“親子の受験”といわれる中学受験。思春期に差し掛かった子どもと親が二人三脚で挑む受験は、さまざまなすったもんだもあり、一筋縄ではいかないらしい。中学受験から見えてくる親子関係を、『偏差値30からの中学受験シリーズ』(学研)などの著書で知られ、長年中学受験を取材し続けてきた鳥居りんこ氏がつづる。
今年もコロナ禍の中での受験本番となってしまったが、中学受験では、いよいよ東京・神奈川受験が始まる。長きにわたった受験生活も最終コーナーに差し掛かかり、本番を目の前に、武者震いをして勇み立つご家庭も多いことだろう。
一方で、本番直前のこの時期に、子どもから「受験をやめる」と言われることもないわけではない。一昨年、こういうケースがあった。受験を2週間後に控えた詩音くん(仮名)が突然「受験はしない」と言い出したというのだ。
親は驚いて、その理由を尋ねたそうだが、もともと、口数が少なく、物静かな息子からは要領を得る答えが聞けず、私に「どうしたものか⋯⋯」という相談を寄せてくださった。
母親である理沙さん(仮名)は「夫は『怖くなって“逃げ”に走っている。こんなことじゃ、少しの困難でも、逃げるだけの人間になってしまうから、受験をしないなんて言語道断!』と激怒している。私もできれば、受験してほしいが、無理やりさせるもの、どうなんだろう? という迷いがある」とおっしゃる。
勝負をしたほうがいいのか、やめたほうがいいのかという悩みは中学受験には付きまとう問題である。それは、受験せずとも義務教育という名の教育の機会が保障されているので、中学受験自体はやってもやらなくても、どちらでも構わないという「任意」の受験であるからだろう。
ただ、親の立場で言えば、これまで長きにわたって、金銭的にも時間的にも肉体的にも「受験一色」という日々を過ごしてきて、最後の最後に「不参加」という状態は受け入れがたいというのもよくわかる。
詩音くんの父親が懸念する「困難から簡単に逃げるような生き方をしてほしくない」という気持ちも理解できる。
しかし、母親である理沙さんの言葉もまたもっともだろう。やはり、子どもの人生は子ども自身のためにあるので、その生き方の選択も子どもの気持ちに添いたいという親心。
私は、これまでも数々「受験をやめたほうがいいか、どうか」という質問に答えてきたが、それは例え受験直前であったとしても、最終的には「子どもの意思を尊重せよ」派である。しかし、これには、ひとつだけ条件がある。
「人生において重要な決断をする時は一呼吸置く」ということだ。
これは、周囲から煽られている時、あるいは疲れ切っている時、ネガティブな感情に覆い尽くされている時には大きな決断を下すのは避けるという意味。
詩音くんの場合、本人がその理由を語らないということだったので、なおさら、一呼吸置くことを提案した。
その年のお正月は同じ市内に住む大好きな祖父母にも会わずに塾で正月特訓をしていた詩音くんである。どのみち、直前期は小学校はお休みして、自宅学習に切り替える方針ということだったので、テキストも何も一切合切置いて、祖父母の家に詩音くんひとりで行くことを勧めてみたのだ。
詩音くんは1週間ほど、祖父母宅でゲームをしながら過ごしていたという。
「実家の両親も『本人が嫌だって言うなら、何も無理して受験することもない』と理解してくれて、何も言わずに詩音の好きにさせてくれていたようでした。母としては、詩音の様子に『残念』って気持ちがなかったと言えば、嘘になるんですが、もう仕方ないな⋯⋯、高校受験どうしようかな? って気持ちになっていました」と理沙さん。
ところが、受験1週間前に詩音くんが自宅に戻ってきたそうだ。詩音くんは両親にこう言ったという。
「心配かけてごめんなさい。やっぱり、受験します」
その時、理沙さんは詩音くんが祖父母宅で、ひとり彼なりに考えを整理していたと解釈したそうだ。
「この時期だからこそ『親の敷いたレールに乗っている自分でいいのか?』『この受験に意味があるんだろうか?』みたいにいろいろ悩んだんだろうなぁ⋯⋯、これが思春期ってものなのかなぁ⋯⋯とか私なりに詩音の思いを想像していたんですが、最近、詩音に聞いたら、全然、違っていました(笑)」
詩音くんが理沙さんに語ったことによると「周りの大人たちが『これやれ、あれやれ』『もっと!もっと!』って言っているような気がして、全部がめんどくさくなった」という理由が大きかったそうだが、私が思うに「逃げ」というよりは、単純に疲れから来る“飽和状態”だったような気がする。
「受験する・しない」は先述したとおり、中学受験の場合は、どちらでもいいことだ。ただ、長きに渡る、この受験道の中では「する・しない」で親子が葛藤を繰り返すことが多いのも、また事実。
しかし、最後の決断は子ども自身で下す。それには、明るい環境の中で、子ども自身が自分の生き方をゆっくりと考える時間を取ってからのほうが、その子の未来がより輝くような気がしている。
詩音くんは現在、志望校のひとつであった中高一貫校の中3。高等部に行くための内部試験を首の皮一枚でクリアしたらしく「あの時、(中学)受験やめなくてよかった。高校からは、この学校には絶対、入れない!」という感想を理沙さんに言ったとのことだ。