• 日. 12月 22nd, 2024

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日テレ『上田と女が吠える夜』に感じた、人を叩きすぎない配慮――若槻千夏の“塩梅”に感嘆したワケ

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

<今週の有名人>
「それはできるよ、そのくらいはイケる」若槻千夏 
『上田と女が吠える夜』(1月6日放送、日本テレビ系)

 以前、『週刊さんまとマツコ』(TBS系)で、明石家さんまが「今の時代に『から騒ぎ』はできない」と話していたことがある。『から騒ぎ』とは、1994年から2011年まで放送されていた『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)のことで、さんまと多数の一般人女性がテーマに沿った恋愛トークを展開するというものだった。元TBSアナウンサー・小林麻耶や女医タレント・西川史子ら、この番組から巣立ったタレントは多い。

 確かにさんまの言う通り、今の時代にあの番組を放送するのは難しいだろう。若者が恋愛に興味を示さないといわれている時代に、恋愛をメインテーマに持ってくるのは得策と思えない。それに、『から騒ぎ』ではきれいな女性を前列に、個性の強い女性を一番後ろの列に座らせていたように私は感じた。フェミニズムの意識が高まる今の時代に同じようなことをしたら、「女性のルッキズムを推奨している!」とSNSで炎上する可能性もあるだろう。

 また、トークの内容自体も、今の時代には批判を浴びそうなものばかりだった。バラエティ番組なので出演者の発言がすべて真実とは限らないが、男性に買ってもらったプレゼントの金額で女性としての価値をはかったり、好きな男性のために料理を頑張る、ベッドで男性を奉仕するといった発言は、フェミニズムの視点からはもちろん、ジェンダーフリーの時代にもそぐわないと批判が来るのではないか。

 『恋のから騒ぎ』では、「私が忘れられないオトコ」とか「私が許せないオンナ」というように、トークテーマに性別が明記されることが多かった。これを今の時代に再現すると、たとえば女性出演者が自分の恋のライバルにあたる女性について悪く言った場合、「オンナによるオンナ叩き」と見なされたり、「“オンナは陰湿”という思い込みを持つように促している」という印象を持たれ、苦言が出る可能性は高い。こうした理由から、やはり「今の時代にはできない」番組といえるだろう。

 しかし、「作り方」「やり方」次第では、こういう人の愚痴を言う番組は、まだまだイケるのではないかと思えてきた。1月6日放送の『上田と女が吠える夜』(日本テレビ系)は、上記の難しさをうまくクリアしたように感じる。

 同番組の冒頭で、司会のくりぃむしちゅー・上田晋也は「この番組は、我慢できない不平不満を言いたい放題ぶちまける番組です」と説明していた。これは「この番組は、性別を問題にしていません」と婉曲にアナウンスしているのではないかと思う。トークテーマも「一言余計なヤツ」「ちょっとズレてる人」というふうに性別は明記されていない。

 また、“吠える”ターゲットを男性や番組スタッフに広げたことで、“女叩き”の印象がより薄れたのではないだろうか。これまでのパターンならば、こういう番組には、女性に好かれなさそうなキャラクターの女性タレントをあえて出演させ、その人が吊るし上げられるところも見どころの一つであったと思う。

 今回、番組に出演したグラビアアイドル・清水あいりは、セクシーなボディと甘えた声の持ち主で、外見だけで判断するなら“女の嫌いな女”に分類されてしまうだろう。なので、一昔前なら清水が男性に媚びた発言をして、ほかの出演者が一丸となって叩くという展開が繰り広げられたわけだが、『上田と女が吠える夜』ではそんな場面はなかった。清水は笑いのセンスが高く、いい意味のギャップで番組を盛り上げたのだ。

 こうした場面を見て、番組から「人を叩きすぎないようにする」という配慮を感じたが、出演するベテラン勢も光っていたように思う。特にタレント・若槻千夏の“塩梅”には感嘆するしかなかった。

 番組の後半では、ゲストに俳優・西島秀俊が出演。好きな女性のタイプを聞かれて「ごはんをおいしそうに食べる女性」と答えたところ、若槻は「食べます食べます食べます!」と挙手してみせた。これは本心というよりも、その場を盛り上げるためのサービスで、昭和的な古いノリといえるだろう。

 しかし、すべての言動が昭和なわけではない。「SNSにあふれる謎の自己主張」というテーマの際、若槻は「インスタのプロフィールのところにコメ印で『DMは事務所が管理しています』と書いてある、誰も知らねえ女っていません?」と聞いた。続けて「フォロワーがそんなにいないのに『DMは事務所が管理しています』。お前がしろよ!」と突っ込んだが、これはつまり、そんなに有名人でもないのに、事務所に守られていることをアピールするのは自意識過剰だと言いたいのだろう。

 若槻のような昭和生まれは、結果が伴わないのに自分を大きく見せることは「恥ずかしいこと」と教育された傾向があり、一昔前なら、この「誰も知らねえ女」は“勘違い女”と笑われたはずだ。しかし、SNSが出現し、我々は自分を好きなふうに見せるツールを得てしまった。「自分の価値は自分で決める」という言葉をよく聞くようになったが、その理論で言えば、たとえ人から見て売れていなくても、自分がタレントだと思えばそう名乗っていいし、「DMは事務所が管理している」と書いてもいいわけだ。

 今の時代、「自分の価値は自分で決める」人が増えているとしたら、若槻が昔のノリで「売れてもないのに、何言ってんだ」と突っ込んでしまうと、それをイジメやハラスメント、さらには女叩きだと取る人もいるだろう。しかし、さすが若槻、そんな轍は踏まない。「あなたは事務所が管理するほどの価値があるタレントではない」とは言わずに、「あなたにはDMを管理する能力があるから、自分でやりなさい」という意味で、「それはできるよ、そのくらいはイケるよ」と人を傷つけにくい突っ込みを被せたのだ。

 「傷つきやすい若者」が増えているともいわれるが、傷つきやすい人が増えるほど、世の中には愚痴や悪口がはびこるのではないだろうか。自分が不当に扱われたと思ったら、大きな声で文句を言いたくなるものだからだ。そう考えると、愚痴や悪口はエンタメとしてまだまだイケる。その際に気を付けるべきなのは、時代に合わせた人権感覚を持つことと、タレントが対象を「叩きすぎないこと」なのだろう。

 昨年5月5日放送の『あちこちオードリー』(テレビ東京系)に出演した若槻は、毒舌は今の時代にそぐわないと分析していたが、本人は古い世代を取り込む昔取った杵柄を捨てず、若い世代にも対応できるようにアップデートされている。視聴率狙いなのか、テレビ局は最近、YouTuberなどの新星をスカウトして番組に出しているが、本当の救世主は、若槻のようなデキるベテラン勢なのだと思う。

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