タレントの上沼恵美子が12月19日、YouTubeチャンネル「上沼恵美子ちゃんねる」を開設し、2011年8月に芸能界を引退した島田紳助との共演を示唆した。
記念すべき最初の動画「上沼恵美子ちゃんねる始まる。M-1の審査員を務める責任や海原千里万里時代について語ります。」は自宅で撮影され、上沼は「老後、何をしたらいいのか……。まあ、老後ってほどの年齢ではないんですけども、『YouTubeがいいんじゃないか』って主人にも息子にも勧められまして、今日から始めます」と宣言。その後、14歳で漫才コンビ「海原千里・万里」として芸能界入りした経緯や、結婚を機に芸能界を引退して専業主婦になるも、後に復帰を果たしたことなど、自身の芸能人生を振り返った。
動画のコメント欄には、「天才的な話術が圧巻すぎて、言葉が出ません」「上沼さんの楽しいお話を聞けて、とても元気をもらえてます」「大阪から引っ越したら、テレビで見られる上沼さんの番組が減ってしまったので、YouTubeを始めてくれてうれしいです」などと好意的なコメントが寄せられている。
上沼といえば、これまでたびたびメディアでYouTuberデビューの構想について言及。今月12日に放送されたバラエティ番組『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)では、1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』で司会を務めた際に出場歌手から「いびられた」と暴露しつつ、実名については「私がこの16日から開始いたしますYouTubeの2本目(の動画)でやります」「登録してください」と告知していた。
「『クギズケ!』では『16日から開始』と予告していましたが、実際は3日遅れの19日からスタート。上沼は同日放送のお笑いコンテスト『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)で審査員を務めて注目されましたが、もし戦略的に集客を狙ってこの日にぶつけてきたとしたら、YouTube参入への本気度がうかがえます」(芸能ライター)
『M-1』には2007年から女性初の審査員として出演し、10年と15年を除いて毎回登場している上沼。くだんのYouTube動画では、当初の大会委員長だった紳助から直々に依頼された当時を振り返り、「すったもんだあったんですよ、紳助さんと。イヤですもん。みなさんの人生を決めるわけですから」と明かし、「『どうしても』ってことで」と、なくなく了承したのだと語った。
また、この話の流れから「『(M-1に)来てくれ』言うた紳助さんが(芸能界を)辞めちゃったんで、今度、この『上沼恵美子ちゃんねる』に紳助さん絶対入れてもらおうと思ってるんですよ」と、YouTubeでの共演を示唆。さらに、「責任とれと思うんです。そのくらいは言うて良いと思う」「あの人、(YouTube出演を)断ることは絶対ないと思う。それも、こうご期待でよろしくお願いしたいと思います」と続けた。
上沼の口ぶりから、この収録時点では紳助にオファはしていないようだが、表舞台から遠ざかっている紳助が上沼のYouTubeに出演すれば、大きな話題になりそうだ。
「紳助は昨年1月、バラエティ番組『クイズ!ヘキサゴンII』(フジテレビ系、11年9月に終了)でかつて共演していた歌手・misonoのYouTubeチャンネルに突如出演。表舞台に登場したのはこれが約9年ぶりで、動画では同じく“ヘキサゴンファミリー”だった山田親太朗も交えてトークを繰り広げていました」(同)
misonoはその後、芸能記者・中西正男氏の取材に応じたようで、紳助がYouTubeに出演した経緯が「Yahoo!ニュース 個人」で公開されることに。この記事によれば、大阪で偶然再会した紳助とmisonoがお酒を飲んでいた際、紳助のほうから「俺が責任持つから大丈夫」と、動画撮影を強く提案されたという。
ネット上では現在、「misonoのYouTubeに出たんだから、上沼のオファーを断るはずがない」といった声もあるが……。
「タレントの宮迫博之は今年2月、YouTubeの企画として、恩人である紳助に電話をかけてコラボを直々にオファー。しかし、『YouTubeはアカン』『俺はもう自分のポリシーのもとに出ないって決めてるし』『絶対、それは無理やわ』と断固拒否され、撃沈していました。なお、この動画では、紳助自らmisinoのYouTubeに出演した理由を告白。misonoが夫のがんなどで経済的に困窮していることを知り、『俺もなんかせなアカンわ』と思い、『じゃあYouTube撮ろうや』と誘ったそうです」(同)
実は、上沼は昨年1月放送の『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)でも「島田紳助さん、来てくださいませんか? もしよかったらこの番組に。私の一生の、恵美子のお願い」と公開オファーをしていた。宮迫のオファーに対し「絶対やめてや」「堪忍してや」などと繰り返していた紳助だが、今後、上沼との共演は実現するのだろうか。