――『キャラクタードラマの誕生』(河出書房新社)『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ』(宝島新書)などの著書で知られるドラマ評論家・成馬零一氏が、2021年の配信国内ドラマを振り返る。
『浅草キッド』『ボクたちはみんな大人になれなかった』に見るNetflixの限界
日々、勢いを増しているNetflixだが、国内制作のドラマは2021年6月に配信が始まった『全裸監督』シーズン2で一区切りついたように感じた。
本作は、19年に配信された『全裸監督』シーズン1の完結編で、「アダルトビデオの帝王」と言われた村西とおる監督を山田孝之が演じたことで話題となった。地上波では放送できないエロと暴力が満載だったため、ネット上では批判も多かったが、破格の制作費と余裕のあるスケジュール、そして全世界配信による「世界に届く可能性」というテレビドラマとは比べ物にならない好条件は、国内の作り手から大きく歓迎され、Netflixは「ドラマ界の黒船」となった。
映像業界におけるNetflixと『全裸監督』の村西監督の姿は重なるものがあり、だからこそ本作はNetflixを象徴する作品だといえる。その2年後に配信されたシーズン2は、前作以上にエロと暴力が盛りだくさんの豪快な作品に仕上がっていて楽しめた。しかし、それらの要素が、過去を懐かしむためのものでしかないのが引っかかる。
ビートたけしの自叙伝を映像化した『浅草キッド』や、90年代の思い出を回顧する『ボクたちはみんな大人になれなかった』も同様の印象で、甘美な思い出話に留まっており、テレビドラマよりも閉じたものに見えたのだ。
Netflixを筆頭とするストリーミング配信は、斜陽になったテレビの地位をいずれ追い落とすのではないかと思われていたが、『全裸監督』シーズン2の結末を見た後だと、「必ずしもそうではない」と思ってしまう。
『俺の家の話』ほか民放で先鋭ドラマが誕生
一方で、NHKは連続テレビ小説『おかえりモネ』を筆頭に、攻めたドラマをたくさん作り続けている。民放のプライムタイムでも、宮藤官九郎脚本の『俺の家の話』(TBS系)や坂元裕二脚本の『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ系)といった先鋭的なドラマが作られた。配信やテレビといったプラットフォームに関係なく、優れたクリエイターを束ねて、プロデューサーがやりたいことを貫いたものだけが好評を得ていたのだろう。
同時に、プラットフォームの壁も崩れつつある。今年大きなニュースとなったのは、NetflixとTBSの業務提携で制作された連続ドラマ『日本沈没ー希望のひとー』。テレビ放送終了から3時間後にNetflixで配信されたが、大石静と宮藤官九郎の共同脚本のドラマ『離婚しようよ』も、23年から同様の形でテレビ放送と配信が同時に行われることが決まっている。
おそらく今後、配信とテレビの壁は少しずつ消えていくのだろう。そうなった時に、配信の優位性がエロと暴力が自由に描けるということだけでは、飽きられてしまうのも時間の問題だ。何より「昔は自由でよかった」というノスタルジーの手段としてしかエロと暴力が描けないことに、国内制作のNetflixドラマが抱える限界が現れている。
全世界で話題となった韓国制作のNetflixドラマ『イカゲーム』や『地獄が呼んでいる』も暴力的な作品だったが、現代社会の問題を描くための手段として表現されていた。そこが『全裸監督』との大きな違いである。
ではほかの配信ドラマはどうかと言うと、残念ながら「Netflix以上に元気がない」というのが現状だ。とはいえ、孤軍奮闘していた作品もある。
たとえば、FOD(フジテレビ・オン・デマンド)で配信された野島伸司脚本のドラマ『エロい彼氏が私を惑す』だ。同作は、結婚間近のお嬢様・境野仁美(松井愛莉)が、工事現場で出会った青年・甲斐まなぶ(笠松将)の鍛え抜かれた肉体に欲情したことから始まるコメディドラマ。軽妙な会話の応酬の中で生まれる恋愛相関図を楽しむというトレンディドラマの作法で作られているため、パッケージこそ古臭く見えるが、お嬢様と工事現場作業員の出会いを通して、格差社会となった日本の現実が生々しく描かれていた。
脚本を担当した野島は『101回目のプロポーズ』(フジテレビ系)や『高校教師』(TBS系)などの作品で知られる脚本家で、社会のタブーを破る作風で90年代前半は時代の寵児となった。近年はFOD等の配信ドラマで、性を入り口にした社会派テイストのドラマを作り続けている。
『全裸監督』等のNetflixドラマと方向性こそ同じだが、常に現代の日本と向き合おうとするスタンスだけは大きく違い、その一点において評価できる。
Huluで配信された『未来世紀SHIBUYA』も、現代日本の問題をあぶり出す隠れた傑作だった。
本作は、近未来の渋谷を舞台に動画配信サービスで“正義マン”として活動するミツル(金子大地)とカケル(醍醐虎汰朗)が視聴者からの投稿を元にさまざまな事件に挑んでいくSFドラマ。
監督の白石晃士は、映画『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!』を筆頭にホラーを得意とする映像作家だが、こうした現場で培った、カメラマンが撮影する映像の隅に怪物や幽霊が映り込む演出を、『未来世紀SHIBUYA』では動画配信者の番組に置き換えることで、SFドラマを紡ぎ出していた。
正義マンの番組はコミカルで笑えるやりとりがダラダラと続くのだが、その背後には、極端な格差社会となり、AIや記憶操作の技術が生活の中に入り込んだ未来の日本が映り込む。この風景は極端な形で誇張されたグロテスクなものだが、数年後の日本で実現してもおかしくない手触りがあり、見事な社会風刺ドラマであった。
(成馬零一)