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華原朋美と夫は“共依存”なのか? 練炭自殺ほのめかす夫に「私が看取ってあげる」……“修羅場”告白に見るいびつな夫婦関係

羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。

「私が看取ってあげるから」華原朋美
(華原朋美YouTubeチャンネル、5月14日)

 華原朋美の最大の才能とは、「メンタルがかなり不安定だけれど、その何十倍もタフなこと」だと私は思っている。

 華原といえば、時代の寵児的と呼ばれた天才音楽プロデューサー・小室哲哉氏との離別がよく知られるが、それは恋人を失うだけでなく、彼からの楽曲提供を受けることができなくなる、つまり仕事をなくすことを意味した。おそらく、フツウの芸能人だったら、失意のうちに芸能界、もしくは“この世”からも消えてしまったかもしれない。

 しかし、彼女は一時期、表舞台から姿を消したものの、メンタルの病と闘いながら復帰を果たし、今も芸能界にいる。不安定なことは間違いないが、そこでダメになったりしないのは、稀有な才能と言えるのではないだろうか。そんなわけで、華原に関しては「何があっても大丈夫」だと私は思っているが、彼女の夫との関係に関しては、「厄介かもしれない」と感じだしている。

 華原の所属事務所の社長でもある夫について、5月11日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が、過去に結婚歴があり3人の子どもいること、また、前妻に暴力を振るっていた疑惑があるなどの“過去”を報じた。

 同誌によると、華原は「文春」の記者に自ら電話をかけて、「(夫に)子ども1人もいません。今まで結婚したこともありません。ど~ぞ調べてください」と記事の内容を否定して見せたというが、その数日後に、自身のYouTubeチャンネルで、それらが事実であったことを認めたのだ。

 「彼のことを好きになって去年の8月17日にプロポーズされて結婚しました。その時、彼からは結婚歴、離婚歴、隠し子について『そういうことはまったくない』と聞いていました。もし3つあったのならば、私は結婚しませんでした。なぜならば、私にはかわいい子供がいるからです」と述べた。夫はプロポーズの際に、戸籍謄本を見せて、華原を信用させたそうだが、私の知人の弁護士によると、本籍地を“転籍”をすれば、“表面上”離婚歴は消えてしまうそうだ。

 多くの人にとって、戸籍謄本は、結婚や遺産相続などのときに使う書類という程度の認識だろう。しかし、有吉佐和子の著作『悪女について』(新潮社)を読むと、その印象は変わるかもしれない。八百屋の娘として生まれた鈴木君子は、男を次々に変えて子どもを産み、金を手に入れ、華族のご落胤を自称し、名前までも変え、女実業家として大成功を収める。ネタバレになるのでこれ以上は書かないが、主人公の成功のカギは、戸籍制度だったのだ。一部の不届き者にとって、戸籍は悪用する価値のあるものなのだろう。

 戸籍謄本を自分から見せるあたり、華原の夫に「騙そうという意思」があったように私には感じられる。華原はYouTubeで「弁護士を立てて、今後のことについて話し合っている」と明かしており、冷静に判断できているようで何よりだが、その一方で離婚できても、実際に夫から離れることは難しいのではないかとも思うのだ。

 華原がYouTubeで明かしたところによると、夫は自分の“過去”が「文春」に出ることでパニックを起こし、「もう死にたい。車に練炭を積んで、いま茨城の山奥にいる」と華原に電話してきたという。華原が子どもをつれて茨城にいる夫に会いに行くと、そこで「俺はもうダメだ。生きていけない」と泣きごとを漏らされ、「死ねるなら、目の前で死んでくれ」「私が看取ってあげるから。あなたにそんな力ないでしょ」と返したそうだ。

 夫は「(死ぬ気は)ある」と言ったそうだが、華原が「見てるから、やってみて」と促すと、「できない」と自殺を断念。「どうせ芝居」と思った華原は、練炭をゴミ箱に捨て、コンビニで塩を買ってきて、夫の車とカラダに振りかけ、「そんなこと考えるんじゃない!」と言い放ったそうだ。

 映画やドラマばりの修羅場だが、この話から、私が連想したのは「共依存」という言葉だった。SNSでは共依存は「お互いに愛し合っていること」というような好意的な意味で認識されていることもあるようだが、精神科医・斉藤学氏の『家族依存症』(新潮社)によると、「共依存とは他人に対するコントロールの欲求で、他人に頼られていないと不安になる人と、人に頼ることで、その人をコントロールしようとする人との間に成立するような依存、被依存の関係」といった定義している。

 また同書は、このような人間関係を放置すると「『憎みながら離れられない』とか『軽蔑しながら、いないとさみしい』といった凄惨な愛憎劇」が起きることを指摘。第三者は、共依存の関係に対し、「そんなに嫌なら、離れればいいのに」と思うかもしれないが、当人同士は「離れたいのに、離れられない」から苦しんでいるとも言える。

 そもそも「共依存」は、アルコールなどの依存症の現場から生まれた言葉だ。夫がアルコール依存症になったとする。妻はかいがいしく世話を焼き、夫が酒を飲まないように、また会社など世間にバレないように心を砕くだろう。フィクションの世界では、このような妻の献身に心を打たれた夫が改心し、依存症からの脱却を決心するというパターンが多いが、現実世界では、妻があれこれ世話を焼いているうちは、夫は安心してアルコールに溺れることができるため、回復しようという意志がそがれてしまうケースが目立つようだ。

 また、こんな話もある。臨床心理士・信田さよ子氏の著作『共依存 苦しいけれど離れられない』(朝日新聞出版)によると、依存症をめぐる共依存の関係では、たびたび「ふりまわし」と言われる現象が起きるという。その名の通り、アルコール依存症の当事者が「もう死んでやる」などといって、妻など周囲を“ふりまわす”ことを指す。

 死ぬことで、依存症当事者が苦しみから逃れたい、もしくは妻を自身のケアから解放してやりたいという優しさにも思えるが、信田氏はむしろ反対だと書いている。「このまま放っておけないと(妻に)思わせることで、傍らにいる妻からなんらかのケアを引き出そうとしている」「『妻に見捨てられたら自分は生きていけない』という究極の依存」「死ぬかもしれないこんな自分を放置しておくのか、という脅しをたくみに利用して、結果的には依存を実現する」などと指摘しているのだ。

 一方、共依存においては、妻側も夫に依存している。「夫のために」と苦心しながら、実はケアを通して、夫を支配できたり、夫から必要とされることに、喜びを感じている側面も否定できない。そのため、実は夫が回復しないほうが好都合であるなど、妻側にいびつな欲望が隠れていることも少なくないそうだ。

 華原の夫が何かの依存症かどうかは不明だが、私はこの2人が、こうした共依存関係にあるように思えてならない。

 華原の夫もまさに、死を理由に華原を茨城まで呼び出したわけで、「究極の依存」を体現したと言えるのではないか。またそんな夫に対し、華原は「そんなこと考えるんじゃない!」と叱った。これは「自殺なんかするな」という意味だと思われるが、夫が自身に迷惑をかけたことで、華原が夫より一段上の支配的な立場に立てたと見ることもできるだろう。

 華原に依存している夫が、華原をふりまわして依存を深め、華原もふりまわされるが、その分、華原が支配者になり、夫を思い通りにする。こういう行動が続くなら、「憎んでいるのに、離れられない」「相手を罵りながらも、一緒にいる」という共依存が常態化してしまうように思うのだ。

 夫は華原の所属事務所の社長であり、一世を風靡した華原は事務所の看板タレントだろうから、経営者としても手放したくはないだろう。こうなると、いろいろな利害がからまって、夫婦関係の問題を解決するのは難しいのではないか。

 幸い、時代は華原に味方している。今の芸能界では、夫と子どもがいて円満な家庭を築いているという良妻タレントよりも、多少波乱に満ちていた方が、テレビから声がかかる率が高いように思う。なので、華原の芸能人としての今後には何の心配もないだろう。ただ、自分自身のメンタルと体の健康、それに小さいお子さんのことだけは、しっかり守ってあげてほしいと思わずにいられない。

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