世界中で新型コロナウイルスのワクチン接種が進んだものの、変異株の登場により昨年に同様、パンデミックに苦しめられた2021年。その中で多くの命が失われた。新型コロナ以外でも、著名な海外セレブが惜しまれながら亡くなった。21年に亡くなった海外セレブ10人の人生を振り返りたい。
ケヴィン・クラーク(子役・ミュージシャン) 5月26日死去、享年32
03年に大ヒットしたミュージカルコメディ映画『スクール・オブ・ロック』のドラマー、フレディ役で一躍有名となった子役。5月26日に交通事故に遭い、亡くなった。
イリノイ州出身。2歳で鍋を叩き始めるようになり、3歳でドラムキットを演奏し始めた生粋のドラマー。そのせいもあって、演劇の経験はなかったものの、見事『スクール・オブ・ロック』のキャストに抜てきされた。同作は人気コメディアン、ジャック・ブラック演じる名門小学校教師が、厳格な規則に縛られて無気力になっていた子どもたちに、ロックを通して自由と情熱を感じさせるという物語。ケヴィンの迫力満点のドラムは作品にリアリティをもたらし、絶賛された。
ブロンドのスパイキーヘアが似合うハンサムな少年だったために世界中で人気者になったが、この作品以外は映画にもドラマにも出演せず。俳優ではなく、ミュージシャンの道へと進んだ。
亡くなる数日前に新バンドの初ライブを行ったばかりで、仲間に「オレたちは絶対に成功する!」と熱く語っていたとのこと。希望にあふれていたが、5月26日午前1時20分頃、地元シカゴで帰宅するために自転車に乗っていたところを、20歳の女性が運転する車にひかれ、病院に搬送されたものの間もなく息を引き取った。
『スクール・オブ・ロック』で共演したジャックは、インスタグラムに追悼メッセージを投稿。共演時の写真と、近年撮影したとみられるツーショット写真を添えた。ネット上には、彼の早すぎる死を悼む声が続出した。
チャーリー・ワッツ(ドラマー) 8月24日死去、享年80
イギリスが誇るカリスマ的ロックバンド「ローリング・ストーンズ」のドラマー。がんのために、入院先のロンドン市内の病院で亡くなった。
ロンドン出身。12歳の時、いとこの影響でジャズに興味を持ち、14歳の時に両親からドラムセットをプレゼントされたことがきっかけでジャズドラマーとしての道を歩みだした。その後、ジャズ・クラブで演奏するようになり、広告会社にグラフィックデザイナーとして就職したあとも、私生活ではドラマーとして活動していた。
1963年にローリング・ストーンズに加入。独特のドラミングと英国紳士的なルックスで絶大的な人気を博し、「チャーリーのドラム抜きでは、ローリング・ストーンズとは呼べない」と言われるほどに。近年、オンライン動画サービスでバンドやメンバーを追うドキュメンタリーが配信されているため、若者の間でも紳士的でひたむきなドラマーとして尊敬され、新世代のファンを増やしていた。
若い頃には薬物やアルコール依存症に陥ったこともあるが、見事克服。64年に結婚したシャーリー・アン・シェパードとは「(ツアーで)離れるのがつらい」と泣いたエピソードが残っているほどの愛妻家だった。一人娘がおり、孫も1人いる。
04年に咽頭がんと診断され、放射線治療を受けて寛解したとみられていた。昨年、世界中のアーティストが参加した新型コロナウイルス対策支援オンラインライブでは、いつも通りに飄々とエア・ドラムを披露してファンを喜ばせていたばかりだった。
ハードコアなクライムサスペンスドラマとして人気を博した『THE WIRE/ザ・ワイヤー』(2002~08)のオマール・リトル役で知られる俳優。9月6日、ニューヨークの自宅マンションで遺体となって発見された。死因は、ヘロイン、コカイン、がん疼痛治療に使われるフェンタニルなどの麻薬を大量に摂取したことによる急性薬物中毒だった。
ニューヨーク州ブルックリン生まれ。高校卒業後、製薬会社ファイザーで働いていたが、ダンサーになる夢をかなえるために退職。ホームレスになりながらも奮闘し、バックダンサーになった。ジョージ・マイケルやマドンナら人気アーティストのバックダンサーを務め、振付師としても活躍。25歳の誕生日にニューヨークのバーでケンカし、かみそりで顔面を切りつけられた痕が残ってからは、ミュージックビデオへの悪役のオファーが殺到。これがきっかけで、2パック主演の映画『ハード・ブレット 仁義なき銃弾』(95)に出演するなど、俳優としても活動するようになった。
彼の名前を世間に広めた『THE WIRE/ザ・ワイヤー』は、「米テレビ史上最高のドラマ」と評され、HBO躍進のきっかけをつくった作品。麻薬売人を襲う強盗グループのリーダーで、同性愛者という難しい役を見事に演じ、オバマ元大統領がファンを公言するなど多くの支持を得た。
その後、薬物がまん延する地区で育つ子どもたちを支援する団体「Making Kids Win」を立ち上げ、熱心に活動。そのため、薬物の過剰摂取で命を落としたことは世間に大きな衝撃を与えた。
ウィリー・ガーソン(俳優) 9月21日死去、享年57
1990年代に一世を風靡した人気ドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(以下、『SATC』)で、主人公キャリーの親友スタンフォード役を演じていた。膵臓がんのため、ロサンゼルスの自宅で亡くなった。
ニュージャージ州出身。コネチカット州の名門ウェズリアン大学で演劇を学び、イェール大学・舞台芸術大学院で博士号を取得。数多くの映画・テレビドラマに出演したが、『SATC』で演じたゲイのスタンフォード役が当たり役となった。自身はストレートだったが、それを公言するとゲイコミュニティへの侮辱になると思い、同作が放送されている間はセクシュアリティへの質問にはノーコメントを通した。
今月配信開始された、『SATC』リブート版『And Just Like That…』にも出演。7月に主演女優らとニューヨークでにこやかに撮影している姿がパパラッチされたばかりだったため、訃報はキャストやファンに大きな衝撃を与えた。すべてのシーンを撮り終えていなかったため、このリブート版では「スタンフォードは夫と離婚し、東京に行った」ことになっている。
結婚したことはなかったが、2009年に当時9歳だった男児を養子に迎え、大切に育てていた。
18年から高級ファッションブランド「ルイ・ヴィトン」のメンズ・アーティスティック・デザイナーを務めた。心臓血管肉腫のため11月28日、入院していたテキサス州の病院で亡くなった。
イリノイ州出身。ウィスコンシン大学からイリノイ工科大学大学院に進学し、建築を学んだ。ファッションにも興味を持ち、デザイナーとして活動を続ける中で、ラッパーでファッションラインも手がけるカニエ・ウエストと出会った。カニエとはフェンディで共にインターンとして学び、その仕事ぶりがルイ・ヴィトンCEOのマイケル・バークの目に留まった。
10年にカニエが率いるクリエイティブエージェンシー「DONDA」のクリエイティブディレクターに就任。13年、自身のハイエンドのストリートブランド「オフ ホワイト c/o ヴァージル アブロー」を設立。18年、ルイ・ヴィトンのメンズウェアのデザイナーに初の黒人デザイナーとして就任と、順調にキャリアを積み上げていった。ヴィトンでの商品はストリート要素が強く、“ラグジュアリーストリート”という新しいジャンルとして認知され、若いセレブを中心に高い人気を得た。ジャスティン・ビーバーの妻ヘイリーのウェディングドレスを手がけたことは大きな話題となった。
世界規模の家具量販店「イケア」とコラボし、アパートや家具の設計をするなど、建築家/アーティストとしても活躍していたが、19年に心臓血管肉腫と診断される。闘病生活を送っていたが、本人の意思により、亡くなるまで伏せられていた。