あらすじ
京都にあるお茶屋(芸妓、舞妓を呼び客に飲食をさせる店)で、置屋(芸妓、舞妓が所属する店)でもある「大文字」に2017年3月、中学校を卒業したばかりの新人、寿仁葉(じゅには)が入る。
寿仁葉は長崎出身。『ザ・ノンフィクション』の舞妓シリーズを見て舞妓になりたいと大文字に自ら電話をかけたという。舞妓は修行期間であり、5年ほど踊り、三味線、鳴り物(打楽器)、お茶などの芸事を磨いて芸妓となる。なお、舞妓は地毛で芸妓はかつらだ。
大文字は一人一部屋が与えられ、舞妓たちの衣食住や稽古代は女将持ちだ。一方で5年間の修業期間と1年間のお礼奉公の間、舞妓たちの収入はお小遣いをもらう程度で、休みは月に2日だと伝えられていた。
寿仁葉の先輩は20歳の舞妓、果帆。寿仁葉同様、中学校卒業後に大文字で修行をしてきた。1年目の果帆は弱音を吐かず修行に打ち込み、番組スタッフの取材にも「楽しおす」と笑顔で話していたが、女将はそんな果帆の優等生ぶりを前に「手放しで喜んでええもんかな」と案じる。
女将の不安は的中し、徐々に果帆の遅刻が目立つようになる。果帆同様、2~3年目で悩みや壁にぶつかる舞妓が多いという。なぜ遅刻が直らないのか、番組スタッフは二度ほど尋ねていたが、果帆は「それがわからへんのどす」とどうにもならないようだった。
不安要素を残しつつ、果帆は5年の修業期間を終えて無事、芸妓となる。芸妓は舞いと踊りを担当する「立ち方」と、三味線など楽器を演奏する「地方」の役割があり、果帆は地方だという。舞妓から地方になるケースは珍しいが、立ち方と違って化粧にかける時間が少なくて済むと、遅刻癖のある果帆への女将の配慮もあったようだ。だが、果帆はその稽古も休むようになり、結局、花街を去ることになる。
寿仁葉は、番組スタッフに「いま辞めていかはる姉さん多いどすやんか。何か将来が不安になります」と本音を漏らす。そんな状況で、寿仁葉にとってはもう一人の頼れる先輩だった若手の芸妓、勝音も花街を去り、さらには2020年春からは新型コロナの影響で花街からは人が消え、外にすら出られない日々が続く。
寿仁葉は不安の中、朝も起きられず遅刻が増える。番組スタッフの取材にも「向いてへんのでうち、こんなやる気ない子いてどうしようもないなって思いながら」とこぼしていた。
寿仁葉のやる気に火はつかず、舞妓4年目の21年12月に長崎の実家に一度帰省する。母親から芸妓になりたいのか聞かれると、「なりたいけど……」と答えていたが、朝起きられない生活が続くようなら辞めたほうがいい、と女将から通告されているとも話す。
青春を捧げた花街を20歳そこそこの若さで去ることになった果帆は、最後まで遅刻の理由はわからないと首をかしげていた。番組内では触れられていない事情があるのかもしれないが、そうでないとしたら、「休みは月2日、収入は小遣い程度」の生活がしんどすぎたのではないかと思う。なお、適用の内外はともかく労働基準法で定められた年間休日の最低日数は105日だ(1日8時間労働の場合)。
ただ、芸能の仕事はコンプライアンスの遵守よりも、長年の歴史によって培われた不文律、暗黙のルールのほうが幅を利かすところも大いにあるだろう。花街はコンプライアンスやブラック企業という言葉が日本で認知される前から、さらに言えば労働基準法が施行される前から存在していた世界であり、その過酷な労働環境の中で芸を磨き、継承してきた舞妓や芸妓たちが大勢いたのだと思う。
しかし、現役の舞妓にしてみたら、身近な姉世代の芸妓のとる行動や判断のほうが身に迫るのだろう。姉世代の芸妓たちが、どんどん離職していく状況を目の当たりにしたら、不安になるのも無理はないように思う。
「休みは月2日、収入は小遣い程度」という1点だけでも異次元の過酷さだ。今はスマホを見ればSNSで同級生たちの自由気ままな生活が目に入ってしまう。
舞妓、芸妓の厳しい労働環境を「これが花街の掟どす」と貫くのも選択肢の一つだと思うが、番組を見る限り、舞妓や若手の芸妓の離職状況は深刻そうだ。業界の未来は大丈夫だろうか。
『ザ・ノンフィクション』疲れ切ってしまうと、辞める判断も難しい
番組内では、中学時代の果帆が部活に励む姿も伝えられていた。ポニーテールを結び、はつらつとした雰囲気だったが、花街を去るまだ20歳か21歳の果帆は、かなり疲れた様子に見えた。
先週の『ザ・ノンフィクション』も、人力車の仕事を辞めるまで長い時間を要したアツシが出てきたが、果帆もここまで疲れ切る前に辞めたほうがよかったようにも思える。本当に疲れ切ってしまうと、「休む」「いったん離れる」「辞める」といった選択肢を取ることすら難しくなってしまうのかもしれない。
来週は今週の続編。果帆同様に遅刻が目立ち、練習にも身が入らない寿仁葉は、そして女将はどんな決断を下すのか。