ですが、ママ友コミュニティも大変で、自己犠牲を強いられる場面も多いと聞きます。その点、スピリチュアル系のコミュニティは優しくお互いを肯定し合って、批判をすることはほとんどないようです。スピリチュアル系のSNSを覗くと、今日は子どもと公園に行って、夕日が綺麗でパワーをもらいました」という日常の話にオーラなどのスピリチュアルな言葉が入っていたり、ヒーリングや代替療法の話につながっていく。コメント欄には肯定的な内容が主です。

そういうやりとりが続く中で、「ああ、アトピーにはねー、●●っていうレメディ(ホメオパシーで用いられる薬)が効くよー」「いいよねー」「いいよねー」みたいに、ナイーブなところにすっとスピリチュアリティが悪意なく入り込む。社会学では共通の趣味でつながる関係性を「趣味縁」と呼ぶのですが、スピリチュアル系ママ友コミュニティは趣味縁よりもさらにナイーブな領域にまで踏み入っていく傾向がありますね。

――それだけ、子どもを生み、育てようとしている女性たちが孤独を感じ、人とのつながりを切実に求めているということですね。

ええ。私は宗教研究をしてきましたが、宗教はオウム真理教の例が挙げられるように暴力的な側面のある、「あぶないもの」でもあると思っています。スピリチュアリティについても、「毒にも薬にもならないもの」だとはまったく思っていません。実際に健康問題や金銭問題なども起きています。

ただ、女性を取り巻く社会的な不公正を背景にして、切実な思いで成立している文化やコミュニティのあり方を、科学や医学、あるいは女性の権利といった言説で頭ごなしに批判したところで、現実がよくなるとは思えません。

なぜナショナリズムと相性がいいのか
――スピリチュアリティに傾倒する著名人も多いですが、その筆頭が安倍元首相夫人の昭恵さんです。昭恵さん自身に一貫した政治思想があるとは考えにくいのですが、スピリチュアリティに傾倒していった芸能人がいつの間にか国粋主義的な言動を行っているなど、ナショナリズムとスピリチュアリティの合流もしばしば目にします。

私が「すぴこん」などのイベントに最も出入りしていた約10年前は、ナショナリズムに傾斜したコンテンツはほとんど見ませんでした。当時流行っていたのは「ハワイ」で、フラダンスをきっかけにスピリチュアルの世界に入った人は吉本ばななさんの例が挙げられるように、とても多かったんです。イベント会場の周りでフラっぽい格好をした人を探してついていけば、方向音痴の私でも会場までたどり着けたので助かりました(笑)。

ところがその2~3年後から、スピリチュアルとナショナリズムの接近が目立つようになりました。それまでは、スピリチュアル系のイベントでは新しいコンテンツの人気が高く、人気がなかったのは『ムー』なんかのオカルト系や、船井総合研究所のブースだったんです。「ああー、昔あったよね」みたいな反応で、正直言って相手にされていなかった。ところが、船井総研は安倍昭恵さんとも仲良くなって、スピリチュアル系団体として一気にリバイバルしましたよね。私はかなり見くびってしまっていましたが、老舗の底力を見た気がしました。とはいえスピリチュアリティにとっての保守主義は「国家」というよりも、「土地」に根ざしたものとして、日本の良さを再発見するためのコンテンツになっているという印象です。

スピリチュアリティはやはり「私」に向かう性質のもので、「私」を犠牲にしてまで「国」に尽くすという方向性には行かない気がします。国家や伝統が「私」を補強してくれるなら喜んで受け入れるけど、「私」が「国」を補強しなくてはならないのだと言われても「なんで?」となるのではないでしょうか。そういう意味では、ナショナリズムとスピリチュアリティがどれだけ接近しても、完全には交わらないだろうという気がしています。(後編「フェミニズムから切り離された『スピリチュアル』」に続く)

『妊娠・出産をめぐるスピリチュアリティ』(集英社新書)