日曜昼のドキュメント『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)。6月19日の放送は「都会を捨てた若者たち 前編 ~27歳の迷い道~」。
あらすじ
栃木県那須町にある非電化工房では自然と調和した暮らしを目指し、自分の力で生きていく技術を学ぶ。代表の藤村靖之氏は一年限定で住み込みの弟子を取っており、現在は20代の5人が弟子として暮らしている。夜は昼の間ソーラー充電で得たわずかな明かりのみだ。
弟子の一人、27歳の大地は非電化工房の同期の他のメンバーとの交流を避け、夕食も別に取る。だが「人嫌い」「人が苦手」という感じではなく、スタッフとはむしろ人当りよく話し、非電化工房の同期たちが誘ってくれるのを待っているような節も感じさせる。
そんな大地を番組ナレーションは「相当こじらせているようです」と伝えていた。大地はYouTubeで非電化工房での暮らしを配信していて、そこで欲しいものリストも掲載しており、その中には「彼女」の文字もある。
大地は4歳で野球を始め、野球の強豪高校に進むも甲子園出場の夢はかなわず、大学ではアメフトへ転身するも、結局レギュラーになれなかったという。その後、東証一部上場のハウスメーカーに就職し営業マンとして働くも1年ほどで退職。人材ベンチャーに転職するも、自分に自信をなくしてしまい、メンタルクリニックで「うつ症状」と言われ退職する。
大地は幼いころから競争生活を過ごしてきたものの、何も手にしていないことから非電化工房への弟子入りを決めたと話すが、非電化工房での目的がはっきりあるわけではないようだ。そんな大地に対し、藤村氏は山への開拓を一例として出し、大地は乗り気になっていく。
そんな大地に彼女ができる。非電化工房で暮らす同い年の樹乃香だ。樹乃香は大学で人権、環境問題を学び、生活支援のNPOで働くも、毎朝の満員電車の生活に慣れなかったようで、弟子入り生活をしながら非電化カフェの開業を目指している。
そのような中で大地の父親が非電化工房を訪ね、稲刈りに参加する。大地は樹乃香を父親に紹介。その後、居酒屋で父と息子は和やかに話すが、父親は大地が席を立った際に、番組スタッフを前に、自分の仕事を手伝ってほしいことや、彼女ができたのに好き勝手やっていていいのか、という気持ちを吐露する。
『ザ・ノンフィクション』番組最後に大地が見せた変化
番組最後2分、午後2時50分すぎからが怒濤の展開だったように思う。
それまでの番組中の大地は目の前の非電化工房の同期とは自分から打ち解けようとしないが、それは孤高を貫くというよりは「誘われ待ち」な感じで、さらに人付き合いは苦手と言いつつYouTubeという人付き合いには積極的だ。
さらには非電化工房に身を置きながらも、やりたいことがはっきりあるわけでもなく、さらに彼女は欲しいしと、どうも浮ついた感じに見えた。
しかし番組最後、大地が父親と居酒屋で飲みながら話した内容には実感がこもっていた。抜粋したい。
大地「作業着を着て帰ってくる父親(大地の父親は大型シャッターの職人)が嫌だった。『スーツを着ている人が会社員』っていうイメージがあった。そっちの人の方がカッコいいとずっと思っていて、母親にも『ああいう現場仕事じゃなくてホワイトカラーでいてね』って言われていた。『大学にも行かせるから一流のいい会社に入れ』って」
大地父「お母さんそんなふうなの、マジか」
その後、大地は会社員時代に現場実習で職人の姿を見ることがあり、現場仕事をカッコイイと思うようになったと話した後、照れくさかったのか席を立つ。この発言は番組中の大地の言動の中で一番実感がこもっていたように聞こえた。
大地は自分でもよくわかっていない「やりたいこと」を探すよりも、自分がすでに実感として持っている仕事観をベースに仕事を探したほうがいいのではないだろうか。
『ザ・ノンフィクション』「お父さんみたいにはならないでね」という母親の呪い
先の大地の発言から、大地の母は、大地に「お父さんみたいにはならないでね」と言葉をかけていたわけだが、これは子どもにとってかなりの呪いだと思う。こう発言するに至ったまでの「母の言い分」も当然あるだろうが、それは夫婦で話し合うことであり、子どもに言うことではない。
「お父さんみたいにはならないでね」という母の発言は単独だけでもかなりのインパクトだが、大地の家の場合、父は大地に仕事を継いでほしいのだ。大地は「俺みたいになってほしい」と「お父さんみたいにならないで」の板挟み状態にある。
夫婦間で矛盾したメッセージを子どもに発信しているのが問題なのではない。たとえ矛盾していても、大地の前で両親それぞれが、自分たちは仕事についてこう思っているがその上で大地は自分で考えればいい、と言えばむしろそれは非常に有意義な家族の時間になると思う。
大地の家の場合、母は父への不満を本人には直接言えず、代わりに大地に「お父さんのようにならないで」と告げ、父は父で大地に仕事を継いでほしいと言えないし、妻がそこまで自分に対し不満を持っていたことに気づけない。
意見の矛盾が問題なのではなく、言いたいことを直接当事者に言えない、相手の不満に気づけないというコミュニケーション不足が問題のように思う。
大地の父母は大地のYouTubeをチェックし、行く末を案じているし、大地の父は非電化工房の稲刈りを手伝いに来ている。夫婦仲、家族仲は悪くないように見えるのだが、肝心な点においては「コミュニケーションを避けている」感じがした。
ぱっと見の仲はいいのだが、言えば軋轢が起きそうなこと、気まずくなりそうなこと、しかしだからこそ大切なことはどうも話せない——と言う家庭は、大地の家に限らないように思う。「話し合い」が苦手で「察してほしい」という風潮が根強い日本では、むしろこういう家庭のほうが多いのではないだろうか。面倒なことにふたをしたい気持ちはわかるが、ふたをすることで生まれる弊害もある。
来週は今週の続編。残り半年を切った非電化工房での弟子生活。27歳のカップルが出した結論とは。