「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――なぜ、秋篠宮家だけは学習院に対して距離を明確に置いたのでしょうか? 悠仁親王の進学問題以前から、眞子さま佳子さま共に大学で学習院を選んでいません。
堀江宏樹氏(以下、堀江) その理由は今日まで公開されていません。まぁ、学習院が私立の教育機関である以上、秋篠宮家が子弟を入学させなかった理由を語ることは、営業妨害にあたりますから、今後も語られることはないでしょう。
しかし、考えねばならないのは、学習院大学以外の教育機関を秋篠宮家のお子様が受験なさるときには、つねに「推薦入試」が選択され続けている事実です。これについては、皇室特権を駆使して合格を勝ち取ろうとしていると解釈する方も世間には多いようですが、それは少し言いすぎかな、と感じました。
本来、個人としての優劣がハッキリとしてしまうことを、皇族は絶対に避けねばならないのです。前回お話したように、「神秘であること」こそが皇族のオーラの源泉だからです。そもそも、なぜ上皇さまが研究テーマが魚類のハゼになったかというと、ほかに研究者が少なく、競争が少なく、評価制度がわかりにくいことがあったとされます。おそらく、秋篠宮さまが一時期没入しておられたナマズというテーマも同じように決まったのだと思われますね。
――興味深い考察です。皇族の方々は好んでマニアックな趣味をお持ちかと思っていましたが、そうした学者の世界の競争をあえて避けているのかもしれないんですね。
堀江 その点、入試は合格・不合格がもっともハッキリと決まってしまうものです。常に連戦連勝であるならともかく、将来の天皇だと目される悠仁親王を競争の渦に放り込むという秋篠宮家の選択は、大胆すぎたと思います。
この大胆さは、相当に当主である秋篠宮さまのご意見が反映されているのではないのかな、と。クリントン大統領の歓迎晩さん会より、タイの田舎で行われたナマズ関連の儀式を重視したころから、秋篠宮さまは自分が正しいと思ったことを貫き通す方ですから、今回の悠仁親王のお受験の件も……。
その一方、秋篠宮家は「推薦入試」にこだわり続けています。これをズルいと見る人もいますが、「世間に対し、優劣がハッキリとしてしまうことを皇族は絶対に避けねばならない」という“ルール”に対する秋篠宮家なりの配慮なのかもしれません。しかし、正直に申し上げて、よろしくない選択だったと思います。斬新さの追求と、神秘さの護持の良いとこ取りなどできませんから。
――悠仁親王も推薦入試制度を利用されました。お茶の水女子大付属高校から、他校に男子生徒を進学させるための推薦入試制度である「提携校進学制度」を利用、筑波大学附属高校に進学。併願はなし。「提携校進学制度」についての詳細は世間に公表されていません。
堀江 ただ、悠仁親王は皇族特権で合格したというわけではないと思うのです。実力で認められたから合格したと考えるほうが客観的には正しそうです。
堀江 こういうことを掘り返すのは失礼とは承知ですが、秋篠宮家の佳子さまは2014年、大学進学の際、学習院大の内部進学試験に合格した以外、他大の入学試験(詳細不明)は全て不合格だったそうです。しかし、学習院大以外に行きたいという佳子さまの強い意志で、学習院は中退。結果的にICUにAO入試という推薦入試で合格した、ということになっています。
ここから見えるのは、いくら皇族が入学を希望しても、実力が足りなければ容赦なく落とされる事実です。前回お話した故・篠沢秀夫学習院大学名誉教授の証言とも矛盾していません。
――推薦入試は在学中の成績が大きな評価軸になるとはいえ、学力試験の結果が悪ければ落とされてしまいますよね?
堀江 おそらく秋篠宮家としては、佳子さまのような不合格結果が「将来の天皇」である悠仁親王の進学では絶対に起きないよう、少しでも合格確率を上げるべく、当日の試験の点数だけでなく、高校の成績も多いに反映される推薦入試を選択したのだと思います。
しかし、その推薦制度も悠仁親王のために作られた特別な制度ではないか? という疑惑がかなり前から生じていますし、そういう声のある制度を利用したことは、悠仁親王の未来にとって、有利な選択にはつながらなかったのではないかな……と考えてしまうのです。
――悠仁親王については、幼稚園の時点から一度も学習院で学んだことがないという、明治に東京に学習院という教育機関が設立されて以来、最初の皇族になりそうですよね。
堀江 これに対し、学習院側は当然のように悲憤慷慨していますね。前回も紹介した『文藝春秋』(2011年2月号、文藝春秋)に掲載された篠沢さんの手記「誰よりも深く愛子さまの教育を憂う」において、篠沢さんは「(悠仁親王を秋篠宮家が)お茶の水女子大付属幼稚園に通わせるかどうかは御自由」だと語っています。
しかしその一方で、「秋篠宮ご夫妻には、学習院が日本の歴史と皇族教育に果たしてきた役割だけは、しっかりとご認識いただきたい」と言ってから、学習院と皇室の絆の歴史について滔々と語りはじめているのです。
――なんだか振られた相手からの恨みの手紙みたいですね(笑)。
堀江 まさに。ただ、その学習院が果たしてきた「皇族教育」のあり方とはどんなものだったかというと、篠沢さんが皇族の子弟の教育を担当したわけではないのでしょうけれど、混沌とした印象をこの記事から受けたのです。
たとえば記事のタイトルに「愛子さまの教育を憂う」とあったわけですが、これは皇太子(当時)一家のご長女・愛子さまと学習院初等科の同級生の男子との間にトラブルが起き、愛子さまが一定期間、通学できなくなったと報道された時期に発表された手記なんですね。
堀江 当時、学習院長だった波多野敬雄氏は週刊誌のインタビューに「わんぱく坊主を見て怖がっちゃうような環境で(愛子さまは)育てられているわけですから、それは学校が直すというよりも、ご家庭で直していただかないといけない」と発言しているのです。
この発言の解釈はやめておきます。本当にわんぱくな男の子がクラスにいたという「だけ」で、いじめではなかったとする学校側の主張の正誤については、部外者である我々は何もわからないからです。ただ、これを篠沢さんは「皇族だからといって学習院は特別扱いはしない」ことの例だと考えているようですね。
――なんだか釈然としないところがあります。
堀江 ここからはさらにモヤモヤしてきますよ(笑)。同記事では、篠沢さんはこうも言っているのです。「皇室の第一の役割は宮中祭祀であり、それを次代に滞りなく伝えていくことだ。それ以外のことは『まぁまぁ』でいいのです」。
これは愛子さまと(当時の)皇太子家のみなさんに宛てられたメッセージではあるけれど、このあたりに秋篠宮家が、悠仁親王の進学先として学習院という教育機関を幼稚園から高校に至るまで選ばなかった理由が端的に表れてしまっているような気もしたのですよね。
――なんとも、二枚舌ですね。学校では皇族の子弟を特別扱いはしないから、「ほかの児童と問題を起こしたら、ご家族で問題を解決させるようにもっていかねばならない」としつつも、「皇族は祭祀が本当は大事なのだから、教育についてはほかの児童みたいに高い目標を掲げすぎなくてもよい」というのは……。
堀江 そうなんです。「お子さんが、何らかの理由で学校に多少行けない時期があったところで、そんなにカリカリしなくても大丈夫」くらいのメッセージを、おおらかに伝えたかったのかもしれませんが……。
たしかにこの記事を書いた時、篠沢さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)の闘病中で、人工呼吸器を喉にとりつけているので、すでに自力では発声できない、つまり声を出すこともできない状態で、ベッドの上で一日の大半を過ごしている状態でした。なので、体調は万全とはいいがたい。文章の論旨に矛盾があったところで、それを指摘すること自体、ヤボなのかもしれませんが、やはり……というのはありますよね。
――そういう背景を知ると、「まぁまぁ」とは言えないハイレベルな教育を、子どもたちに授けようとしている秋篠宮一家の決断は興味深く思えました。
堀江 「まぁまぁでいい」なんて言われ、あるいは思われているというのは、すべての皇族の子弟に対する学習院側の姿勢にもつながるような気がしてなりません。そういう態度で見守られていて、プライドが許すのかという問題は人間として絶対にありますからね。
秋篠宮家は兄宮である現・天皇陛下から皇統を受け継ぐべき存在です。だからこそ、将来の天皇だと目されるご自分の皇子に、東大卒という特別なオーラをまとわせたいのでしょうか……。
堀江 しかし……学習面での優劣を公開しすぎると、「神秘性」は消えてなくなります。
現在においても日本で君主制が支持されているのは、皇族方にはほかの人々にはない「神秘性」があるからで、それに多くの国民が強い魅力を感じているからです。理屈とか論理と、そうした「神秘性」は完全に別と思いますね。日本の皇室だけでなく、たとえばヨーロッパの王族を見ていても、理屈は同じです。
たとえば、進学問題に四苦八苦する将来の天皇というのは、あまりに人間的すぎないでしょうか? 超然としすぎていても人気がなくなってしまうので、人間としての側面を公開するにはさじ加減が難しいのですが。
――秋篠宮家は「皇族は学習院に行くものだ」という、世間がなんとなく伝統にしてしまったことを覆してしまいましたが……。
堀江 思い出したのですけど、グスタフ・マーラーというクラシックの作曲家が「伝統とは怠惰のことだ」と発言しているのですが、秋篠宮家の家風もそれに近いのかもしれませんね。高い理想を持つことは素晴らしいのですが。伝統とは適切な距離を置いて付き合うことも本当は大事だと思いますよ。
思えば、過去にもそうした野心的な傾向のある天皇は何人かおられました。形骸化した朝廷、腐敗した鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇は、「朕が新儀は未来の先例たるべし」(『梅松論』)と発言しました。「私が行う新しい政治は、未来の人々には貴重な先例として振り返られるだろう」という意味で、先例のない政治を目指しましたが、結局、大失敗して、後醍醐天皇の打ち出した「新儀」は跡形もなく消え去ってしまいました。
21世紀の日本において、天皇そして皇族という存在に人々は何を夢見ているのか。それに応える「新儀」でないかぎり、未来は暗いといえるかもしれません。