日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。3月6日の放送は「ボクらの丁稚物語2022 ~涙の迷い道と別れ道~ 後編」。
あらすじ
横浜市の家具製作会社「秋山木工」では、住み込みで5年間修行する丁稚奉公制度が採用されている。この間、丁稚たちは酒もタバコも恋愛も禁止、携帯電話は私用で使えず、家族への連絡は手書きの手紙だけ。朝は近所の清掃、さらに修行期間中は男性も女性も丸刈りという非常に過酷な生活だ。
高級ブランド店が注文するような一点ものの家具を作る高度な手加工の技術を身につけられるとあって志望者は後を絶たないが、半数は脱落してしまうという。
2017年、秋山木工に3人の丁稚が入社する。京都大学を中退して来た、実家が家具製造会社の内藤と造園会社の跡取りである加藤、糖尿病を抱える佐藤だ。
19年春、そんな3人に2人の後輩が入ってくる。そのうちの一人、山田は秋山社長が「傲慢になる天才」と呼ぶ鼻っ柱の強さで、「何かどうしても上の方々の3人に(17年組)ちょっとどうしても憧れが持てない自分がいて」と不満を口にし、17年組との関係は不和が続く。
秋山木工は、23歳以下の若手職人が技術を競い合う大会「技能五輪」において入賞常連であり、17年組の直接の先輩にあたる伸吾も銅メダルを獲得している。「打倒秋山木工」を掲げる全国のライバルも多い。
今回、秋山木工からは佐藤と山田が出場する予定だったが(ほかの17年組は年齢制限で出場できない)、先輩職人から、2人の出場に対し物言いが入る。
佐藤は遅刻が多く、禁止されている携帯電話を使っていること。山田は言うことを聞かないことなど、2人の生活態度は17年組と山田の不和を呼ぶだけでなく、先輩職人の間でも問題視されていたのだ。これを受けて、秋山社長は初めて「技能五輪」の出場を断念する。
もともと佐藤は先輩社員の高い技術、仕事ぶりを見て、自分はここまでできないと退職を考えていた。一度実家に帰り、家族からの説得もあり、秋山木工に戻ったという経緯がある。しかし、この不出場で気持ちが折れてしまったのか、5年の修業生活のうち4年半まできたところで、結局退職してしまう。
番組の最後では、伸吾先輩が修行を終え晴れて職人となった。先輩職人から秋山木工の法被を着せられると、両親は涙していた。
5年間の修業生活のうち、4年半まで来たところで退職した佐藤だったが、その理由は語られなかった。もちろん、放送されなかっただけの可能性もあるが、『ザ・ノンフィクション』を見ていると自分の気持ちをはっきり言葉にしない、できない人を少なからず見かける。
精神的に疲れ切って言葉にする労力が残っていないのかもしれないし、言葉では拾いきれないものがあって話さないのかもしれない。
あるいは、「自分の思いを言葉にする」という習慣がそもそもない人もいるのではないか。男性の場合、女性より自分の感情を言葉として表に出すことに対し、社会的な圧も存在するだろう。
それでも、心の中にあるなんだかモヤモヤとしたことを、言葉に変換していくのが「考える」ことだと思う。そもそも、言葉にしないと周囲も理解することがより難しくなってしまい、腫れ物に触るように扱われてしまうだろう。しかし『ザ・ノンフィクション』を見ていると、「言葉にできない人」は案外多いのだと思う。
一方、今回の秋山木工に限った話ではないが、『ザ・ノンフィクション』で若者の就業をテーマにする回では、「親孝行」「親への恩返し」を目的に挙げる出演者が多い。山田もシングルファザーとして自分を育ててくれた父親に恩返しをしたいと話していた。
親孝行がしたいと話す子どもは、親の苦労を知っているのだろうし、それを意識せずに育つことができた子どもよりも「苦労を知る子ども」だと思う。つらいこともあったろうに、グレないどころか「親孝行がしたい」と話す姿は立派だが、私は違和感というか、何か子どもが無理を抱えているように思える。
ひとり親など、親が忙しい中で子育てせざるを得なかったとしたら、それは親自身と社会の問題であり、子どもに責任は全くない。今の時代の親は、ほぼすべての親が、親自身の意志で子どもを持ったのだから、恩返しなど考えなくてもいいと思うのだ。
単純に「親孝行と言うと、年上受けがいいから」という計算や、「家庭と学校しか社会を知らないので、親孝行くらいしか言えない」といった理由のほうが、私には健全に思えてホッとする。
次週の『ザ・ノンフィクション』は「生きることって… ~山とマタギと私たち~」。秋田県の山村でマタギを営む74歳の鈴木英雄。マタギは自分の代で終わりだと思っていた鈴木のもとに、マタギ希望の若者たちがやってきて……。