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是枝裕和監督『ベイビー・ブローカー』、鑑賞前に知りたい韓国「ベイビーボックス」の実態

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。そんな作品をさらに楽しむために、意外と知らない韓国近現代史を、映画研究者・崔盛旭氏が解説していく。

ソン・ガンホ主演、是枝裕和監督映画『ベイビー・ブローカー』

 国際的な共同製作が当たり前となった時代に野暮な言い方ではあるが、東アジアにおいてはいまだ、外国の有名監督が自国内で映画を撮るとなった場合、どちらの国にとってもそれは一大事である。

 6月24日に日本公開された是枝裕和監督の最新作『ベイビー・ブローカー』は、彼が韓国の製作会社やスタッフ、そして韓国人キャストと共に作り上げた作品であり、製作当初から注目を集めていた。何しろ本作は、2018年にカンヌ国際映画祭で最高賞を受賞した『万引き家族』の是枝監督と、翌19年にカンヌ最高賞とアカデミー作品賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』の主演を務めた韓国の名優、ソン・ガンホがタッグを組むというのだから、期待するなというほうが無理だろう。

 なお、先月開催された今年のカンヌでは、『ベイビー・ブローカー』でソン・ガンホが韓国初となる主演男優賞を受賞。映画としては、これ以上ない船出となった。

 “韓国で映画を撮った日本人監督”という視点で振り返ってみると、日韓の映画交流史には特筆すべきものがある。古くは戦時中、植民地・朝鮮に渡り、戦争協力のプロパガンダ映画を撮った(あるいは撮らざるを得なかった)豊田四郎や今井正がいるが、戦後になってまず頭に思い浮かぶのは「大島渚」である。

 1964年、韓国に渡った大島は、60年の「4・19民衆革命」で片腕を失った貧しい少女が、生活のため売春をするまで追い詰められてしまう様子を追ったテレビドキュメンタリー『青春の碑』を発表。65年には、靴磨きや新聞売りなどで生計を立てる街の貧しい子どもたちの写真を編集した短編『ユンボギの日記』を撮り上げた。

 興味深いのは、大島の訪韓時には「日本の前衛派監督」として大々的に、そして好意的に紹介し、韓国映画界の現状についてコメントまで求めた新聞が、映画の内容が韓国の厳しい現実を映したものだと知るや否や「朝鮮総連に利用された左翼監督」と態度を一変させたことだ。もっとも「韓国によろしくない映像は撮らないように」と念を押していた当時のパク・チョンヒ軍事政権にとって、大島の作品は韓国の恥部をさらした、ゾッとするようなものだったに違いない。

 大島のほかにも、50年代半ばから60年代にかけて日活で活躍した「中平康」は、シン・サンオク監督に招かれて韓国に渡り、自身のヒット作『紅の翼』(58)のリメーク『청춘불시착(青春不時着)』(74)を監督している。だが当時、韓国では日本大衆文化の紹介や、公の場での日本語の使用が禁止されていたため、中平は本名を名乗ることができず、「김대희(キム・デヒ)」という韓国名を使わざるを得なかった。

 この事実は、98年に日本大衆文化の輸入が全面開放されるまで、公式には韓国で「日本」は遮断されていたにもかかわらず、水面下では映画人たちの交流が活発に行われていたことを示す好例である。

 こうした歴史の延長線上に、今回、名を刻むことになった是枝が撮り上げたのは、日本の「赤ちゃんポスト」にあたる韓国の「베이비박스(ベイビーボックス)」である。ベイビーボックスを素材に家族の在り方を追求した本作は、「韓国社会の現実を見つめた日本人監督」という意味では大島と、「日本人が撮った韓国映画」という意味では中平と共通しており、これら2つの流れの合流地点を築いたといえるだろう。

 是枝はこれまでにも、フランス資本でフランスやアメリカの俳優たちと『真実』(2019)を作っているし、それ以前には、韓国の名女優、ペ・ドゥナが是枝の『空気人形』(09)で主演している。もともと、国境を越えた作品づくりの経験が豊富な上に、ポン・ジュノ監督やソン・ガンホらとも親交を深めており、韓国映画界と是枝は蜜月関係にあったと考えられる。そんな背景を考えれば、是枝が『ベイビー・ブローカー』を撮ったのも自然なことに思える。

 是枝自身の発言によると、日本の赤ちゃんポストと同じような施設が韓国にも存在すること、そして、このポストに入れられる赤ちゃんの数が日本の約10倍だと知り、興味を持ってリサーチやシナリオに取り掛かったという。今回のコラムでは、韓国のベイビーボックスの実態や、それをめぐる問題を中心に、是枝の目に映った韓国社会の現実とは何かを考えてみたい。

 借金に追われるクリーニング屋のサンヒョン(ソン・ガンホ)は、児童養護施設出身で、現在はベイビーボックスの施設で働くドンス(カン・ドンウォン)と共に、ベイビーボックスに「預けられた」赤ちゃんをこっそり連れ去ってひそかに売るブローカーをしていた。

 ある雨の夜、いつものようにベイビーボックスの中の赤ちゃんを連れ出したものの、その赤ちゃんの母・ソヨン(イ・ジウン)が思い直し、翌日に取り戻しに来る。警察への通報を恐れたサンヒョンとドンスは、仕方なくソヨンに赤ちゃんを連れ出したことを白状する。

 「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という趣旨の言い訳を聞きあきれるソヨンだが、彼らと一緒に養父母探しの旅に出ることになる。一方、半年間にわたりサンヒョンとドンスをマークしてきた刑事のスジン(ペ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)も、現行犯逮捕の瞬間を狙い、静かに彼らの後を追うのだが……。

 日本に先行して6月8日に公開された韓国では、ソン・ガンホのカンヌ受賞の朗報もあり、19日の時点で早くも観客動員100万人を突破するなど、順調な興行を続けている。映画レビューサイトでの観客や評論家の反応には低い点数も少なくないのだが、ジェットコースターばりにドラマチックな展開を見せる韓国映画に見慣れている彼らのような観客には、同作が「起伏のない物語」「平板な展開」と映るのも、仕方がないかもしれない。

 だが、数十万人の動員で成功とされる場合も多い中、韓国の名優と日本の名匠の織り成すアンサンブルは、韓国国内で大きな成功を収めたといってよいだろう。

 日本ではちょうど本日24日に全国公開が始まるということで、ここからは韓国の「ベイビーボックス」について、その実態を説明していきたい。

 そもそも、ベイビーボックスというシステムは、いつから始まったのだろうか。プロテスタント系の주사랑(ジュサラン)共同体教会が捨てられる赤ちゃんを1人でも多く救うため、09年に教会内に設置したのが最初とされる。だが、その是非をめぐっては、赤ちゃんの尊い命を守る最後の砦であるとする賛成論と、むしろ赤ちゃんを捨てることを助長するという反対論が噴出した。現在も続くこの議論はつまるところ、ベイビーボックスをどう見るかの問題なのだ。

 教会の統計によると、設置から22年現在までに、延べ1,989人の赤ちゃんがベイビーボックスに入れられたが、その数を「救われた」と見るのか「捨てられた」と捉えるかによって、ボックスに対する是非も変わってくる。いずれにせよ、これほど多くの赤ちゃんが、親のさまざまな事情や、あるいは無責任な理由によって「預けられた」ことは紛れもない事実である。

 統計をさらに細かく見ていくと、10年に4人が預けられ、11年に35人、12年に79人と、設置からしばらくは小幅な増加だったのが、13年になるといきなり252人に急増。その後も年平均で200人以上の赤ちゃんが預けられている。13年になぜここまで増えたのかといえば、それは前年に改正された「入養(養子縁組)特例法」の全面施行が関係している。

 この法改正は、海外との養子縁組を抑制して「孤児輸出大国」の汚名を払拭する目的で行われたもので、養子縁組の際の条件に、赤ちゃんの「出生届」提出が義務化されることになったのである。つまり、養子に出したい親たちはその事情のいかんにかかわらず、身元を明かさなければならなくなったのだ。

 将来、子どもが自分のルーツを知りたいと思った時に必要な情報を与えるといった、子どもの人権を守る意味もあったのだが、現実には、養子縁組の手続きを避け、身元を隠したままベイビーボックスに赤ちゃんを預ける親が急増する事態を引き起こした。

 出生届がなければ養子縁組に託すことができないため、身元不明のまま預けられた赤ちゃんの未来は、さらに不安定になってしまう。まさに本末転倒の結果となってしまったのだ(海外養子縁組や孤児輸出については、以前のコラム『冬の小鳥』を参照)。

 親たちが身元を明かしたがらない背景には、儒教の伝統が重んじられる韓国で、未婚女性の出産が依然として恥ずべきことと軽蔑され、母親だけでなく、生まれてきた子どもまでもがひどい差別の対象となる、根深い問題が横たわっている。生まれて間もなく捨てられ、赤ちゃんが遺体となって発見される事件がたびたび起きているのも、そうした社会の偏見が生んだ悲劇にほかならない。

 最近では、ベイビーボックスを支持する市民団体を中心に、親の実名を記さない出生届を認めて養子縁組を可能にする「秘密出産法」の制定と、「入養特例法」の再改正を求める動きも出始めている。こうした改善は、未婚の母と赤ちゃんの未来のために必要不可欠であると思う一方で、血のつながりを何より重視し、他人の子どもを受け入れることに極端な拒否反応を見せる儒教的血族意識の強い韓国で、たとえ法律を変えたところで国内の養子縁組が活性化するだろうかという疑問も残る。

 国内に受け入れ先が見つからず、海外養子縁組に送られる子どもたちは昔より減ったとはいえ、他国に比べてまだまだ多い。さらに、養子縁組を“ペットの飼育”程度にしか捉えていない養父母による虐待事件も、いまだ数多く報道されている(20年に起きた「ジョンインちゃん虐待死事件」も記憶に新しい)。「どうせ他人の子」というゆがんだ意識から、いとも簡単に暴力にさらされる子どもたちもまた、韓国社会が生んだ被害者なのである。

 長い年月の間に培われた、こうした悪しき伝統や意識を変えるのは、そう簡単ではないだろう。だがだからこそ、『ベイビー・ブローカー』を是枝が韓国社会に送ったメッセージとして捉えることが、本作を鑑賞する上で重要ではないだろうか。

 是枝はこれまでにもさまざまな作品で<家族の在り方>を描いてきた。そして彼は、『歩いても 歩いても』(08)や『海よりもまだ深く』(16)のように、血のつながった家族に潜む秘密やわだかまりを通して家族の他者性を浮かび上がらせる一方で、『誰も知らない』(04)『海街diary』(15)『万引き家族』(18)では、本来は血のつながりがない者たちが家族を形成していく過程を描き出し、疑似的な家族にこそ人間的な結びつきを見いだしてきた。『そして父になる』(13)はまさにそうしたテーマとじかに向き合った作品であり、是枝のテーマ性、作家性を世界は高く評価してきたのだ。

 『ベイビー・ブローカー』においても、妻と離婚し娘とも離れて1人で暮らすサンヒョン、児童養護施設出身のドンス、赤ちゃんをベイビーボックスに預けた未婚の母ソヨン、未婚の母への憎悪を持つ刑事のスジン……と、主要な登場人物たちは誰一人、いわゆる“普通の家庭”を築いていない。

 そんな彼らが、赤ん坊の幸せをそれぞれに願いながら、自らも少しずつ「新しい家族」となっていくさまからは、家族はさまざまな形で存在するものであり、血だけが家族の印であるという強迫観念から解き放たれようという、是枝の優しく力強い提言を感じられはしないだろうか。

 理想化され過ぎているのではないか、見ていてこそばゆいといった意見さえも、彼らが血でつながっていないからこそ意味を持ってくると私は思う。本作は、カンヌでカトリックとプロテスタントのキリスト教統一組織による審査員によって「人間の内面を豊かに描いた作品」に贈られる「エキュメニカル審査員賞」を受賞した。その背景は、血のつながりを超えた家族の在り方を描いた普遍性が評価されたからに違いない。

 大島渚はかつて、韓国という他者を鏡にして、日本という国を見つめようとしていた。『ベイビー・ブローカー』が日本でどのように見られ、韓国という鏡が日本にどのような照射をもたらすのか、楽しみに見守りたい。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。