今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
「暴力団員」は30年で7割減
1992年3月1日に暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が施行されてから、今年で丸30年を迎えたそうです。この法案をめぐっては、当時は大激論が交わされ、テレビや新聞もけっこう報道していましたね。「暴力団壊滅法」ともいわれ、「結社の自由」とか憲法論議だったと思いますが、労働組合など「暴力団以外」への適用も懸念されていました。
それから30年。「暴力団」は、なくなっていません。30年かけてもなくせないのです。たしかに数字だけ見れば、「暴力団員」は減っています。国内の構成員・準構成員の数は91年の約9万1,000人から、2020年に約2万6,000人と、7割減少していますけどね。
もちろんこれからはもっと減るでしょうが、完全に消えることはないと思います。残るのは、ヤクザとして生き抜くという哲学のある人や、組織以外に居場所がない人たちです。
過剰な暴排が生む新たな犯罪
「暴力団員」が減っているのは、単純に少子高齢化もありますが、暴対法でなく暴排条例(暴力団排除条例)のせいですね。
条例は、「暴力団」や「暴力団員」を取り締まるのではなく、主に「暴力団員と関わるカタギ」を取り締まるものだからです。これは考えた人はアタマいいなと思いましたね。条例は、一般人だけでなく企業や商店などもみんな対象なので、結果として「暴力団員」は合法のビジネスができなくなりました。全都道府県で条例が出そろったのは11年10月ですが、それより前は「暴力団員」でも会社を経営していました。
業種的には不動産系や土木、興行はもちろん、風俗や飲食店経営、お店に置くおしぼりや植木のリース系などいろいろでしたが、今は全部ダメです。さらには金融機関の口座やクレジットカードも作れず、事務所は家電も買えず、出前や宅配便すら扱ってもらえないようになりました。奥様もクレジットカードが使えず、子どもたちも学校や幼稚園で迫害されるので、仕方なく離婚するケースも後を絶ちません。現代版・兵糧攻めです。
生活できなければクスリ(違法薬物)やオレオレ詐欺などに手を出すのは当然ですね。そして、統計上では「暴力団員」でなくなっても、他組織の関係者や半グレなどと一緒に「より凶悪」な犯罪に加担している例もありますね。
代表的なのは、なんといっても16年5月の「20億円不正引き出し」事件です。全国17都府県のコンビニのATMで、約2時間以内に偽造クレジットカードで一斉に引き出されています。この件では、約260人が逮捕されていますが、現役の組員のほか元組員、別のオレオレ詐欺事件の逮捕者などが含まれていたことがわかっています。昭和では考えられない事件ですね。
ヤクザの減少と犯罪の多様化(?)を受けてか、警視庁の組対(ソタイ)こと「組織犯罪対策部」が組織改編を発表しました。
4月1日から、組対の旧1課(外国人のオーバーステイなど)と旧2課(外国人の殺人や強盗などの凶悪事件)が「国際犯罪対策課」に、旧3課(暴力団の実態把握)と旧4課(暴力団捜査)が「暴力団対策課」に、旧5課が「薬物銃器対策課」にそれぞれ改称されます。さらにマネロン対策として「犯罪収益対策課」が新設されるそうです。
この警視庁の組対再編については、一昨年くらいからうわさがあり、不良たちの間では「税金のムダ」という感想しかなかったのですが、「4課がなくなる」ことには、驚きの声も出ていましたね。
昭和のヤクザにとって「4課」(発足した58年当時は「警視庁刑事部捜査4課」)というのは宿敵というよりは癒着の対象であり、同志的なところもありましたからね。暴対法ができるまでは、不良と警察は「持ちつ持たれつ」みたいな感じだったのです。今よりも抗争はすごくて、殺人事件もバンバン起こっていましたが、どこかのんびりしていた気がします。刑事さんたちも「4課」には愛着があったと思いますよ。03年に組織犯罪対策部ができた時も、「組織犯罪対策4課」の名は残されましたしね。
ちなみに警視庁以外では、北海道、埼玉、千葉、静岡、愛知、大阪、広島の各道府県警察で「捜査4課」の名前が残っているそうです。
癒着していた頃と違って捜査情報も取りにくくなっているようで、溝口敦御大は、「今の組対はふだんはヒマをかこち、たまに事件が起きると解決までに手間取る。その上に半グレや外国人犯罪が加わって、果たして十分な対応ができるのだろうか」と懸念されていました。
元極妻ごときは畏れ多くてこんなことは書けませんが、まずは新体制の「お手並み拝見」というところでしょうか。