こんにちは、保安員の澄江です。
ここのところ、主に食品を扱うクライアント様からいただく仕事の絶対量が減り、いよいよ先が見えなくなってまいりました。どの企業も、先行き不透明感を理由に経費を削減しており、その第一候補が保安警備というわけです。私服で行う保安警備は、制服警備員と違って存在感がなく、一番削りやすい場所にいます。たとえ多くの捕捉実績があっても、その月の費用対効果で判断されてしまえば割に合わないことは確かなので、それも仕方のないことといえるでしょう。
生涯現役を目指してやっていますが、このような社会情勢になるとは思わず、加齢による足腰の痛みもごまかしが利かなくなってきました。そろそろ引退すべき時期かもしれないと、日々葛藤しながら現場に入っては、小さな騒動を起こす日々を過ごしています。
今回は、以前に大型書店で捕まえた盗撮犯について、お話ししたいと思います。
相棒は正義感あふれる安達祐実似の女優Gメン
当日の現場は、東京の中心に位置する大型書店S。8階建てのビルで書籍の専門店を営む老舗の有名書店です。当日の勤務は、午前12時から午後8時まで。ここのところ換金目的の粗暴犯が目立つことから、2人勤務で対応することになりました。この日のパートナーは、半年前に他社から移籍してきた美智子さん(32)。
どことなく女優の安達祐実さんに似ている可愛らしい方で、腕もよく、すでにいくつかの指名店舗を抱えておられる人気の職員です。彼女と会うのは、これが2回目。この仕事は、趣味の範囲でやられているそうで、本業は舞台女優なのだと話していました。副業をやるにしても、演技に役立ちそうなことがしたいと、この仕事に行きついたそうです。直近の舞台では犯罪者の役をやられたそうで、現場のリアル感が演技に役立ったと、輝かしい笑顔で話していました。
「前の会社では、どんな現場に入っていたの?」
「スーパーが多かったですけど、本屋さんと洋服屋さん、リサイクルショップにも入っていました」
「ここと変わらないけど、どうして移籍する気持ちになったの? お給料だって、そんなに変わらないでしょう?」
「セクハラがひどくてやめたんです。研修で会社にいくたび、社長から手を握られたり、お尻触られたりして、もう我慢できなくて。ほかにも、同じように嫌な思いをして社員が3人いたから、みんなでやめて一緒に訴えたんですよ」
話を聞けば、在職中に申し合わせて証拠を集め、お金を出し合って集団訴訟を起こしたそうで、相当額の賠償金を受領されたと話していました。かなりの修羅場だったようですが、複数回にわたる和解の申し出を断って判決を得たといい、話の節々から勝気な性格が垣間見えるような気がします。
母娘を装い、少しだけおしゃべりをしながら各階の巡回をしていると、3階から4階に向かうエスカレーターに乗り込もうとしたところで、美智子さんに腕をつかまれました。
「待って、あの人!」
すぐに足を止めて視線を上にやると、ワイシャツ姿の男がスマートフォンを右手に屈んでおり、前に立つ女性の足下からスカートの中を狙っていました。足音を立てないまま、エスカレーターを駆け上がった美智子さんは、男の後方から犯行を現認すると大きな声で叫びます。
「ちょっと、あんた。なに撮ってんのよ!」
「ギャアア!」
被害者である女性が叫び声に反応して振り返ると、男は前後を挟まれ、行き場を失くし、被害女性を押しのけてエスカレーターを駆け上がって逃走しました。大きく回り込んだ男が、下りのエスカレーターに乗って降りてくる気配を感じたので、先回りして階下の踊り場で待ち受けます。
するとまもなく、男は上方から姿を現し、左手で手すりに触れてバランスを取りつつ、右手でスマートフォンを操作しながらエスカレーターを駆け下りてきました。画面操作に集中しているようで、私に気付いている様子はありません。降り口を塞ぐようにして待ち構えて、視線を上げて踏み出した男の腹に向け、タックルするように抱きつきます。慌てて逃走を図る男に引きずられながら、私は用件を言いました。
「ダメ、逃げないで。あなた、盗撮していたでしょう」
まるで私の存在を無視するように、何も答えないまま前進を続けた男は、スマートフォンの操作もやめようとしません。明らかに証拠を隠滅されていますが、手を離せば逃げられてしまうことになるので、美智子さんが到着するまで必死にしがみついて足を止めます。
「ちょっと、あんた。なに消しているの。いい加減にしなさいよ」
揉み合う中、執拗に画面操作を続ける男の手首を掴んだ美智子さんは、手にあるスマートフォンを叩き落すと、大声で叫びました。
「すみません。この人、痴漢です。誰か手を貸してください」
男に抱きつきながら周囲を見渡すと、被害女性が売場の方から男性店員を連れて走ってこられるのが目に入り、少し安心したことを覚えています。
「おい、暴れるなよ! とりあえず警察呼ぶから、おとなしくしていろ」
事務所に連れていくものだと思っていましたが、なぜだかこの場に警察を呼ぶというので、私は男に抱きついたまま、警察官の到着を待ちます。店の人を呼ばれて観念したらしく、すでに勢いを失くしてはいますが、手を離せば逃走される気がしてなりません。
待つこと数分、ようやくに到着した警察官に被疑者の身柄を引き渡すと、その場で逮捕されることになり、被害者の方と警察署に向かうことになりました。犯人を見つけたのは美智子さんですが、初めに声をかけたのは私で、犯行状況の一部始終も現認していることから、私だけで事足りると判断されたようです。
警察署に向かう道中、パトカーの後部座席に被害女性と並んで座ったので、落ち着かせるべく声をかけてみました。
「びっくりしたでしょう? 大丈夫ですか?」
「もう怖くて、まだ震えが止まらないですけど、大丈夫。自分では気づいてなかったので、捕まえてもらってよかったです。本当にありがとうございました」
被害女性は、26歳。現場となった書店には、待ち合わせまでの時間潰しのために立ち寄られたそうで、こんな目に遭うとは想像もしていなかったと話しています。
「予定があったのに、こんなことになっちゃって、なんだか申し訳ありません。相手の方とは、ご連絡つきましたか」
「はい、警察署まで来てくれることになりました」
「それなら、よかった。こんな日は、誰か一緒にいてもらったほうが安心ですよね」
「はい……。でも、すごく怒っていたから、ちょっと心配なんです」
話を聞けば、待ち合わせの相手は婚約者で、犯人に対する怒りが尋常じゃなかったとのこと。警察署で暴れたりしないだろうかと、被害に遭いながらも余計な心配をしておられました。ちなみに犯人は、店の近所にある会社に勤める34歳の男で、「妻が妊娠中で寂しかったから」と、犯行の動機を供述したそうです。
すべての逮捕手続きを終えて店に戻ると、まもなく閉店の時間を迎える店内は閑散としており、美智子さんを探しているうち店内のBGMが「蛍の光」に切り替えられます。電話をかけても出ることなく、どうにも見つからないので総合事務所に向かうと、60代と思しき店長と話している美智子さんの姿を見つけました。何かを店長に褒められているような雰囲気ですが、よく見れば美智子さんの手は両手で握られており、可愛らしい顔が引きつっています。
邪魔をするべく、大きめの声であいさつをしながら室内に入ると、店長は美智子さんの手を離して平静を装いました。それに気付かぬふりをしたまま、一連の報告を済ませて報告書の控えをいただき、美智子さんを連れて足早に事務所から立ち去ります。
「大丈夫? 店長に、手を握られていたでしょう?」
「はい。お礼にごちそうするからって、断っているのにしつこくて、すごく嫌でした。タイミングよく入ってきてくれてよかったです」
「クレームを入れるなら、一緒に言ってあげるわよ」
「お願いできますか? 盗撮犯を捕まえた後、すぐに自分が触られるなんて、ちょっと許せないです」
その日の下番時、会社の営業担当にクレームを入れましたが、なんの音沙汰もなく事態は終結。その書店で、私たち2人が巡回する機会はなくなったものの、件の店長が処分を受けるような話は一つもありませんでした。
苦情を申し立てて、今後の取引に悪い影響が出たら困る。そのあたりが会社の本音のようで、すべてがうやむやにされ、後味の悪い結末になりました。その後、しばらくして美智子さんは退職し、いまは小さなスナックのママとして活躍されておられます。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)