羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今週の芸能人>
「周りの人を幸せにしたい」ベッキー
『BANKSY GENIUS OR VABDAL(バンクシー展 天才か反逆者か)』プレス限定イベント
「週刊文春」(文藝春秋)が2016年に不倫スクープの1人目として取り上げたのは、タレント・ベッキーだった。それまで「好感度が高い」「いい子」というイメージで通っていたベッキーは、既婚者であるゲスの極み乙女。のボーカル・川谷絵音と不倫。川谷は妻がいながら、ベッキーと正月に長崎にある実家に“帰省”したという。クリーンなイメージで売っていた有名タレントが、既婚者の実家を訪問するという無神経な行動を取り、「裏切られた」と思った人もいたかもしれない。
当時、ベッキーはCM契約を多数抱えていた。それが理由なのだろう、「文春」報道後に記者から質問を受け付けない会見を開き、川谷とは「いいお友達」だと釈明した。しかし会見後、その答えを待っていたかのように「文春」は2人のLINEのやりとりを掲載。これが不倫の確固たる証拠となり、川谷が妻と離婚するつもりであることもバレてしまった。
不倫をして、ウソまでついて、夫を略奪しようとしている――。これまでの“いい子”イメージは消え去り、ベッキーは世間から大バッシングを浴びて、休業に追い込まれた。
この影響はいまだに尾を引いているようだ。ベッキーがテレビに出演し、そこでの発言がネットニュースになると、「Yahoo!ニュース」のコメント欄には必ずといっていいほど「不倫したくせに」と、過去をほじくり返す声が上がる。個人の感覚の問題だから、そう思う人がいても仕方ないが、いまだにベッキーに文句をつける人は、16年より前に不倫をしていた芸能人にも文句をつけるのだろうか。
芸能界には不倫を経て結婚したカップルはいて、おしどり夫婦として知られる中尾彬・池波志乃夫妻は、もともと不倫関係にあったことを本人たちが認めている。元テレビ朝日アナウンサー・徳永有美も、03年に夫のいる身でありながら、ウッチャンナンチャン・内村光良と温泉旅行をしていたことが発覚。徳永アナは担当していた番組で謝罪し、その後、夫と離婚して内村と再婚。なお、この騒動でテレビ朝日を退職した。
しかし、中尾夫妻や内村・徳永アナがテレビに出ても、ネット上で「不倫のくせに」とベッキーのように責められることはほとんどない。結局、「不倫をしたから責められる」のではなく、「テレビに出ている人を責めるときに、『不倫をした』というのはいい口実になる」といったところではないだろうか。
ネットによる誹謗中傷被害の訴訟に詳しい弁護士サンに話を聞いたことがあるが、悪質な書き込みをする人は、「みんながやっているから」「どうせバレないから」程度の「ごく軽い気持ち」で及んでいることが多いそうだ。「絶対に許せない」「物事はこうあるべきだ」というような強い主義主張を持っていることは、ほとんどないという。
度が過ぎた悪口は書くほうが100%悪い。とはいえ、タレントがイメージ商売であることを考えると、軽い気持ちから書かれる憂さ晴らし的な悪口を含め、マイナスなことは言われないに越したことがないはずだ。
ベッキーも不倫のイメージを塗り替える活躍をするか、新しい“支持母体”を見つけられれば、批判よりも応援の声が増えるだろう。19年に結婚して母親になり、子育てについて語ることが増えた今、まずは世の母親たちを味方につけることができそうだと思った。
12月18日放送の『すくすくナイト』(NHK Eテレ)に出演したベッキーは、母乳があまり出ず、「産後3日目からずっと泣いちゃっていた」「(子育てを)楽しめていない私は母親失格なんだとすごい思っちゃって、自分を責めたりもした」と、“理想の母親”になれなかった過去を振り返っていた。
こういう“失敗”を積極的に明かすことで、追い詰められている多くの母親たちから共感され、“悩む母親”という新しい支持母体も得られるだろう。しかし、最近ちょっと気になる発言があった。
ベッキーは12月10日、展覧会『BANKSY GENIUS OR VABDAL(バンクシー展 天才か反逆者か)』のプレス限定イベントに参加。自身も絵を描き、個展を開いた経験があるなどの実績が買われてのオファーかもしれない。イベント終了後、インタビューに応じたベッキーは、記者から「元気の原動力」について聞かれ、「周りの人を幸せにしたい」と答えていた。
独身時代のベッキーは、ファンにサインをした後に、そのファンの幸せを祈って「念を込める」といろいろな番組で明かしているし、これは偽らざる本音だろう。でも、「今の」ベッキーは2つの理由で「周りを幸せにしたい」と言ってはいけないのではないかと思う。
1つ目の理由は、アンチ・ベッキーでなくても、ベッキーの不倫を記憶している人が多いから。「周りを幸せにしたい」と“いい子発言”をすると、「自分は不倫をして、元妻を苦しめたのに?」と過去をもとにつっこみたくなる人は一定数いるだろう。
不倫をしたからといって、いつまでも責められる社会はおかしいと思うが、不倫をしていたことは事実なわけで、そこを「なかったこと」にするのは難しい。なので、今は“いい子発言”は控えて、「みんなの喜ぶ顔が見たい」くらいにとどめておくほうが賢明ではないか。
2つ目の理由は、数は少ないと思われるが、「人を幸せにする」という言い方に押しつけがましさを感じる人がいないとは限らないからである。「人を幸せにする」という一言からは、「自分は人を幸せにする力がある」と信じていることがうかがえてしまう。
実際にベッキーから幸せをもらう人もいるだろうが、反対に、ベッキーを見ても幸せにならない人もいるはずだ。それはベッキーに「幸せにする力がない」からではなく、幸せかどうかは受け手の感性に委ねられているからではないか。そう考えると、幸せは「個人の問題」であり、「周りを幸せにする」という言い方自体が「大きなお世話」といえるだろう。
また、ベッキーの「周りを幸せにしたい」という言い方は、サンタクロースが子どもにクリスマスプレゼントを配るようなハートウォーミングなイメージなのかもしれない。しかし、「幸せをあげる人」と「幸せを与えてもらう人」がいるという意味では、上下関係、もしくは支配関係に似た構造が生まれるので、「いい子のフリをして支配的」な印象を受けて、興ざめする人もいるかもしれない。
以上、2つのことを意識して発言しないと、新しい支持母体を得られないどころか、ますますアンチが増えてしまいそうだ。
その昔、有吉弘行に「元気の押し売り」とあだ名をつけられたベッキー。今、不倫のイメージダウンから回復途上にあるベッキーが気を付けるべきは、「周りの人を幸せにしたい」の一言からもにじみ出る、「善意の押し売り」ではないだろうか。長年のカンを生かしながら、注意深く頑張っていただきたいものだ。