世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。
【群馬・独居老人殺人事件】
1983年の仕事納めも近い年の瀬の群馬県。国鉄桐生駅にほど近い中心街に、織都の栄華を残す元遊郭の3階建てアパートがあった。この2階に住む逸見隆史さん(仮名)は、市役所や新聞社、生命保険会社などを渡り歩いたのち、8年前に退職。年金と息子からの仕送りで、年末の慌ただしさとは無縁な一人暮らしをしていた。
84歳とは思えぬほど元気な彼の趣味は競艇とパチンコ。近所の米屋の主人は、きちんとスーツにネクタイをしめた逸見さんが自転車にまたがり外出するのをよく見かけていた。
3キロほどある桐生競艇場には、レースがあるたびにこの自転車で出かけていたが、舟券は買ってもせいぜい500円くらいで、もっぱら観戦だったという。
ところがここ2日ほど、元気なはずの逸見さんの姿が見えない。自転車も止められたままだ。
不審に思ったアパート管理人の母親が、外から逸見さんの部屋を眺めても、窓にはすだれがかかっていて、中の様子がわからない。ドアを叩くも応答はない。部屋に入っても人の気配がない。ところが布団を見ると、逸見さんはその中で浴衣姿のままうつぶせになって死んでいた。
静岡に暮らす2人の中年女性
12月20日にアパート管理人の母親により発見された逸見さんは、絞殺されていた。ところが、部屋には争った形跡がなかったことから、桐生署の捜査本部は、顔見知りによる犯行と断定。聞き込みで「中年の女性2人が逸見さんを訪ねていた」ことを掴む。
さらに、部屋からは逸見さんの預金通帳が盗まれており、そこから90万円が引き出されていることもわかった。このとき、銀行の防犯カメラは女の姿を映していた。
年をまたぎ、84年1月8日に逮捕されたのはその女・野口ミツ(仮名・49=当時)と、共犯の柿山奈美(同・50=当時)だった。
ふたりは静岡県に暮らす主婦。サラ金から大金を借りているという共通点があった。ミツは10年ほど前から逸見さん方に出入りし、逸見さんから金も借りていたという。遠く離れた桐生市に住む逸見さんとは、どのようにして出会ったのか。
逮捕されたミツと奈美は、その日のうちに桐生署に移送された。このとき、ミツは待ち構える報道陣を前に「ごめんなさい。お騒がせして申し訳ありません」と、しおらしく頭を下げた。その顔は、今にも涙で崩れそうにも見える。
しかし、桐生市内の商店主はこれをテレビのニュースで見ながら言った。
「あぁ、またやっているよ」
この商店主は、事件の4年前まで近所に住んでいたミツに金を貸して、踏み倒されているのだ。
「アレは演技ですよ。とにかく、口はうまいし愛想はいいし、あの芝居にウッカリ乗せられたらたいへんだよ。刑事さんだってだまされかねないね」
あきれかえるように続けた。こと借金をするにあたって、ミツは天賦の才を備えていたという。
「まず、小金をためていそうなひとり暮らしのお年寄りに近づくんだ。そして、買い物や洗濯をしてあげて親しくなる。それからさりげなく借金を頼むんだが、最初の1、2回目はちゃんと返すんだね。それも、両手をそろえて頭を畳にすりつけて涙を流しながら『どうもありがとうございました』とやるんだよ。これには貸したほうもいたく感激しちゃう。それで、次も貸しちゃうんだけど、これが一番金額が大きくて結局、返ってこないんだよ」
こうして踏み倒された金額は人それぞれだったというが、大方が2,000〜3,000円から、3〜4万円ほど。一件あたりの金額はさほど大きくないものの、近所を総なめにしているだけに、チリも積もれば大金になる。
栃木県生まれのミツは中学を卒業して桐生市の工場に就職。ここで知り合った男と結婚し、ほどなくして子どもが産まれ母親となる。「如才なくて交際上手、子ども好き」な女性だったといわれるが、鉄工所や食料品店などにパート勤めするようになってから、生活ぶりが変わった。
まず服装が派手になり、パチンコ屋に出入りするようになる。娘の成人式には分不相応な晴れ着を購入。そのうえ「自分で働いて自分で返せる」と、夫に内緒で知人からも金を借りまくった。先の商店主も、そのひとりだろう。
さらにはサラ金にも手を出す。ところが、ついにこれに気づいた夫から、ミツは離婚を言い渡されてしまったのだ。
夫は娘を連れ、家を出て行ったが、ミツはすぐにタクシー運転手の男と再婚する。この男にも2人の子どもがおり、そしてミツと同じように借金があった。「彼女に借金があることを承知の上」での再婚だったというが、雪だるま式に増え続ける借金は、事件を起こす83年の2月には群馬県内のサラ金業者39社500万円に上り、知人や他県のサラ金からの借り入れも含めると、約1000万円にもなっていた。
激しい取り立てに、夫の子どもを、夫の前妻の実家に預け、夫婦2人で静岡県三島市に夜逃げする。偽名で家を借り、ゼロからの再出発を果たす準備を静かに整えた。
ところが、ここまできても、ミツの性格は変わらなかった。「群馬に大きな家がある」などと、近所に吹聴する。そのうえ、居所を探し当て、取り立てに来たサラ金業者にも泣き落としをかけ、のらりくらりと返済を免れ続けていた。それに、近所の者にはワケありだと勘づかれていたようだ。
「家財道具を何も持たないで引っ越して来ましてねぇ。いきなり部屋の中が見えないように板で囲いを作り始めたんですよ。こりゃ、きっと犯罪を犯したか、サラ金に追われてるんだとピンときましたね」(三島市・ミツ宅近所の主婦の話)
別の近所の主婦も「新しく近所に引っ越した人には、皆が『あの人から借金を頼まれても絶対に貸すな』と注意して回ったほどです」とこぼす。ところが本人は一向に気にかける様子もなく、ミツは連日、パチンコに明け暮れていた。
「それも、電話でタクシー呼んで通ってるんだものね。それで今日は1万使ったとか、2万使ったとか言っているんだから。買い物もタクシーですよ。服だってオーダーメイドだって自分で言っていましたよ。要するに見栄っ張りなんです」(同)
一時は借金を支払うために近くの一杯飲み屋で働き始めた。だが、店のママもこぼす。
「とにかく、ミツのいうことは十が十ウソだね。そのうえ、手癖が悪くてね、ウチで働いていた2カ月ほどの間に、カラオケのテープとかタバコがケースごとなくなっているんだ。家から歩いても5分とかからない距離なのに、大きな紙袋持って来てたから、おかしいナとは思ってたんだけどね」
こんなうわさが飛び交うミツが、逸見さんと知り合ったのは事件から8年ほど前だった。