羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今週の有名人>
「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」和(いずみ)
和オフィシャルサイト、4月11日
3月10日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、俳優で映画監督・榊英雄の女優に対する性加害を報じた。同誌によると、榊の作品に出演したり、ワークショップに参加した4人の女優が、性的関係を強要されたという。ある女優は、「短編映画の主演に起用したい。フィッティングをしよう」と業務上の打ち合わせであることを理由に2人で居酒屋へ行くも、榊が次に向かった場所はラブホテルだったそうだ。
同誌の取材に対し、榊は4人のうち3人と関係を持ったことは認めたが、「性行為を強要した事実はありません」とし、あくまで合意の上だったと主張した。しかし、監督が主演という条件をちらつかせながら性的関係を要求してきたら、女優側が断りにくいことは明白だろう。
「文春」の報道を受けて、榊は当時業務提携していた芸能事務所「Ruby・sue」を通じてコメントを発表。最初のパラグラフを抜粋してみよう。
「この度は、映画『蜜月』の公開が控えているこのタイミングで、私の過去の個人的なことが記事になり、映画を創るために東奔西走してくださったプロデューサー陣やスタッフ、キャストの皆さまおよび関係者の皆さま、そして何よりこの映画の公開を楽しみに待っていてくださる観客の皆様に、多大なるご迷惑とご心配、不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げます。そしてかけがえのない大切な家族を傷つけ悲しませてしまったことを、本当に申し訳なく思っております」
ここでは、自身の監督作で公開中止になった映画『蜜月』のプロデューサーやスタッフ、出演俳優など仕事関係者、観客、そして家族に謝罪しているが、最大の被害者である4人の女優については触れていない。次のパラグラフで、ようやく「今回の記事上で、事実の是非に関わらず渦中の人とされてしまった相手の方々にも、大変申し訳なく思っております」とつづられていた。
しかし、この「事実の是非関わらず」という表現からは、榊が「不本意ではあるが、騒ぎになったので形だけ、とりあえず謝っておこう」と思っているかのような印象を私は受けた。
そんな榊の妻で、シンガーソングライターの和(いずみ)は、「文春」の記事が出た直後の3月17日に、シンガーソングライター・川島ケイジの配信番組『川島ケイジのジグザクNIGHT』にゲスト出演。「榊英雄が心や体を、あの……そのことで傷つけてしまった女性のみなさんに謝らせてください。本当にすみませんでした」と謝罪し、「私自身はね、やっぱり夫婦関係っていうのにけじめをつけようかなと思ってはいるんですが……」と、離婚を示唆するような発言をしていた。4月11日には、和のオフィシャルサイトで、榊氏と離婚や別居について「協議を進めております」と発表している。
夫や父親が性加害者だと日本中に報道された妻や子どもの苦悩は計り知れないし、和の場合、自分も芸能活動をしているだけに、今後の仕事に差し障りがないとは言い切れない。踏んだり蹴ったりで気の毒だが、オフィシャルサイトで発表した文章には、ちょっと気になる部分もあった。
自身の娘たちの気持ちを尊重し、今後について話し合うのは時間がかかったと明かしたあと、「家族がありながらの夫の行為に対して許せないものがありました」と書かれている。さらに、「妻として、母親として、今家族を世の中にさらさなければならないような状況を作った夫を容認して生きていくつもりはありません。今わたしがすべき事は、 娘たちを全力で守る事と、わたし自身の心を守る事です」と、離婚は娘たちを守るための決断だと明かしていた。
率直な気持ちをつづったのだろうが、被害者がいる問題に関わる公式コメントとしては、不適切なのではないだろうか。というのは、言うまでもなく、家族がいる人もいない人も、性加害をしてはいけないからだ。
繰り返しになるが、榊は謝罪文で、被害者である女性たちをすっ飛ばして、プロデューサーや観客など、自分の仕事に関係がある人、もっと言うと、自分に直接的なメリットをもたらす「身内」から順番に謝罪した。妻の和も、榊を許せなかった理由は「家族がありながら」性加害を行ったことで、やはり「身内」を傷つけたことを挙げている。2人が文書でわざわざ「身内」に触れたのは、偶然なのだろうか。
榊のスキャンダルを受けて、「勝てば官軍負ければ賊軍」ということわざが頭に浮かんだ。戦では、戦いに至る理由よりも勝敗のほうが大事で、勝ったほうが正義となり、負けたほうは反逆者とみなされることをいう。ジャニーズ事務所の生みの親で、日本を代表するプロモーターの故ジャニー喜多川氏は、豊川誕ら所属タレントによく「勝てば官軍」と言い聞かせていたそうだ。確かにこのことわざは、芸能界のような人気商売の体質を現した言葉だといえるだろう。
映画監督なら観客動員数、ミュージシャンならCDなどの売り上げ枚数が数字として現れるので、それが多ければ高く評価され、彼らが所属する事務所や配給会社、レコード会社、さらに家族などの「身内」も潤うはずだ。こうなると、その業界は「売れっ子さまさま」の状態になっていき、極端な成果主義がまかり通るようになるだろう。売れれば売れるほど「身内」からはチヤホヤされるが、不祥事を起こせば「身内」に大きな損害を与え、そっぽを向かれてしまう。
反対に、かけだしの役者のように知名度や数字を持っていない人は、業界内でどうしても立場が弱くなる。売れている・売れていないは単なる数字上の評価であって、売れていない人を軽んじていい理由はない。しかし、芸能界のように極端な成果主義の場所では、「勝てば官軍」とばかりに、「売れっ子」に権力が集中する一方、それ以外の人は軽んじられがちだ。
こうした状況と、スタッフや家族などの「身内」だけを大事にするような榊と和の文章は、無関係ではないと思う。「身内」でも「売れっ子」でもない人を軽んじていることが、パワハラや性加害がなくならない一因となっているのではないだろうか。
ところで、日本では「夫がやらかしたら、妻が謝る」ことが定着しているといっていいだろう。
歌舞伎俳優・中村芝翫の不倫疑惑が持ち上がる度に謝る女優・三田寛子や、元プロ野球選手・清原和博氏が覚醒剤取締法違反で逮捕された際には、離婚しているにもかかわらず、モデル・亜希が謝罪のコメントを出した。そして和も、報道直後に榊の不祥事を謝罪していた。
一方で、和はオフィシャルサイトの文章を「取材に来てくださる記者の皆様、どうかこのことに関しては、榊自身の問題であると思いますので、今後、家族に向けての取材、ご近所方への突然の訪問、取材などはご遠慮くださいますよう、心からお願い申し上げます」と結んでいる。
和の言う通り、これは榊自身の問題で、すべての責任を引き受けるべきは、榊本人だろう。和やお子さんに静かな日々が早く訪れることを、願わずにいられない。