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滝沢カレンの文章は、なぜ読む人の心に響く? プロの校正者が「文章センスはずば抜けている」と評価

ByAdmin

7月 12, 2022 #カルチャー

 7月4日に、一般男性との結婚を発表した滝沢カレン。自身のインスタグラムに、「皆様に今までで一番の自分事にはなりますが」という書き出しで結婚報告文をつづった。滝沢のブレークのきっかけになった“独特な言い回し”が散見される文章で、ネット上では「なんて素敵なコメント」と大絶賛を集めた。

 なぜ、一見すると“ヘンテコ”な滝沢の文章は、読む人の心に響くのか――。今回、くだんの結婚報告文を元に、“言葉のプロ”である現役校正・校閲者が、その謎を解き明かす!

◎滝沢カレンの文章を直すと「らしさ」がわかる
 滝沢さんのヘンテコな日本語がメディアに大きく取り上げられ始めたのは2017年。その後もバラエティ番組や、自身のインスタグラムなどで、カレン語はよどみなく発信され続け、大々的なブームにならなかったことが幸いしたのか、飽きられることなく、5年後の今日では独自の“話芸”として定着しています。

 そんな滝沢さんの「結婚報告文」ですから、水を差すようなコメントが少なく、肯定的な評価の声が大勢を占めるのは、ある意味当然のことといえますが、それでもあまりに多くの絶賛の声が聞かれるので、その理由を探ってみたいと思います。

 今回は、滝沢カレンさんの結婚報告文の冒頭を中心に見ていきましょう。

皆様に今までで一番の自分事にはなりますが、
ご報告です。

私は、現在建築のお仕事をさせていただいてる方と、
この度結婚いたしました(顔文字)

記憶をほとんどその日に置いてくる私ですが、出会ったときの季節、
景色を今でも思い出せます。

それは私の見ている景色をいつもより色とりどりにしてくれる人でした。

私のお仕事、生活、周りの仲間を私と同じくらい大切にしてくれて、
家族のわんこたちを一番に考えて楽しませてくれます。

そんな人に私は人生の冒険相手として
道を彩ってもらいたいなと思いました。

 ネット上では、「滝沢カレンの“らしさ”全開」などと話題を呼びましたが、校正・校閲者の私が、あえて言葉の使い方や文法などを適宜直した文章と比較すると、その“らしさ”がより際立った形で見えてくるのではないでしょうか。

私事で大変恐縮ですが、
皆さまにひとつ大きなご報告があります。

私は、建築関係の仕事に就いている男性と、
この度結婚いたしました。

記憶のほとんどをその日のうちに忘れてしまうような私ですが、
彼と出会った日のことは、
その季節、そのとき二人で見た景色を
今でも鮮明に思い出せます。

彼は、いつも見るありふれた景色を色とりどりに変えてくれる、そんな存在です。

私のお仕事、生活、周りの仲間を私と同じくらいに大切にしてくれて、
何より家族の一員のわんこたちを第一に考え、いつも楽しませてくれるのです。

私はそんな彼に、人生を共に冒険するパートナーとして、
これから歩む道を彩ってほしいなと思いました。

◎滝沢カレン、プロの校正者が唸った3つのポイント

 では、校正・校閲者として、特に唸った3つの箇所を具体的に考察していきましょう。

その1
「皆様に今までで一番の自分事にはなりますが、」

 冒頭の一文から、ネット上で話題になっていますが、通常、「自分事」は「私事」といい、それを反映させ文章にすると、「私事で大変恐縮ですが、皆さまにひとつ大きなご報告があります。」といったシンプルな形になります。ただこれではほぼ定型文。無難で味気なく、滝沢さん“らしさ”は不在の状態となってしまいます。

 一方、滝沢さんが書いた前置きは、「自分にとって、これまでの人生における最大の出来事」というようにも「皆様への打ち明け話としては過去最大」のようにも読め、「とにもかくにも早く皆様に伝えたい!」と言ったウズウズした感情が相まった文章のように感じ取れます。はやる気持ちを抑えられないんだなと思わせる効果があるわけです。

その2
「現在建築のお仕事をさせていただいてる方と、」

 これも普通に言えば、「建築関係の仕事に就いている男性と、」などでよいわけです。しかし、滝沢さんの謙虚さ、誠実さからなのか、仕事をしている当人(ご主人)に成り代わって、仕事への感謝の気持ちを伝えようとしているようにも読めます。「うちの主人がいつもお世話になっております」といった社交辞令的要素も含んでいるのかもしれません。

その3
「記憶をほとんどその日に置いてくる私ですが、出会ったときの季節、景色を今でも思い出せます。」

 今回の結婚報告文の中で、最も「滝沢カレンらしい」と高評価を得ている一文です。校正しようにも、この部分こそ滝沢さんの真骨頂、本来触るべきではないでしょうが、テイストを保持しつつリライトを試みると次のようになりました。

「その日の記憶のほとんどを、その日のうちに忘れてしまう(忘れようと努める)私ですが、彼と出会った日のことは、その季節、そのとき二人で見た景色まで今でも鮮明に思い出せます。」

 リライトをしながらあらためて、彼女の文才に気づかされました。彼は、出会った時から特別な存在だったと伝えるために、忘れん坊な自分の性分、もしくは持ち前の卓越した忘却スキルを引き合いに出し、その上で初めて「思い出に浸ることで得る幸福感」があることを知った……滝沢さんは、そう伝えようとしているのではないでしょうか。「記憶を置いてくる」は「置き忘れ」ではなく「わざと置いてくる(=忘却スキル)」を示唆させ、秀逸な表現だと感じました。

◎滝沢カレンの文章は「支離滅裂なようで一貫性がある」

 ここからは、さらに一歩踏み込んで、滝沢さんの過去の発言を引きつつ、文章を吟味していきたいと思います。

「それは私の見ている景色をいつもより色とりどりにしてくれる人でした。」

 ここをわかりやすく直すと、「彼は、普段見るありふれた景色までも色とりどりに変えてくれる、そんな存在です。」になります。注目したいのは、「色とりどり」の部分。後には、「そんな人に私は人生の冒険相手として 道を彩ってもらいたいなと思いました。」と続きます。

 滝沢さんは18年3月放送の『しゃべくり007』(日本テレビ系)に出演した際、「本を読んでいてカタカナが出てくると、色のなくなった世界を見ているよう」と語っています。 カタカナは「ずっとつまらないなって」などと思っていたそうで、自分の名前(芸名)についても「カレンは(色が)ないです」と断言しています。

 「つまらない」と言っていますが、「色のなくなった世界」に不安めいたものを感じているような気がします。過ぎ去った記憶も「色のなくなった世界」に見えるから、忘れ去ろうとしているのかもしれません。

 そんな過去も、普段見る景色も、色とりどりに彩ってくれる存在だからこそ、未来へと続く道も彩ってくれるはず、と期待する様子がうかがえます。結婚相手としての決め手をこのように表現するのは、さすが滝沢さん。読むほうまで幸せな気分になりました。

 ところで、滝沢さんの「カタカナ」への苦手意識は、この報告文にも表れていました。全文に登場するカタカナは、高校時代からの“相棒わんこ”の名前とその種類、また結婚相手の飼っている犬の名前とその種類、それと「(結婚相手の飼い犬は)名前を呼ぶとご飯を食べていたってやってきてくれる海みたいに強くてフワッと近くにいてくれます。」という一文の「フワッ」だけです。色とりどりにしてくれるお相手との結婚報告ですから、極力色のなくなった世界を遠ざけたかったのかもしれません。

 とはいえ、カタカナがつまらないままで良いのか、という気もします。そこで、「人生の冒険相手」という箇所は、「人生を共に冒険するパートナー」にしてみてもいいのではないかと思いました。「パートナー」というカタカナ語は、「相手」とするよりも関係性の距離感が近いニュアンスを与えてくれます。

 しかし、やはり「相手」のまま、もしくは「冒険の相方」が彼女らしいですね。カタカナに関する過去の発言を踏まえると、今回の彩りを意識した報告文は、支離滅裂なようで一貫性があり、それも滝沢さんの文章の魅力といえそうです。

◎滝沢カレンの誠実さが表れた一文「私の全ての力と思いで本気全力」

 さて今回は、結婚報告文の冒頭に注目しましたが、最後のパートの一文があまりにも滝沢さんらしかったので、少しだけ言及したいと思います。

お仕事はこれからも楽しみながらも
ひとつひとつ、1秒1秒、私の全ての力と思いで
本気全力、頑張らせていただきますので、
皆さまよろしくお願いいたします。

 この一文を直すと「お仕事はこれからも楽しみながら、ひとつひとつ、1分1秒、全身全霊で頑張らせていただきますので、皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。」になります。「私の全ての力と思いで本気全力」の部分は、「全身全霊」で表現でき、これは、おそらくは滝沢さんも知っている四字熟語だと思います。

 しかし、それが自分の思いを表現するのに最適なのかについて、滝沢さんは熟考したのではないでしょうか。そもそも結婚の報告などは、定型文に少しオリジナルな言い回しを加える程度で済ませるものですが、それを避けて通る。あらかじめ用意されたものを流用してよいものかといったん立ち止まったのでしょう。

 自分の言葉ではない借り物で、果たして自分の思いを正確に伝えることができるのかと疑問を持ち、誠実に言葉と向き合った結果がカレン語となって表出する。こういった真摯な態度が読み手に伝わることで、好感を持たれていると思うのです。

 少し話はそれますが、今回、こうして滝沢さんの文章と向き合う中、いち校正・校閲者としてハッとさせられたことがあります。まだ新米の頃、先輩に常に「全ての記憶はうろ覚え」と叩き込まれました。そのスタンスで校正・校閲作業にあたるべき、つまり時間が許す限り辞書を引けということなのですが、裏を返せば「忘却スキル」も必要ということになります。おかげさまで、そういった基本姿勢を想起できました。

 ともあれ語彙が思いのほか豊富で、カレン語の難解さの根源でもあるのですが、遠回しに書く婉曲表現が少なめなのが滝沢さんの文章です。実はそれだけでも文章センスはずば抜けているといえます。

A氏
フリーの校正・校閲者。ウェブ媒体、紙媒体問わず、 日々さまざまな文章の校正・校閲を行っている。

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