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『ザ・ノンフィクション』笑顔を取り戻した、元不登校児の双子「私が守りたいもの~北の大地 牧場一家の12年~」

 日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。11月28日の放送は「私が守りたいもの~北の大地 牧場一家の12年~」。

あらすじ

 北海道道央の新冠町(にいかっぷちょう)で、競走馬を育てる牧場の家に嫁いだ美和。美和は札幌で生まれ育ち、職場のパチンコ店で同僚だった弘明と出会う。弘明は家業の牧場を継ぐことに迷いもあったようだが、美和が後押しするような形で実家に戻ることになる。

 命と向き合う仕事に休みなどなく、早朝から深夜まで重労働が続き、美和も最初は馬房で泣くこともあったと話す。番組が取材を開始した2009年、美和は2人の幼い子どもを育てながら牧場でも働いていたが、長引く不況で競争馬は売れず、そのような中でデビューした馬も初レースは最下位と、生活は芳しくない状況だった。

 悪いことは続き、優秀な馬をたくさん産んでくれた牝馬が放牧中に足を骨折してしまう。馬にとって、脚の骨折は致命的なものだという。残りの足に負担がかかり、やがて蹄は腐り、体を支えきれなくなった馬は苦しみながら死んでいくため、安楽死を選ばざるを得ないというのだ。

 その馬は優しい性格で、当初、馬がまだ怖かった美和が初めて触れた馬でもあった。美和、弘明は涙にくれながら愛馬の最期を馬房で看取る。

 時が流れ17年、幼児だった2人の息子は中学1年生、小学校6年生まで成長していた。かつて経営が苦しかった牧場も、生産馬たちの活躍で安定する中、美和は知り合いの子どもを自宅に引き取ることを決める。1年間不登校が続く双子の兄妹だが、実は弘明の両親も家出中の子どもを1~2カ月牧場で預かることがあったそうだ。

 兄妹の父親が体調を崩し、母親がつきっきりで看病をする状況で、兄が登校を拒否するようになり、妹もそれに続いて行けなくなってしまったという。兄妹は北海道の生活に最初は慣れず、しかし帰りたいと美和や弘明には言えず、大阪の親にLINEで訴えていたものの、諭されていたようだ。

 しかし、子どもの順応力の高さからか、徐々に兄妹に笑顔が見られるようになり、「楽しい」とカメラの前で話していた。それから半年後の小学校卒業の後、2人は大阪に戻ることになり、別れの日は大林ファームに同級生や担任が訪れ、美和も涙にくれる中での別れとなった。

 さらに時が流れ、21年。牧場はコロナの影響も大きく受けず、美和の息子2人も17 歳、16歳となり、長男は牧場を継ぐ意向を見せる。一方、次男は反抗期中だと美和はぼやく。番組の最後、美和は息子たちや双子たちが帰りたいと思ったときに帰って来られるよう、この土地(大林ファーム)だけは守りたい、と話していた。

 不登校の兄妹が、なぜ学校に行けなくなってしまったのか、元気になった2人の口から聞いてみたかったなと思う。父親の病気が一つのトリガーだったとは思うのだが、それだけだったのだろうか。

 この兄妹に限らず、不登校の原因には謎が多い。いじめや、周囲になじめなかったり、軽んじられているなどの明確な要因があるとは限らず、本人ですらなぜ学校に行けないかわからない、説明できないケースもある。

 兄妹の母も、先に不登校になった兄のほうはそれまで学校に楽しんで通っており、最初に「行きたくない」と言われたときに違和感があったと振り返る。しかし同時に、「目がどんどん死んでいく」様子も目の当たりにしたという。

 大人であっても、「生きづらい」ときに何か一つだけがトリガーになっているというケースは少なく、さまざまな人間関係や、本人の物事の捉え方などが複雑にこんがらがっている。おそらく、子どもの不登校も実態は似ているのではないだろうか。

 なぜだか本人もよくわからないくらいこんがらがっているから苦しいのだろうし、「なぜ」の答え探しに費やす気力はもうないのだろう。

 不登校で今まさに「なぜ」を考える余裕のない人に「なぜ」を聞くのは酷だと思うが、一方で、不登校状態に区切りがついた人(場合によっては「学校に行けるようになった」だけに限らないかもしれない)には、なぜ登校できなくなったのか聞いたほうが、別の人のヒントになるようにも思う。美和のように他人を献身的に世話し、愛情をかけてくれる人はそうはいないのだ。

 次週の『ザ・ノンフィクション』は「笑顔の一枚とあなたの記憶 ~家族へのおくりもの~」。東京・中野にある写真スタジオ「素顔館」は、遺影写真専門の写真館だ。もともとは数々の受賞歴のある広告カメラマンだった館主、能津喜代房はなぜ遺影を専門に撮るようになったのか?