• Wed. Jan 26th, 2022

出産した息子と25年前に生き別れに……10歳年上の芸術家と結婚、62歳女性の悲劇

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第7回 檀恵美子さん(62歳・仮名)の話(前編)

「元夫の家に泊まりに行っていた息子を迎えに行くと、玄関のドアに貼り紙がしてあったんです。『当分の間、旅に出ます。この家には二度と近づくな!!』って」

 檀恵美子さんは25年前に起こったことを淡々と語った。以来、彼女は息子と生き別れだ。

「まだ幼かった頃の、愛くるしかった息子に会いたいです……」

 彼女は一方的に息子を奪われたのか? それを防ぐ手段は取れなかったのか――?

10歳年上の芸術家と結婚し、男の子を出産

――生い立ちを教えてください。

 関西南部の出身です。前の東京五輪よりも前の、高度成長期に生まれました。両親だけじゃなく親戚のほとんどが学校の先生という、そんな家柄でしたので将来の進路は教師以外考えられませんでした。

 1977年に東海地方の教育大学に通い始めて、私の人生、変わってしまいました。地元を離れてはじけたんです。当時、人気のあったフォークやロックにはまって、ライブハウス通いをしたり、自分で弾き語りをしたり。仲間とお酒を飲んだり。親元にいて守られていた頃にはなかった自由を手に入れました。

――なるほど。片田舎にいた真面目な少女が、カウンターカルチャーとかヒッピー文化とかにどっぷりハマったんですね。それで卒業後はどうしたんですか?

 実家に戻って、教師になりました。小学校の先生を志望していたんですけど、採用されたのは中学校。教師は11年間続けましたが、私にとって大変な生活でした。というのも、音楽の先生なのにピアノがうまく弾けなくて。しかも音楽のほかに家庭科や体育を教えたり、毎日それはもう必死でした。部活の顧問もやっていました。中高と自分もやっていたバスケ部で生徒たちをしごいていたんです。

――ヒッピーとしごき、なんだか結びつかないですね。その後、どのようにして結婚されたんですか?

 遊び仲間の男性Aと結婚しました。ところが一緒に暮らしてみると、AはひどいDV男で顔が腫れて大きさが変わるぐらいまで殴られました。音楽の趣味は私と一致したんですけどね。

 結局、Aとは1年で離婚して、その後、Bと再婚しました。会えなくなったのは、そのBとの間にできた子どもです。

――Bさんとは、どんなふうに知り合ったのですか?

 90年に開催された某野外フェス。そこで私の隣にテントを張ったのが大学時代の友人で、そこに一緒に来ていたのがBでした。Bは10歳ほど年上の芸術家で、本当に素晴らしい絵を描くんですよ。でも、いい絵を描くからといって良い人とは限らないのに、会った直後はそれがわからなくて。Bの作品の素晴らしさと自由さに惚れ込んでしまったんです。

――結婚を決断したのはなぜですか?

 翌91年に妊娠がわかったからです。出産直前まで教師を続けてから退職、その時点で婚姻届を提出。東海地方にあるBの実家に同居し始めて、92年8月に男の子を出産しました。

――なるほど、関西を離れて、Bさんの実家に同居し、そののちに出産したのですね。

 そうです。出産後、助産院で1週間過ごした後、Bの義母にもいろいろ世話になりながら新生児時期の子育てをしました。

 暮らしてみてわかったんですけど、Bは強烈なマザコンでした。母子が密着したまま、大人になったような人だったんです。しかも、子どものことは全部私に責任を押し付けてくる。例えば子どもが寝汗をかいて肌が荒れたら「お前のせいだ」と怒鳴られる。

――お義母さんはどんな人ですか? お互いの関係は?

 Bの住んでいた県はアパレルが盛ん。義母は朝テキパキと家事をこなしてから、アパレル関係の仕事場に向かっていました。すごく働き者。義母が家事を一切やってくれるので、すごく楽でした。「あんたは子どもだけ育てておけばいい」と言って実際、楽をさせてくれました。

――お義母さんが働き者でよかったですね。

 でも、生後3カ月で症状が出てきた息子のアトピーのことで、義母やBともめるようになったんです。医師が処方してくれたステロイドが劇的に効きすぎて、びっくりしちゃった。これだけ効き目があるのは、むしろ体に危ないんじゃないかって思ってしまって。だったら、私の体質を改善して、質のいい母乳を飲ませて、息子のアトピーを治してみようと。そのころBは一緒にアトピー専門の病院にも行ってくれました。

――食事療法にこだわったんですね。そうすると檀さんの日々の食事を変えていかなきゃならないのでは?

 そうなんです。でも、Bや義母と一緒に食べていたものが食べられなくなる。それで、彼がどんどん不機嫌になっていったんです。「なんだその宗教みたいな治療法は」と怒鳴られるようになりました。

 でもそうして、価値観が合わないからといって怒鳴られ続けることに嫌気が差してしまって、夜の営みを拒否するようになった。すると彼はますます攻撃的になってしまって。その果てに、「お前はキ〇〇イだ」と罵倒され、精神科に行くことを強要されました。

――Bさん自身は子育てに関わらなかったんですか?

 好きなとき、気が向いたときだけ抱っこしたり、面倒を見たり、その程度です。しかも彼は自由な人。急にどこに行くかわからない。

 親子3人でフェスに行ったときがそうでした。私たちを放置して、パーッと好きなバンドを見に行きましたし、帰りは帰りで、「あの電車に乗るぞ」と言って、ひとりだけパーッと走って飛び乗ったりするんです。幼い子どもとお世話用のカバンを両方抱えてゆっくりしか歩けない私にはついていけなかった。

――生活費に関してはどうでしたか? 芸術家と言えば、収入的に不安定なイメージがありますが。

 息子が赤ん坊のときは彼がすべて持ちました。私は教師を辞めて、子育てに専念していましたからね。その当時は作品が売れに売れていた時期だったので、羽振りはかなり良かったです。タンスの中にお札が数十枚も積み上げてあって、「勝手に使ってもいいよ」と言っていたほどですから。その割には、日々のやりくりについて、「俺の稼ぎを勝手に使いすぎだ」と強く言ってケチをつけてきましたけどね。

――それはつらいですね。

 そうやって、アトピーのこととか、生活費のこととか、彼の考えに合わないと、急に機嫌が悪くなって、ガミガミ強く言われたり、加えて暴力を振るわれました。Bは怒り方がヒステリックで急なんですよ。

 例えば、いきなりかみついてきたり。あとちゃぶ台返しもありましたね。子どもと食事していたら、いきなりちゃぶ台をバーンとひっくり返して、その後、頭をげんこつで殴ってくるんです。それで何か自分だけでは手に負えないというふうに判断すると、電話で義母を呼ぶんですよ。

――強烈なマザコンって言ってましたよね。

 最初の頃は、義母も私に「がまんしてね」と言ってくれました。でも、やっぱりそこは親子、しかも母子密着してずっと生きてきた親子ですからね。私が暴力を振るわれていることがわかっていても、Bが間違ったことを言っているってわかっていても、結局、最後はBの味方をするんですよ。その挙げ句、私が悪いと言って2人して責めるようになりました。

――何か解決法はありましたか?

 子どもが成長して赤ん坊から幼児になると、Bに「自分の小遣いぐらい自分で稼げ」と言われて、私、パートに出たんです。すると今度は別の問題が出てきました。

――というのは?

 Bは芸術家気質なので、昼夜が逆転しています。私は朝からパートへ行くわけです。Bは日中の寝ている間は義母に息子の世話を任せっきりの一方で、夜はかわいがりたいからと、子どもが寝ていても離さないので、私は全然子どもに会えない状態でした。そんな家庭内の子どもの引き離しがきつかった。

 それで私は弁護士に相談するようになったんです。すると「親権を取りたかったら、子どもを連れて、先に出ていったほうがいい」とアドバイスされました。息子が4歳のときです。

――夫婦ゲンカは続いていたんですか?

 エスカレートするようになってしまって。「連れて出ていく」「いや置いて出ていけ」そんなやりとりです。もみ合いになったり殴られたり。ほんとにBは言葉の暴力がひどかった。怒鳴ることは日常茶飯時。あと、壁に穴を開けたり、庭で大きな音を立てて物を壊したり。とても恐ろしかった。

――実際、出ていったんですか?

 はい、息子がやはり4歳のとき、一度、家を出てます。夜、義母のいるところで言い合いになって「出ていく」「出ていけ」となった時に義母が息子を抱っこして離さなくて、「ひとりで出ていけ」と言われてもみ合いになり、そのまま追い出されました。

 身を寄せたのはパート先の事務所です。泊まれる場所があったので、そこに泊まりました。何日かしてBが事務所に息子と来て「戻ってきてほしい」と言われました。そのときは一回戻ったんですけども、そのうち家を出るつもりではいました。それで、4歳のクリスマスの時期、子どもを連れて家を出たんです。いわゆる連れ去りです。

――どのようにして連れていったんですか?

 「アイスクリームを買ってきます」と告げて、息子と車に乗りました。その前にBや義母が知らないところで、息子に聞いていたんです。「お母さん、家を出るけど、お母さんとお父さん、どっちについていく?」って。すると息子、「お母さんと行く」って言ったんです。

 私は息子と一緒に関西の実家に戻りました。すると翌々日、Bが義母と一緒に私の実家にやって来たんです。

(後編へつづく)