今は亡き某指定組織の三次団体幹部の妻だった、待田芳子姐さんが語る極妻の暮らし、ヤクザの実態――。
山口組の「魔の8月」
毎日暑いですね。この原稿を書いている6月30日現在、すでに梅雨も明けて35度超えの日々が続いております。そして、どんどん「魔の8月」が近づいています。
8月は、過去に山口組に関して2つの重大事件が起こっており、こう呼ばれているのです。というか「魔の8月」という表現は、山口組だけでなくヤクザ業界全体に浸透していました。
ひとつは、1997年8月28日の、五代目山口組の宅見勝若頭射殺事件です。四代目山口組・竹中正久組長の射殺事件(85年1月27日)は、竹中組長の四代目襲名に不満を持つ組員さんたちの脱退からの事件でしたから、まあわかりやすかったのですが、宅見若頭の事件は、今も謎が多いといわれています。
実行犯は中野太郎会長率いる中野会の組員でしたが、事件の日から中野会の関与はわかっていたはずなのに指名手配までに半年くらいかかっていますし、中野会長も当時は関与を否定していました。そして、中野会長は晩年、五代目山口組・渡邉芳則組長の同事件への関与をほのめかすご本を出していますが、記事の捏造疑惑も消えません。
私はホントだと思ってますけどね。あれはエアでは書けないでしょう。それはさておき、この「身内による大幹部射殺」というタブー中のタブーの事件をきっかけに、組員同士がみんな疑心暗鬼状態になって本音で話せなくなったことで、執行部への不満が噴出、渡邉五代目の「クーデターによる失脚」説も出てきたといわれています。
なので、若頭射殺事件をきっかけに山口組の人間関係が「悪い方向」へいったという意味合いでの「魔の8月」なんですね。
5月の騒動も一瞬で終わり?
2015年8月27日には山口組が分裂するという「大事件」が発生します。もう7年も前なんですね。この7年間は、「魔の8月」に「必ず再統一を」というのが山口組の目標のようですが、簡単にはいかないようです。
しばらく静かな感じがありましたが、この5月には、神戸山口組の副組長の自宅(大阪府内)で車両特攻事件(8日未明)、10日のお昼前には三重県伊賀市内の病院の駐車場で絆會関係者が銃撃されて重傷を負っています。
「このまま大抗争に発展?」との見方もありましたが、この事件以降はいまのところ静けさを保っています。もちろんメディアは面白がって「抗争『決着』へ山口組攻勢 分裂から7年、襲撃多発」とかハデな見出しが躍っていますね。
たしかに「お盆休み明けが危ない」と毎年言われていますから、気は抜けないですよね。まあ報道も相変わらず「抗争の恐怖」をあおり、警察が「(神戸山口組の)井上邦雄組長が意地になって抗争を続けているが、やり返す力がないのでは」というトンチンカンな分析をしています。
そもそも井上組長は、「抗争」は続けてませんし、もともと神戸山口組側がカエシ(報復)をしないのは、「井上組長がパクられる(逮捕される)と、組が存続できないから」とか「神戸山口組に兵隊がいないから」とか「“元”とはいえ、同胞に銃口を向けたくないから」など、さまざまな臆測が飛び交っていますが、どれも断定はできないのですよ。
それにしても分裂状態が7年も続くなんて、誰が想像したでしょうか? ソッコーで「井上組長引退・希望者は六代目山口組復帰」となるだろうというお話でしたけどね。「誰得」を考えると、やっぱりネタに困らないマスコミと、予算をつけてもらえる警察でしょうか。