近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『野球少女』
韓国には、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールと4種目の代表的なプロリーグが存在する。中でも、プロ野球の人気ぶりはほかの追随を許さない。日本やアメリカとたがわず、韓国プロ野球もまた、開幕すればほぼ毎日のように試合が行われ、テレビやインターネット、衛星放送で生中継されるのはもちろん、老若男女幅広くファンを持つ国民的なスポーツだ。
日本では、野球とサッカーは国を二分する人気スポーツといえるが、韓国では野球がサッカーの3倍の観客動員を誇っている。ワールドカップのようなサッカーの国際試合における韓国人の熱狂ぶりを思うと、国内リーグでの観客数の少なさ、国民の無関心ぶりには驚くばかりだが、ともすると日本以上にスポーツがナショナリズムと結びつきやすい韓国において、プロ野球がいかに韓国人の「日常生活」に浸透しているかを物語っているといえよう。近年では本場のアメリカや日本のプロリーグに進出する選手も増え、韓国プロ野球の実力の底上げを証明している。
にもかかわらず、上記の4大スポーツの中で唯一「女子プロリーグ」を持たないのが、野球であるということもまた、韓国の現状にほかならない。いや、プロうんぬん以前に、女子野球部のある中学・高校はひとつもなく、女性は“趣味”で野球をやるもの、という先入観が強く根付いている。プロリーグを可能にする土台が皆無であり、そもそも、女子プロ野球選手という発想自体がないのだ。
もっとも、このような事情を抱えているのは韓国だけではない。野球の宗主国アメリカでさえ現在女子プロ野球は存在しないし、日本は2009年に女子プロ野球機構(JWBL)が発足したものの、昨年「無期限の活動休止」を発表し、事実上消滅している状況だ。観客動員がもたらす莫大な興行収入を前提とするプロリーグの実現には、選手の土台とは別に、どうしても大きなハードルがあるといわざるを得ない。その背景には、国民の間にまん延する「プロ野球=男性の専有物・女性には無理」といった、無意識の固定概念があるのだろう。
そうだとするならば、プロ野球選手になって大歓声の中グラウンドを走り回りたい、と願う女性はどうすればよいのだろうか?
今回取り上げる映画『野球少女』(チェ・ユンテ監督、2019)の冒頭で説明されていたように、韓国野球委員会(KBO)は1996年、所属選手を男性のみに制限していた規則を撤廃し、女性がプロ野球選手になる可能性を一応は開いている。だが現実として、いまだかつて女性プロ野球選手は実現していない。
かといって、プロに挑戦した女性がまったくいなかったわけではない。「禁女の領域」とまでいわれるプロ野球のマウンドに立つために幾度もトライアウトに参加し、偏見と差別という高い壁に向かってボールを投げ続けた選手がいたのだ。彼女の名はアン・ヒャンミ。韓国で野球選手として公式に登録された最初の女性だ。
今回のコラムでは、プロ野球選手という夢に向かって真っすぐに走る少女を描いた『野球少女』を取り上げ、監督自ら「モデルにした」と明かしたアン・ヒャンミの野球人生と照らし合わせながら、現実と映画の違いや、映画が伝えようとするメッセージについて考えてみたい。
<物語>
全国で唯一、高校の野球部に所属する女子選手であり、「天才野球少女」と呼ばれ注目を浴びていたチュ・スイン(イ・ジュヨン)。彼女の夢は高校卒業後、プロ球団に入団して野球を続けることだ。だが、かつてはスインの実力に到底及ばなかった同級生男子が、彼女の身長を追い越し力もつけて、ドラフト指名を受けるまでになる。スインが持つ134キロという最高球速記録も、凡庸な数字にすぎなくなってしまった。
女子であるという理由だけで入団テストの機会もろくにもらえず、家族や監督からも現実を見るよう諭されるが、スインは諦めずに日々練習に励む。そんなある日、野球部に新しいコーチのジンテ(イ・ジュニョク)がやってくる。最初はまともに取り合わなかったジンテも、めげないスインの姿に徐々に心を動かされ、“球の回転数が多い”というスインの長所を伸ばした指導を行った結果、やがて大きなチャンスが訪れるのだが……。
本作に対しては、「女性の能力に限界がないことが証明された」「わが娘にも見せたい」といった好意的なレビューが多く、ひたむきなスインが「ガラスの天井」を打ち破っていく姿に共感し、多くの観客が拍手を送ったことがわかる。だが一方で、「ジェンダー平等」や「フェミニズム」の文脈から映画を見た場合、スポーツ競技において男女が同じ土俵で競い合うことへの疑問や、“女が男に勝つ・女が男になろうとする”というフェミニズムの誤った理解に結びつくことの危険性を感じないわけではなかった。
「女だから無理」という周囲の無理解と闘うスインと、幼い頃は自分のほうがはるかに優れていたにもかかわらず、成長の過程で男性に追い抜かれるという、野球の能力ではない生物学上の理由によって苦しむスインを、同じ問題として捉えるべきではないと思うからだ。
だが、本作の真のメッセージはそうではない。映画では、スインが自分の最大の武器として変化球の「ナックル」を磨き、弱点が最大の長所に変化していく過程を描くことで、力がすべてではないことを証明してみせ、それがスインの未来を切り開いていくことになる。
つまりチェ監督も述べているように、本作の核となるのは、スインによって象徴される「弱者・マイノリティー」が何かに挑戦することを肯定し、周囲もまた彼らの挑戦を諦めさせるのではなく、後押しできるような社会の取り組みが必要であると訴えることだ。
では翻って、モデルとなったアン・ヒャンミの現実はどうだったのだろうか? 1981年生まれのヒャンミは、弟の通う野球教室に遊びに行ったことがきっかけとなり、小学校5年生で野球を始めた。弟が教室をやめてもヒャンミはどんどん野球の魅力に取りつかれていったが、野球部があるのは男子中学ばかり。それに韓国では、私立を除き、家から近い学校順に、抽選で行き先を決められるため、仕方なくヒャンミは女子中学に入学した。
しかし、野球教室の監督の計らいにより、野球部のある男女共学中学に転校がかなう。そして性別欄に「女」と書いた初めての野球選手としてソウル市の野球協会に正式登録され、その存在は当時のメディアにも大きく取り上げられたため、ヒャンミはたちまち時の人となった。
中学では主力選手にはなれず、主にベンチ要員として試合に出場。それでも練習だけは誰にも負けない熱心さで、監督からも「根性のある選手」と褒められた。だが、問題は高校進学。男女一緒に活動できる野球部は数えるほどで、「身体的能力の差」を理由に入部を断られるなど、ヒャンミを受け入れてくれる高校の野球部はなかった。
それでもヒャンミの野球に対する情熱は消えず、ソウル市の教育庁を動かした。彼女が高校の野球部に進学できるよう教育庁が「体育特技生」に認定し、高校側もそれを受け入れたため、今度は初の高校野球女子選手が誕生したのだ。
映画の中で、校長室の壁に掛けられた新聞記事が「20年ぶりに高校野球女子選手誕生」というスインのものから、プロ入団が決まった男子選手のものに替えられる場面があるが、この20年前に誕生した女子選手というのが、実際にはヒャンミである。20年という歳月を経てもなお、女性を取り巻く野球環境の厳しさが変わっていないことを物語る場面といえるだろう。
また、作中でも合宿先の部屋割りやロッカールームの問題、監督や部員からの嫌がらせなど、野球を続けてきたスインの苦しみが語られるが、ヒャンミも同じように練習から排除されたり、試合当日にバスに乗せてもらえず取り残されたこともあったという。「野球部に女がいることが許せない」という監督のパワハラが問題となり、ヒャンミの父親が訴えて辞職させるという事態にまで発展したりもした。
そんな苦難を乗り越えて、ヒャンミは3年生で全国大会を迎える。準決勝まで進んだチームの大事な大一番で、ヒャンミは先発投手として初めてマウンドに上がり、打者1人と対戦した。当時、大学に進学して野球部に所属するためには、高校時代に必ず一度は公式戦に出場しなければならない、という規則があったからこその登板だが、ヒャンミにとってそれは、何ものにも代えがたい喜びとなった。
全国大会を終え、まだまだ野球を続けるために、ヒャンミは野球部のある大学の門を片っ端から叩いた。しかし、「女性1人のためにシャワー室やロッカールームを作ることはできない」と、すべての大学から受け入れを断られた。次にプロ球団のトライアウトに何度も挑戦したが、結果はすべて不合格。国内のあらゆる可能性を模索し断念したヒャンミが、次に選んだ場所は「日本」だった。
全日本女子軟式野球連盟所属の「ドリームウィングス」というチームに入り、02年から3年間、投手や三塁手として活躍したヒャンミ。帰国後、自らチームを立ち上げ、日本で学んだことを生かして韓国女子野球の活性化のため孤軍奮闘した。だがチーム運営に苦労し、メンバー同士のトラブルなどもあって野球を諦め、オーストラリアへの移住を決意。21年時点で、ヒャンミは食肉生産会社の販売店マネジャーとして、野球とは無縁の生活を送っている。
『野球少女』の公開とともに、ヒャンミも再び脚光を浴びることとなり、多くのインタビュー記事に登場した。映画の感想を聞かれたヒャンミは「面白かったけど、悲しかった」と答えている。孤立した環境の中でも野球を続けたいと願うスインとヒャンミは多くの面で重なるものがあるが、結果的にプロにはなれなかったヒャンミと、トライアウトの結果プロの夢がかなったスインでは、決定的に結末が異なっている。映画を見たヒャンミは、「プロの夢」をかなえられなかった現実の自分を再び突きつけられてしまったかもしれない。
だが、未来的な視点に立つならば、こうして映画が「ファンタジー」を描くことは、第二、第三のヒャンミたちの希望となり、彼女たちがスインになれる可能性を広げてくれるように思う。現実社会からは生まれない発想を映画がファンタジーとして描くことで、逆にそれが現実になり得る。それは「映画」が持つ力でもある。
1905年、アメリカ人宣教師によって韓国に初めて野球が紹介されてから、軍事政権下で国民の目を政治からそらす目的もあって、全斗煥(チョン・ドファン)がプロ野球を発足させたのが82年。極めてのろのろとした歩みではあるが、韓国野球界も今日まで発展を遂げてきた。
次なる目標が、現在のシステム内での女子選手の活躍なのか、女子プロ野球リーグの設立なのか、正直私にはわからない。だが、女性であれ男性であれ、トランスジェンダーであれ障がい者であれ、はたまた金持ちだろうと貧乏だろうと、誰でもやりたいことに挑戦でき、それを受け入れて応援する人々の姿は、社会が目指すスポーツの最も健全なあり方であることに変わりないだろう。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。