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秋篠宮さま「反抗」の数々! かつての「皇室離脱願望」や「やりたいことは遠慮なく実行」がはらんだバッシングの伏線

「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます! 前回からは、秋篠宮家について振り返っています。

――秋篠宮さまといえば、過去は“やんちゃ”だったけれど、現在は落ち着いて、地に足のついた生き方をなさり、しっかりした意見を述べられる方というイメージが強いです。

堀江宏樹(以下、堀江) 私もそうだと思っています。ただ、平成初期から秋篠宮さまをめぐるマスコミの報道を見ていると、現在の眞子さんバッシングへの伏線の存在も感じずにはいられないのですね。

 たとえば「週刊ポスト」1989年4月7日号(小学館)の「新天皇夫妻を悩ます『礼宮(あやのみや)の反抗』」という記事は、今読んでもかなりショッキングでした。

 戦後日本で、皇室史上はじめての“民主的”な家庭教育をおこなった「新天皇家(=現・上皇さまご夫妻)」。戦前の皇室に生まれた皇子・皇女がたは、兄弟姉妹をそれぞれ隔離して赤の他人である傅育官(ふいくかん)らによって育てられてきたのですが、戦後、はじめて一つの家庭として「家族団欒のなかで兄弟が仲良く一緒に育つ」教育が実施されました。

 同記事の「宮内庁OB」の主張をまとめると、兄の浩宮さま(現・天皇陛下、当時・皇太子殿下)にだけは「帝王教育」が実施されていました。また、割り振られる皇族費の額の違いなどから、ご自分との「身分差」の存在に礼宮様は「ショック」を受け、ノイローゼ気味になるほど悩まれた、などといっているのですね。

 それで、秋篠宮さまには「皇籍離脱願望」が生まれた……などと、攻めたことが書かれていますね(笑)。

――報道当時、秋篠宮さまは23歳にあたりますね。大学を卒業した翌春です。当時の礼宮さまは「口髭をたくわえたり、ブレスレットをしたまま宮中行事に出席してみたりと、やりたいことは遠慮なく実行」ともありますね……。

堀江 かつてはアイドルのような人気を誇り、昭和天皇からは「あやちゃん」、世間からは「アーヤ」と呼ばれておられました。大学時代には“ロン毛”でもあられたようですね。これはただの反抗期というより、“私らしさ”を求めた姿勢でもあります。皇太子殿下の弟宮として、ご自分の主体性を模索する行為だと思いますが……。

 ただ、礼宮時代から、秋篠宮さまご自身の“私”偏重をそれとなく指摘する記事も多く出ていたようですね。

――ブレスレットをしたままで宮中行事出席は、ちょっと大胆かもしれませんね(笑)。

堀江 はい(笑)。同記事によると、皇位継承の可能性が低くても、「自由を(天皇陛下や皇太子殿下同様に)束縛されつづけ、しかも与えられる仕事といえば、地方式典での挨拶やテープカットが主といったところ」。そんな「レールにのった人生を強いられたくない」と、当時23歳の秋篠宮さまはお悩みになっておられたのだとか。

――これは、眞子さんにもお父様と同種の葛藤があったのでは、と思われてなりませんね。

堀江 ファッション面での反抗で済めばよかったのですが……。

 この記事は礼宮さまの「皇籍離脱願望」に触れつつも、結局は天皇陛下(現・上皇陛下)が伝えた“皇族は天皇を補佐する存在”という鉄則を曲げるつもりはないと書いてはいます。しかし記事は“(自由がないなら)せめて皇太子殿下と待遇を同じにして”という宮さまの“平等願望”にも触れていますね。

――平民でも、長男と自分では親からの扱いが違うと葛藤する次男坊がいるようですが、皇室では残酷なほど明確に差があるわけですもんね。

堀江 そうなんです。秋篠宮家と皇太子家の大きな待遇差が縮まることは、長い間、ありませんでした。「女性自身」2006年10月3日号(光文社)の記事「悠仁さま『子育て』は愛子さまとどう違うの?」では、「天皇皇后両陛下、皇太子ご一家(略)の生活費3億2400万円」に対し、秋篠宮家は「5490万円」という待遇格差(当時)が記されています。

 住まいの規模にも格差は確実に見られ、「皇太子ご一家の東宮御所の広さは5460平方メートルで、秋篠宮邸は1417平方メートルと、約4倍の差」などと書かれていますね。

 同06年の「FRIDAY」10月6日号(講談社)の「悠仁さま 天皇教育に立ちはだかる『予算格差の壁』」でも、秋篠宮家に支給される「5490万円」の予算が、「未来の天皇」と目される悠仁親王のご実家のステイタスとして適切か? という問題が問いかけられています。

――しかし、この記事によると、当時の秋篠宮さま(元・礼宮さま)は、兄宮との“待遇差”に神経をとがらせている印象はありません。

堀江 そうなんです。逆に、質素な生活を楽しんでおられるように思われます。2LDKSの「こじんまりとした」住宅で、紀子さまとの新婚生活をスタートなさった宮さまは、眞子さま・佳子さまという愛らしいお子様がたを次々に授かりました。

 「『子どもも生まれたことですし、大きな家を建てたらどうですか』という人もありましたが、秋篠宮さまは、『いや、やめておきましょう』とおっしゃって、そのまま住まわれていました」とのことで、当時はお幸せそうだったそうです(ウェブサイト「mi-mollet」渡辺みどりさん記事「【秋篠宮家の教育】幼少時は温もりある家に住み、動植物と触れ合う」より)。

――この頃が、秋篠宮家礼賛の全盛期といえるでしょうか?

堀江 はい。どうやら現代の日本人が求める“理想の皇族らしさ”とは、「清貧」に尽きるようですね。そして、当時の秋篠宮家は「清貧ぶり」をうまくアピールできていました。また、2006年といえば、皇太子殿下(当時)が、適応障害を発症なさった雅子さまについて「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言なさった事件の翌年にあたります。

 思えば、あの事件は大きな波紋を日本中に巻きおこしましたよね。

――私は雅子さまファンなので、心が痛くなりました。

堀江 しかし、この兄宮のご発言について秋篠宮さまは「(皇太子殿下は)発言する前に、せめて(天皇)陛下とその内容について話をして、その上での」意見公開をするべきだったと、批判姿勢を明確になさいました。

 また「私は公務というものはかなり受け身的なもの」との姿勢も明らかになさっています。私なりに要約すれば、“海外で活躍したいという願望があってもよいが、国民に望まれたことに応える姿勢こそが、皇族の公務でもっとも大事なのではないか”となるでしょうか。

 また、恵まれた環境で暮らしているはずの皇太子殿下による“告発”は、エリート主義的に受け取られたのでしょうか。“優等生”とされつづけた兄宮一家の影に控えてきた“苦労人”の秋篠宮様による発言を、より肯定的に世間は受け止めたようですね。

――たしかに、これを機に秋篠宮さまの印象が私の中でも変わりました。ニコニコしてるだけではなく、はっきり物を言うタイプなんだなと。

堀江 ただ……外務省のキャリアとして活躍なさっていた雅子さまを、皇室に迎え入れた以上、諸外国との“皇室外交”において、存在感を発揮してもらうつもりだったのに、それがお世継ぎ誕生のプレッシャーをかけられる中、うまく実現できない時期が続いた(それが、雅子さまの適応障害発症に結びついた)とする皇太子殿下(当時)のお嘆きも理解できるのですが……。

――皇太子殿下は、幼い頃から“優等生”でいらっしゃったので、そんな方が突然、ネガティブな感情を強い言葉であらわになさったことも、世間に衝撃を与えたのでしょう。

堀江 慎重派の兄宮、やんちゃな弟宮という対立構図は、お二人が幼い頃から、現在にいたるまで何かと踏襲されているのですよね。

 しかし、今となってはお二人の立場は2006年前後と完全に真逆となった印象があります。それが、愛子さまのティアラの新調辞退にまつわる賛美にもあらわれていますね。おそらく世間は「さすがは天皇陛下、そしてそのご息女である愛子さま……!」という敬愛の念を強く持ったと思いますよ。

――話を聞いていると、国民とは勝手なものですね(苦笑)。

堀江 現代の日本国民は、皇族に“人間らしさ”よりも“神らしさ”を求めてしまうのでしょう。窮屈な日々に耐え、公務に勤しみ、その結果として支給された高額の皇族費を使って自分だって人並みに贅沢も楽しみたい……などと“人間らしく”振る舞いすぎると、確実に国民の敬愛を失うことになります。

 まさに眞子さまのケースですが、貯金1億円の使い方にまで国民がイライラしているのは、高額の皇族費とは、世間一般の給与水準よりもかなり高額であるがゆえに、そこには“神”としての品位を守って生きていただけることを願って国民から渡されたお金であり、「たんなる賃金ではない」という共通認識があるのです。

 一方、眞子さんとしては、自分の公務という労働の結果、与えられた対価だとしか考えていないのでしょう。どう使おうと勝手、というのはある意味、正しいのですが。

――国民と眞子さんの主張には最初から認識の食い違い、埋まらぬ溝があった、と。

堀江 国民の要求はもともと理論破綻しているのです。皇族の暮らしぶりに対し、ある種のラグジュアリーというか、身分の高さに伴った特別さを求める一方、「清貧さ」も当然だという。完全に矛盾した要求を突きつけていることがわかります。

 こうした経済問題に対し、眞子さんは深くは考えておられないご様子でしたよね。もしくは理解していても、世間の声になど影響されたくないとの思いが強いのでしょうか。

 さて、お若いころから“やんちゃ”であり、問題行動も少なからずあったところで、どこかで現実との妥協点を見出し、立派に踏みとどまることができる秋篠宮さまと、世間から暴走ととらえられる言動の末に日本から出て行った眞子さん。実の父娘ですが、皇族としての“器”はまったく違ったといわざるを得ない部分があります。

 同時に、秋篠宮様ご自身にも、過去の生き方に照らし合わせると、若い眞子さまの“自由追求”をストップさせることはできなかった。あるいは説得力がなかったのだろうなぁ……とも。

――次回は、掟破りの大学生皇族だった秋篠宮さま、そして紀子さまとの過去を見ていきます!