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『エクストリーム・ジョブ』を韓国コメディ映画部門の歴代1位に押し上げた、韓国の国民食“チキン”

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『エクストリーム・ジョブ』

 スマートフォンで簡単に出前を頼めるようになった現在ではほとんど見られなくなったが、一昔前の韓国には「給料日の風物詩」と呼ばれた光景があった。我が子のために、香ばしく黄金色に焼かれた「トンダク(통닭、鶏の丸焼き)」を手に帰路に就くお父さんたちの姿である。小学生に好きな食べ物のアンケートをとると、常にトップを争うトンダクは、誕生日や遠足、こどもの日、クリスマスと、特別な日には欠かせない料理の王様だった。普段仕事に追われる父たちも、せめて給料日くらいはと、トンダクで子どもたちを喜ばせようとしたのだろう。

 トンダクが大好きなのは大人も同じだった。中でもビールとの相性は抜群で、「10mごとに一軒」とまで言われたほどおびただしい数の「ホップ屋(호프집、トンダクと生ビールを提供する韓国式ビヤホール)」の存在によって、“ビール+トンダク”の意識が定着、拡散したのは間違いない。韓国ではしばしば、言葉の組み合わせを略して新たな語彙が生まれるのだが、ビールと鶏肉の組み合わせは、近年ではドラマや映画を通して「チメック(치맥、チキン+ビール)」として親しまれ、海外にも浸透しつつある。その原点が「ホップ屋」だったといえる。

 統計によると、1980年~2018年までの40年弱の間に、韓国人が最も食した肉類は鶏肉だという。ここには参鶏湯(サムゲタン)や白熟(ペクスク、백숙)といった伝統的な鶏肉料理も含まれているが、圧倒的に多いのはやはりトンダクである。仕事帰りの父からスマホへと購入方法こそ変化したものの、韓国人のトンダク愛は変わることなく、さらに深まっている。ホップ屋に加えて、いつしか街にあふれるようになったヤンニョム(味付き)トンダク専門チェーンは、その愛の印にほかならない。

 だが、いったい韓国人はなぜこんなにもトンダクに親しむようになったのだろうか? その始まりはいつなのだろう? 今回のコラムでは、国民的料理ともいえるこのトンダクを「出演」させ、刑事モノというジャンルにコメディやアクションの「ヤンニョム」を加味した大ヒット映画『エクストリーム・ジョブ』(イ・ビョンホン監督、19)を取り上げ、韓国におけるトンダクの近現代史を振り返りながら、トンダクが韓国で愛される背景を考えてみたい。

<物語>
 昼夜を問わず犯人逮捕に東奔西走、孤軍奮闘するもこれといった成果は上げられず、ついに解体の危機にさらされる麻浦警察署の麻薬捜査班。最後のチャンスとして国際的な犯罪組織による麻薬密輸の捜査を命じられた面々は、リーダーのコ班長(リュ・スンリョン)と4人の部下、チャン刑事(イ・ハニ)、マ刑事(チン・ソンギュ)、ヨンホ(イ・ドンフィ)、ジェホン(コンミョン)で張り込みを開始。だが、アジトの向かいにある張り込みにぴったりだったトンダク屋の主人は、売り上げ不振のため閉店を宣言してしまう。

 班の解体のためにはもう後がないコ班長は、悩んだ末に退職金を前借りしてトンダク屋を買い取り、捜査とわからないよう偽装のトンダク屋を始める。トンダクの作り方すら知らない彼らだったが、絶対味覚を持っているというマ刑事が故郷のカルビの味付けを応用して腕を発揮、「おいしい」とたちまち話題となり、メディアにも取り上げられて店は連日大繁盛。いつしか張り込みは後回しとなり、一行は接客に振り回されることに。そんなある日、ついに犯罪組織から注文が入り、捜査班に一網打尽の絶好のチャンスが訪れる。だが、そこには巨大な陰謀が待ち受けていた……。

 「今までこんな味はなかった。これはカルビだろうかトンダクだろうか? はい、水原(スウォン)王カルビトンダクです」――捜査会議中だろうと、電話が鳴ればトンダク屋に早変わり、店主がすっかり板についたコ班長の口から淀みなく飛び出す宣伝フレーズだ。直訳のため映画の字幕とは少し異なるが、映画レビューサイトで「最も面白い名台詞」にも選ばれた。見終わった後もずっと耳に残り、思い出すたびに笑ってしまうという観客も少なくないらしい。

 警察の麻薬捜査班とトンダク屋という、関係性の薄いミスマッチな設定を行き来しながら、そのギャップから必然的に生み出される喜劇を最大限生かして絶え間ない笑いを誘う。これが芸人顔負けの俳優たちのコミカルな名演技と相まって大受けし、観客動員1,280万人以上、韓国コメディ映画部門の歴代興行ランキング1位、全体でも8位という驚異の大ヒットを記録した。そしてその背景に、今も昔も、小さい子どもからお年寄りまで、世代や時代を超えて愛されてきたトンダクの存在があることは、韓国人なら誰もが認めるところだろう。

 朝鮮半島では、そもそもニワトリは主に卵を得るために飼育されていた。古くからの習わしに「婿が来たらシアンタク(씨암탉、卵を産むめんどり)をつぶす」というものがある。貴重なめんどりを料理してもてなすほど婿は大事だという意味だが、同時にニワトリの飼育の目的が肉ではなく卵であることも表している。『백년식사(百年食事)』という本によれば、食用の鶏肉が量産され毎日のように食べるほど一般化したのは、1960年代に入ってからだという。ニワトリは肉より卵、という認識はずいぶん長い間続いたというわけだ。

 さらに調べてみると、最も古いもので1929年8月11日付の「東亜日報(동아일보)」の記事に「トンダク」の文字を見つけることができた。記事の内容としては、焼き畑農業をなりわいとする「火田民」たちが立ち退き命令を免れるため、役人が取り締まりに来るたびにトンダクで接待したが、結局山を追われてしまったというもの。植民地時代は土地を失った農民の多くが火田民となっていたのだが、この頃から「トンダク」という言葉が用いられていたことは興味深い。記事ではさらにハングル文字の横に「統鶏」という漢字まで添えられている。「1羽を丸ごと料理した」を意味するその漢字は、現在の意味とそう変わらないものだが、わざわざ漢字の説明までつけたのは、言葉自体がまだ一般的ではなかったからだろうか。記事には「トンダクという制度を実施」とも書かれており、貴重な鶏を1羽つぶして役人を接待すること自体がそう呼ばれていたのかもしれない。

 前述したように60年代に入ると鶏肉の消費量が一気に加速するのだが、その背景には政治的な事情が存在する。朝鮮戦争後、牛肉の消費増加によって値段が高騰すると、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)独裁政権は国民に対し、鶏肉の消費を積極的に促すようになった。そして62年に、元祖トンダクともいえる「電気焼きトンダク」が鶏肉の新たな食べ方として登場した。塩コショウで味付けしたニワトリ1羽を丸ごと金串に刺し、電気オーブンでくるくる回しながら焼いたトンダクをメニューに出した店の名前は、「明洞(ミョンドン)栄養センター」。新聞広告には「韓国初」「味が特異」「遠足・パーティー・お祝いに」といった文句が躍っている。「栄養センター」という名前は、鶏肉の消費を奨励した政府が、鶏肉には栄養が豊富であることを強調したこととも結びついているのだろう。以後、「栄養センター」はトンダク屋を表す代名詞として定着し、数は減ったが現在も健在だ。

 牛肉の値段が不安定になり、政府の鶏肉増産政策が強化されるといった「悪循環」(当時の新聞による)が繰り返された60年代、とりわけ後半になると栄養センターは全国的に急増していった。明洞栄養センターが慌てて新聞に「ほかの電気焼きトンダクはすべて偽物」という広告を出すほどだった。だがいくら元祖でも時代の流れには逆らえず、70年代に入ると学術的にも「牛肉より鶏肉のほうが高栄養」と証明されたことも後押しとなり、栄養センターはさらに増え続けた。と同時に、「生ビール」とのセットで宣伝する店も現れるようになった。ちなみに筆者が初めて食べたトンダクも、この電気焼きのものだった。小学生の頃、テストで良い点数を取ったご褒美として父が買ってくれたのを覚えている。

 競争が激しくなるなか、突破口となった「冷たいビールと香ばしいトンダク」のコラボは、あっという間に栄養センターの定番メニューに君臨した。生ビールとトンダクを楽しむ場面が小説やテレビドラマにも描かれるようになり、大衆の日常生活に急速に普及していった。のちの「チメック」の始まりである。そして忘れてならないのは、大豆油の大量生産によって食用油の値段が下がり、いよいよ揚げたトンダクが登場したことだ。こうして流れは一気に揚げトンダク(=フライドチキン)へと傾いていく。

 81年、こうした流れを象徴する事件が起きた。フライドチキンが電気焼きトンダクを抑えて人気を得ていくなか、アメリカ発の世界的なチェーン「ケンタッキーフライドチキン」を勝手にそのまま商品名にしていた業者が捕まったのだ。この事件のおかげで本家の「KFC」は韓国における需要の高さに気づき、3年後の84年、ついに韓国に上陸するに至った。KFCは瞬く間に韓国のトンダク市場を席巻し、トンダク文化自体をも変えていく。それまで丸ごと1羽を売るのが当たり前だったのが、部位別に切り分け、ばら売りもするなどトンダクの概念をひっくり返し、「トンダク」でも「(フライド)チキン」でも通じるようになった。

 KFCの独占に対し、韓国のトンダク業者たちも黙ってはいなかった。差別化を図って、トンダクに甘辛いソースを絡めた「ヤンニョムトンダク」を生み出したのである。以来、ヤンニョムトンダクはKFCの独走を抑え、韓国における鶏肉料理の「王座」に君臨し続けている。一方80年代は、先述した「トンダク+生ビール」のホップ屋が本格的に始まった時代でもあった。さらに、日本の焼き鳥のようなつまみとビールを専門にするチェーン店も現れるなど、トンダクの多様化が見られていく。これらの店は栄養センターとは違って酒類をメインにしているため、オフィス街や大学周辺を中心に広まり、若者の人気を獲得した。ニワトリのキャラクターがビールジョッキを持つイラストをロゴにした会社もあり、トンダク+ビールの認識もすっかり韓国社会に根を下ろした。

 思い返すと90年代は、ヤンニョムトンダクチェーンの戦国時代だったといえるだろう。韓国にはひとつのビジネスが当たると、誰もが我先にと同じ種類の店を一斉に始めるという悪い習性があるが、芸能人がヤンニョムトンダクチェーンの運営に転じるなど自営業者も数えきれないほど増え、そこら中にトンダク屋が立ち並ぶ事態となった。その背景には、97年に起こったIMF金融危機による失業者の大量発生がある。彼らの多くが「少ない資金」で始められる「大人気」のヤンニョムトンダクに殺到したというわけだ。だが、ここまでトンダク屋が増えてしまうと、そのぶん競争相手も多く、退職金をつぎ込んだものの失敗して一家で無理心中に及ぶといった事件も絶えなかった。もちろんこれはこの時代に限ったものではない。フライドチキン熱風が吹いた80年代には、借金して始めたトンダク屋の失敗で両親が夜逃げ、家に一人残された小学生の女の子が、借金取りの恐怖から飛び降り自殺をしたという痛ましい事件も起きている。トンダクは生死を分ける大ばくちともなり得たのである。

 2000年代に入るとヤンニョムのソースも多様化し、「チメック」がトンダクの代表的な食べ方として時代のアイコンとなっていく。02年の日韓ワールドカップでは、ビール片手にヤンニョムトンダクを食べながら応援するスタイルが定着し、「チメック」流行の決定打となった。その後は、プロ野球やプロサッカーのKリーグの観戦にはチメックが欠かせなくなり、野球場・サッカー場を取り囲む広告がヤンニョムトンダクで埋め尽くされていることからも、スポーツ観戦とチメックの相性の良さがわかるだろう。

 「チメック」が韓国国外で知られるようになったのは、中国で大ヒットしたドラマ『星から来たあなた』(13)で主演女優のチョン・ジヒョンが「チメック」と言ったことがきっかけだったが、直近では、オーストラリアを訪問した文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、晩餐会の席で同国の要人に「Do you know “チメック”?」と尋ねたというニュースまで報じられた。牛肉の代替として戦略的に推し進められた鶏肉食は、次々と進化を遂げ、もはや世界に羽ばたいていこうとしている。日本にも韓国のトンダク屋が明らかに増えてきた。日本に住んで20年以上になるが、こんなふうに日本でも気軽にトンダクを味わうことができる日が来るとは感激だ。筆者もまた、一番好きなのは牛でも豚でもなく、鶏肉だから。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。